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2011年12月13日 (火)

エデュケーションビートスペクター

エデュケーションビートスペクター
授業を終えて4階から7階までの階段を駆け上がり
うわあ、キツっ!とか思いながらタバコをくわえ
空を観てたのね。
振り返るとあちらこちらで学生が課題をやってる。

今日の授業は初めて真剣に内容を絞り
結構な要素を削ったんだけど
(まあ、リアル浮世絵版画を持っていってみせたという
飛び道具は使ったケド)
今日は一貫して内容があって面白かったと言ってくれる
学生が出た。

アタシが学生の時に、同級生がいったんですわ
「なんだかんだアンタの家って裕福だよね?」
なんかそれが結構ひっかかって苦悩した事もあった。
だけど、家に金があるからいい作家に馴れる訳じゃない
かといってハングリーだったら成功するわけでもない。

チャンスに飛びつく勇気と
お金の使い方、人との関わり方のセンスがある奴が
自分のもった才能をうまく伸ばせて使えるんだと
いうのが本当で、

アタシはそんな表面的な要素でひっかからない知恵と
作戦を彼らに自分の持ってる時間のすべてを使って
ぎゅうぎゅうでもいいから伝えたかった。

でもさ、アタシの話を聞いてそれで理想的に育ってほしい
学生を望むことは、109やPARCOや西武や東急といった
でこぼこしたビルとそれぞれの思想で形成される渋谷の町並みを
画一的な建築に染めることを望むくらいおこがましいのでは
無いだろうかと屋上で街を観ながら思ったわけ。

全てを伝えようとしても全てが伝わる訳ではない。
アタシに出来るのは出会うことだけで。

ただ今年は裏の事情で、話聞いてんのくわあ〜!
って思うくらい苦戦した代の学生がライブに来たり
店にきたり取材申し込んでくれたりして、
ちょっと自分がやってきたことが伝わった人もいるのかなと感じたり

そのうまく行かない過程の苦悩をぽつぽつと
口に出して人に話すようになるって変化はあった。
アタシは感覚的に一人で生きていたのをやめつつある。

一人で生きてきたと書くと反発は起きるけど
この場合の一人は、自分の目の前におきる事を
過程で起きたトラブルも含め、自分の判断で考えて動く事を
孤独にやるという意味なんだけど

そのクワア!トラブル!とか
もうやめちまうか?なんて愚痴のような寝言を
ガス抜きさせてもらってその聞いてくれた相手の
コトバや思いで変わっていった流れをそのまま判断に活かす
ということをするようになり、楽になったと感じている。

人をたよって優しくなれという不動明王のコトバの通りに
動いている気がしてなんないぞクソっ。

それに関連して考えて実行した事の一つに
音楽に見切りをつけるという事があって、それはもう
がつがつ頑張って届くと願って唄を作ろうがライブをしようが
それが幅広い層に受け入れられるほどの才能を
アタシが持ってないと認めたという事なんだけど

そうでもしないと自分は無理矢理に今の生活に
何かを詰め込もうとしすぎる気がするんだよね。
音楽はライフワーク、という考えを
音楽はサブ、と言い切って一歩でも二歩でも
ひいてやっと整う何かがあるんだと自分は思う。

頑張ったところで伝わんねえよ、
という二つの選択をどう具体化していくか
これが試されていくんだろうな
と感じる昨今です。


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