聖誕祭といけずな神籤。
夫が29歳になりました。
お誕生日はアメ横にお買い物。しかし
導かれるように湯島天神に向かうアタシたち。
ここには菅原道真公と、
末社に夫の好きな手力雄命(何故か夫は手力のひと、と呼ぶ)
がまつられております。
お参りして夫が「びりびりきちゃった〜」
という手力先生からお告げを戴いたのですがそれが
けっこう痛い内容でした。
「この自分勝手にうかうかする馬鹿な女がそんなによいか?
お前には働くお前を陰でしっかり支えるそんな女のほうが
お前にはあっているぞ?」
とりあえず、聞こえたものは伝えました。
霊能者を伴侶にした場合にありがちなトラブルです。
夫は流すふりをしつつも
「そんなお告げとかにふりまわされてもしょーがなくね?」
と言いたげな顔。
でも、仕事柄、それを無視してよくなった事は一度もない
のを知ってるのもアタシです。
そして手力先生の言うような女になれないのも
わかってもいます。
追い打ちをかけるように
「新しい相手を捜すように」
と夫婦そろって出るみくじ。
とりあえず、ご祈祷までプレゼントしましたよ〜
てかおさがりに梅が入ってました、さすが
・・・て話じゃない。
そっから夫が彼にふさわしい相手ってのを
犠牲にしてアタシと結婚し続ける意味ってのを考えてました。
ご祈祷の時に
「別に君らを破綻させたくていってる訳じゃないからね」
と道真さまが言った気がしたんで考えてました。
お告げは手力先生でしたけど。
9年後くらいに「ごめんねやっぱ僕は」といわれる未来に
おびえながらも考えてました。
スパで泡にもまれても考えてました。
で、最近個人的に研究しているYOSHIKIのことを思い浮かべて
マッサージでうつぶせにする時に顔を突っ込む穴に
顔をめり込ませた時点でやっと気づきました。
何かを犠牲にしても新しく何かを生み出すために動くこと
それが愛なんじゃないかと。
YOSHIKIが体をボロボロにしてでも生み出すのは
Xでしかなし得ない音楽を生み出すためで
アタシが何で「こんなに目使ってんですか?」
といわれるほど首をパンパンにしてんのはやっぱ
霊視という特異な能力を発生させるためで
それはなんでかっていうと、関わるひとに喜んでほしいからで
大抵のひとはとりあえずそれが生活費なんでしょうが
でも、その生活費というのも、家族を養うためであって
仕事を頑張ってるシングルが
「何のために疲れているのかわからないわ!」
と叫ぶのは、その愛を何に対して発生させているのか
わかんないからじゃないのか?
なんてことを思った訳です。
アタシは健康オタクという人種に心を開かないのですが
それは、何かを得るためにはどっか一歩欠ける怖さを
乗り越えなきゃやっていけねーんだよ
というか
アタシはそうやって今の自分をつくってんだぜ
という自負なんだと思います。
考えてみればアタシもつわりとか
自分のための時間を10ヶ月犠牲にしてくれた
お母ちゃんから生まれたー!!!のだー!!!(自虐の詩風)
自分の存在から何かを生み出すこと、
を主婦として家庭に入ることよりも
おそらく優先していきていくアタシが
セバちゃんに何を残せるかわかりませんが
アタシが欠けさせるなにかをマッサージのお姉さんの
柔らかい指がそっと埋めてくれるように
誰かが欠けさせるものをそっと埋め合うそんなコミュニティに
セシウムにやられてもこの東京で生きていきたい
そんなことを思いました。
ちなみにマーくんは夫のプレゼントとして寝室の前に
そっとヒゲを落としていました。
仕事運がよくなるといいなと思う妻であります。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント