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2011年6月26日 (日)

中指ぢゃない、人差し指なのだ。

ロックンロールの正しい態度は抵抗と反抗と
熱に浮かされたように思った時期がありました。
でも、齢も30過ぎると世の中は反抗だけではままならぬ事を知ります。

アタクシの20代のはじめ、
予備校でとある講師が言った心に残る一言が。
「反対派はいつだって正しい、だがしかし、非難を受けても
現状を肯定し進まなければならない時はあるんだ。」
学生運動の先頭をきっていた逸話を持つ彼の言葉の重みは
アタシの心をざっくりと刻んでいきました。

そっからアタシは何にでも即反抗するとか
非難するのをやめました。

ではそんなアタシが今アタシの音楽の何に
重きを置いているかというと
多数派に沈んだなりの痛みとか
ままならぬ日々との葛藤とかへの共感であります。
ではそれは何に繋がっているのか?


昔から無意識に、ステージのロックスターをみながら
まるでステージの彼になりきったような気分になってしまう事があって、
その度にそんな自分を恥ずかしく思ってました。

でも好きなバンドであればあるほどそうなってしまうのです。
そんな折、リアムが
「rock'n'roll starって曲はステージの俺らをみてそこに
自分がいると錯覚するキッズたちの歌だ」
みたいにいってるのを聞き、それが普通なんだと思った時
やっぱ自分は、フロアの希望のために歌うんだ
と思ったのです。

だからアタシはステージに立つ時は
人差し指を上に立て、大丈夫だと
伝えなければならないと思うのです、アナタに。

君なら人生を選べる、
大丈夫だと、信じろと。

この記事の気持ちが言葉なくとも伝わるよう、
今は続けるのみだと思います。

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