久々に呑んで心が震えた日。
先週東京梁山泊の2人と三人でお酒を呑んだとです。
本当はクリスマスにぶつけて
ブログネタにする予定でしたが
「ロビの新婚最初のクリスマスは彼女と過ごさせたい」
という極道龍の願いで急遽変更へ。
二軒を掛け持ちしたんだけども
ロビさんの話の節々から
極道龍という存在への愛が滲み出ます。
「スタジオでは色々言うこともある
でも僕はね、龍さんがやりたいようにやってくれる
その環境を作りたいし
僕もそれが楽しいんだ。」
龍さんは本当に優しい、
というロビさんも
30分に一度アタシの電車と
その後の予定を気遣う優男。
優しい龍さんはそのトークの間も
マイペースに音楽への愛を語り
間違って店の人にジャケットを
撤去されたのに気づけませんでした。
でもこの日のアタシは
「ア、アタシは」
なんて言葉を何度も発していて
気がつくとこの二人に自分の思いを聞いて欲しい
という欲求で動いていたんですね。
それは
この人たちならきっとアタシの事、
わかってくれる、みたいな
ヴィヴィアンというよりも近藤彩が要求した感情でした。
霊視や聞き役になることで得た満足は
相手の満足を引き出した事に対するカタルシスであって
アタシはどこかに人の話を聞いたら
その分君の話をしていいんだよ
という赦された環境をプライベートで
犠牲にしてきてたという事だったんでしょう。
音楽や版画や霊感がなくても
近藤彩というひとりの人間として
愛してくれる人が欲しい
という無意識の渇望が動いた夜だったみたい。
うまくいえないが
多分それは情熱的にアタシへの愛を語って貰うだけじゃ足りない何かで。
うまくいえないんだけどアタシは
お互いをリスペクトしあっている二人だから
それが疼いたらしいのです。
自分が心を開くことと、
相手を楽にするために言葉を選んで
過去を話に使うのは別な回路なのだね。
アタシは極道龍をわかっていなかった。
弾き語りのアタシのライブに足を運ぶ理由を彼は
「スジが通っているから」
と語り、
とても遠慮がちに
「このエッヂは女として幸せを得たら無くなるかも」
という恐れを口にしたんだよね。
他の人ならぶちきれる台詞だけど
遠慮がちな言い方の中に
ひとりの女としてそれを求めるアタシを尊重する気持ちと
同士愛を感じられる表現者を失うかもしんない怖さ
の葛藤を感じて、
この人はいいバンドで暴れたい人ではなくて
仲間を応援するために地下に足を運んでたんだなと
気付いて今までの自分を申し訳なく思い、
同時にそんな誤解はすでに計算の上だという
余裕と優しさを知ったんだよね。
それはささいな発言でブチ切れるアタシにはない器なのよ。
そしてそんな彼は生き様の表現として
体に爆竹を巻いて火をつけるという道を選び
ロビンはそれを一緒にステージに立つ事で支えることにしたらしい。
ぶっちゃけオガリューという人は愛されキャラではあるけど
その人を龍さん、と呼び自分の人生と時間を捧げている
ロビンという人の純粋さもまた魅力的なのです。
それがステージから伝わるからアタシは二人が好きなのよ。
アタシもここまでの信頼と理解のある人と
バンドやりたい
いや、やろう
ときめたのでした。
というわけでこんな風に心が震えました。
写真は同じくお客様からの戴きもので心が震えた逸品。
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