
先日、散々未練たらたらブログを書いていた相手にあってきました。
クリスマスから年末、そして正月も、心境の変化がありまして、
それがなかったら話すことが出来なかったと思います。
コーヒーショップでお茶して、久しぶりとか言ってだらだらと二時間。
アタシの心が出した結論はこの男を愛してよかったということで
と、同時に、このまま彼は彼のままで変わらないでいて欲しい、という思いでした。
アタシは結局、この男を理解したかったのだと気づきました。
そして彼を北極星のように目印にして、
自分を成長させてきたように思います。
アタシが彼と再会するまでの過程で気づいた大きいことは
アタシは身体が倒れる寸前まで何かを受け入れなくてよいし
アタシの自己犠牲の度合いは人の平均値を超えていて
それに気づけてさえいなかったということでした。
あのとき彼が別れてくれなければ
アタシは彼の大事な時期をつぶしてしまったし
今日のアタシはいなかったでしょう。
「あのとき君はこういう気持ちでこう思っていたんだよね?」
という一言に彼が心からうなづいた顔をしたとき
何かエベレストにきたような気分になりました。
そしてそのとき、
この男を思わなければ、ここにたどり着けず、そして、それを知って会えた事で
必要以上の不安を人生に抱えて生きることはないのだと思うようになりました。
未練とはなんなのか?
それは人を思う気持ちのスランプなんだと思います。
新しい角度でより人間を理解できるようになるためのステップと申しますか・・・。
スランプは、自分で気づいて考えて乗り越えるもの。
そう思えば、ここに至るすべての心の痛みさえ許せる気がいたします。
写真は最近の家電自慢。
まあ、たまにはこんな感じで。