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2011年8月16日 (火)

不動であること、愛しのジュリアン

ストロークス、愛しのジュリアン
旦那と昨日も朝からおはYOSHIKI
夜もホルモン食べながら
むしゃむしゃ食べYOSHIKI
1日がYOSHIKI、YOSHIKIで終わっていきます。

しかし、ジワジワと思い出すのは初日のストロークス。
サングラスのジュリアンは
前回みた数年前より彼でいました。
というかバンドも。

3rdのPV曲に入った時
目頭がじんわりと熱くなりました。
彼は純粋に彼であることに。
ストロークスというバンドは
何者も意識してない空気があるのです。

ビーディーアイのリアムは
周りがどう言おうが俺たちは俺たち
という自信が声になって見えるのですが
ジュリアンはそれすらない気がした。

リアムは気になってしまう己の弱さを直視して抹殺した上での自信
(もしくは質問で聞かれざるを得ない
兄貴の存在への対応かな)
つまり何かを意識して揺れた結果確信した自信を
感じるのですが彼はそれを感じづらいのです。

もっというと
ガレージ系だとか、ムーヴメントのどこにはまるか
を意識せず、自分が影響受けたり、
ならしたい音を素直に出した結果が出てる気がするのです。

それは彼らがアメリカ人だから?
もしくはMCのサーシャが言うところの
「世界最強のお坊っちゃんバンド」
だからか。

でも家に金があったなら
根性論ややっかみに負けず
それで出来るだけ才能を伸ばすべきだと
アタシは思います。
金なんていつまであるかわかんないんですから。

あとそれに付随するかな
日本語で歌うか、英語を使うか
という選択を曲かいた後で
悩まずに済むのはやっぱりデカいよな
ともつくづく感じる訳です。

他者を意識し過ぎず羨まず
自分の道を真っ直ぐに進むという事を感じるたびに
ストロークスを思い出しそうです。

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