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2012年4月 8日 (日)

なんのためにか苦はあらむ

なんのためにか苦はあらむ
エレクトロラックスの掃除機が届いたが外箱がすごい。
夫曰く「おもちゃの箱みたい」とのこと。
インテリアに通じる家電という気合いが並々と伝わってくる。
今日も店からの帰り道の桜がきれいだった。
今日明日が見頃という東京23区。
なんのためにか苦はあらむ
今日は半日以上ペンキを塗って過ごした。
塗装屋でもないのに、三十路過ぎて手をべたべたにしながら
ペンキ塗ってシンナーでラリって机に突っ伏して休憩をとるたび
何でこんなことやってんだ、アタシ、なんて悲しくなったが
思い返してみるとそれはつまり
「今より幸せになりたかったから」
につきるのであり、たとえば
鑑定の時に教え子がたまにやって来て
「せんせい、アタシ先生とデザインの未来とかの話もしたくて」
なんて言われ
「それを話すのは飲み屋であって、ここで一分に金をかけるなよ」
なんて小声で返すものの
他に呑みにいくなんて時間も全部この稼業に捧げている現状で
それは無理な話で、それを分かってるから彼らはここに来たのであって
そういう時に「今日鑑定に空きあるからファイルもってこいよ」
なんて自分の店なら言えるのにな、とかそういうのもあって
始めたんだから泣き言は変だよ、と元気がわいた。

ペンキを塗り込む作業の無心さは美大時代を思い出す。
22時くらいまでアトリエに残って作業していた日々のあれこれ。
そもそも、アタシはここ五年くらいあまりに何もかも詰め込みすぎて
全て通過儀礼くらいしか思ってなかったが、

こうした準備の果てには達成感が待っている訳で
その達成感は人間が自分自身で苦労しないとどうにも得られない
モノなのである。

なんというか、缶詰の中にチョモランマの空気が入っていて
それを吸ったら美味いかというと多分それは無理で
チョモランマを登った苦労の上で吸うから薄かろうが何だろうが
美味いのだというのに似ている。

だから御上はそういうのは邪魔せず、こういうときは
ただくじけて辞めないようにそっと
誰かの言葉を届けたりして背中をおすんだろうと思う。

神は試練は与えても、達成の喜びは奪わないもんだ
アタシは少なくともそう感じている。
なんのためにか苦はあらむ
かつてアタシが接した霊能者に
アタシが作った作品について
「生まれる前にアナタがプランを作成し、
アナタは現世でそれを受け取ってつくった。」
と言われ、強烈に失望したことがある。
「それはアナタの作ったものにかわりない」
と言われても何のフォローにもならなかった。

確かにふわっと舞い降りたアイデアもあった。
だがしかし、自分の手で作ったもので未来を切り開こうと
美術をやっていた自分にとって
「全ては決まっている」
というスピリチュアルの世界の考え方と、そこで
行きていかなきゃいけないという現実はすんなりと
受け入れられるものではなかった。

変えられる運命とは何か?
必然とは何か?
その探求と、アタシが感じた屈辱に近い絶望ではなく
あくまで開拓するためのスピリチュアルを目指すなら
どう言葉を紡ぎどう使うべきなのか?
それがアタシの鑑定の原点になった。

だから、アタシは今作り上げている小さな部屋を
自分の達成感を大事に作り上げようと思っている。

クリエイティビティは人間が神によって
授けられたマニュアルではない
人間が神と対話するためのツールだ。

だからがんばろうと思う。

そうそう、一個お知らせ。
夢今翌日の4/14(土)14時から16時
開大学時代の友人、湯浅克俊木版画展のトークイベントの
ゲストに召還されました。
占いとロック話は禁じらております、どうなることか・・・
ギャラリーYUKI-SIS詳しくはここで

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