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2011年9月 9日 (金)

センセの音楽。

センセの音楽。
梶井基次郎が作家の文章を写してかくとその作者の
息づかいなどを感じる事が出来て興奮する、みたいなことを
言っているが

ミュージシャンの曲もそんな気がする。
ブルーハーツを弾いていると、真島さんの曲と甲本さんの曲は
やっぱギターに対する思いの角度というか
気持ちの乗っけられ方が違うなあと思った。

曲も言葉も前のめり気味の真島さんの感じが
ちょっと少年のナイーブさが香る甲本さんよか
気持ちが乗っけやすい、個人的な気分で。

アタシのギターのセンセもギターヒーローであって
この前から彼の作った曲を弾かせていただいているのだが
驚くほど緻密でどっさりしている。

どっさりというのはそこまでギターを弾きまくってきた
経験日数と、彼が憧れたであろうギターヒーローたちへの愛とか
があふれてくる感じで、弾いているとそれが伝わって高揚してくる。

声のトーンと場所の空気でその場その場で雰囲気を作るアタシと違い
センセイの楽曲は、ここでこう弾いたらこう感じてこうなる
みたいな感覚的な計算が狂いの無い配列で並んでいて
感情の深いとこまで言い表してくるから結果的に感情が解放される。

なんだろう、ここにリンゴがあると書かれるよりも
ここに甘い香り漂う赤い皮の果実、リンゴがある
といった方がより果実としての質量を感じるような
そんな描写力を感じる。

アタシがライブペイントとすれば
センセイの楽曲はすでにダヴィンチである。
どこにかけられたとしても、足を止める人がいる。
アタシは箱の形状、使用可能な画材、そういうものを
聞いて回らなければうまく存在できない。

これがEDDIE LEGENDという人の才能なのだ
と指先と弦の振動で実感する。まだ拙い弾き方しかできないのに。

センセイがどーしてこうなったのか人生を最初から
聞いてる訳じゃないのでわからない。
でも、アタシはこのままじゃ死ぬ!でも悔しくてたまんない!!
みたいな動機でギターのネックを掴んだアタシとは
音楽との関わり方が違う気がする。

なんらかの絶望があったときに音楽が大好きだった気持ちに
帰ろうとしそうなセンセイ

すでに絶望から音楽を始めていて、楽しいなんて境地に達するのかさえ
疑問で曖昧なアタシ。

センセイに触ってもらった日にはウキウキと輝いていた
テネシアンは、アタシの気を吸ってずっしりと黒く重い。

でも、それぞれに違っているからレッスンが楽しいんだよね。
世界史でいうならヘレニズム的な何かですよ
生み出そうとしているのは。

なんてことを思いながら今夜の弁天ライブの準備中。
今日が無理な人は9/18もメオトマツザキがあり
ソロが好きな人は10/23がありますよ、
どぶねずみ男さん企画です。

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