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2012年1月19日 (木)

受け入れられる才能というものの考察


馬鹿と天才は紙一重だといいますが、
天才がその非凡さを一般に認められ
馬鹿はその非凡さを受け入れ難いものと
嘲笑されるものと定義した場合

この場合の天才は、おそらく
自分は何も特別な人間ではないと
と高い確率で感じている人でないとなれない
とアタシは思ってます。

なぜならば、賞賛される才能は
一般の人の感覚がベースにないと難しいからです。
普通ならこうする、でもこのやり方だっていいんじゃないの?
と提案できる人は、相手が自分の提案に
共感できるということをベースにしてます。
この感覚は、自分もどっかしら誰かと一緒と思えてないと
もてない。

この「提案」を「表現」と言い換えると
受け入れられる作品を作るコツも見えてきます。

アタシの学生時代、オクスリに手を出すべきか?
なんて話題がそういえば何度も出た訳ですが
それは一般の人と違った世界を観た方が
非凡な個性が出せるのではないかという
幼稚な発想だったのだと思います。
普通の人が共感できない世界は結果的に
マイナーで終わる。

もし一般のルートから外れて何かをやり
それを打ち出すのであれば、
必要なことはやはり、この自分は特別でなく
だれかと一緒という感覚と、
欲をいえば誰もが話を聞いて共感できる努力、
これをするより他はないのではないかと思います。

さて、桑沢の授業も残りあと一回、
ここまで頑張ってきた学生で成績が充分な子たちを励まそうと
及第点はとったぜ!安心しな!
と教えたら、そっから先授業に出なくなったとか

課題出す時に30分以上かけて課題の中身を説明したのに
「すいません、先生、課題の意味を間違ってとってました」
という子が毎回複数でちゃうのは

やっぱアタシの感覚がずれているからなのでしょうか
オーマイガーッ!!(@Д@;

それとも、
「僕はボーッとする仕事が無ければお菓子しょくにんに
なれたけど無理だから仕方なくお菓子をもらっている!」
と堂々と言い張るようなご眷属神に関わっているせいでしょうか。
あじょーんヽ( )`ε´( )ノ

とりあえず、深く考えず
「世界の愛と平和のためにお菓子を食べ続けます」
というテトラさんの昨日の名言をアタシもパクろうと思います。

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