もともと、
もともと、
去年の今頃くらいから、そろそろバンドでやる未来がくるだろうという気がしてて
アタシはおぼろげにとある未来の映像を繰り返し見てました。
そこはステージじゃなくフラットなバーフロアで、後ろのほうで二人の男がアタシのライブ
みてまして、それで終わったあと話しかけられてバンドになる、というものでした。
もともと、
カズキックとちゃんとコンタクトとったのは20000Vで共演したときでした。
彼はその時リベルタって二人組やってて(のちに解散)、
結構デカイ音でドラム叩いててそこがいいなと思ってました。
で、何故か去年の春の学ランナイト来てくれて、
その時に「一樹君、アタシが頼んだらドラムやってくれる?」と
軽い気持ちで聞いたんですね。
したらアタシの出順の時に彼はさっそく客席でドラム叩く真似をしてました。
「なーんかドラム叩いてたねえ。」
といったら
「え、だって頼みたいって言われたから。」
という答え。
アタシジーンとしちゃって。
こんなに即動く人はいないなと強烈に印象に残ったのでした。
もともと、
アキランブルは共演してたにもかかわらず最初は会話なしでした。
まだAとGとCの曲だけでライブしてたときにいきなしトリやったことがって
そのあとでいまいちランブレッタに口聞いてもらえなかったんで
ああ、つたわらなかったんだなあ、と思ってそれっきり。
でも、BLACK VELVET LUCYのワンマンに稲毛に行ったらランブレッタが
企画のチラシ配っててそれ経由でお話してメアドを交換。
よく話す男の子だなあ、と思いつつその後ドクターにライブ観にいったり
共演のときに撮った写真をミクシイにUPしたりして日記を読むように。
なんか情にもろくて場のつなぎ役してUPダウンしとる人だなあと感じ、
そのうちお酒でものんで深く話してみたいなあと思うようになったのでした。
転機は6/8に到来。
人形町にある強運の神社にご神託を得てお参りにいったら
同じくその神社にいった直後のカズキックから企画の出演依頼が。
それが6/8でした。
ノルマのかかるライブは出ないことにしようとしてて最初は断ったのですが
その直後から不審者に絡まれたりとやばいことが起こりだしたので
これはやはりご神託と思ってうわーん、神様ごめんなさい!!
と一人で騒ぎながらオファーをうけました。
で、その日
アタシはカズキックのスリリングな2ステージ制というコンセプトの元、
GEARのフロアで歌っていました。
ゆれる聴衆の後ろのほうで確かによく目に入る二人の男。
企画者のカズキックとヘルプでたこ焼き焼きにきてたアキランブルでした。
やっぱヴィヴィアンかっこいいわ、
ワンピースでやるのがいいよねえ
と口々にいう二人をみて
「あ」
と思ったのでした。あのシチュエーションだ。
でも、ランブレッタ解散して今は打ち込みなどをやりたいというアキランブルと
そのランブレッタにいたチャッツ君と何かしたいというカズキックの現状を知り
い、言い出せない、と思ったアタシ。
でもとりあえず、何か確信があったので7月の企画でバンドデビュー宣言。
そのあとまたご神託。
今度の言葉は「そのメンバーは直前にきまる」というものでして
8月に揉め事も起こしたのもあって活動を休止し、鑑定士として夏を過ごしました。
で、アタシの誕生日9・5。
その日九州から送られてきたカズキックのバースデイメールに無性にアタシは今だと疼いて
「実はヘルプをして欲しい。」
と思い切って切り出したのでした。
返信到着。
そこには
「ブログでバンドメンバー探すって記事を読んだときになんか俺のとこに来る予感して
アキランブルにもしそうなったら二人でやろうって話をしてたんだよね。」という言葉
なんたる!
なんたる!
なんたる!
そのまま、アキランブルにも依頼のメールを打つと23時台にOKの返信が。
ひゃっほう!!キたぜ!!!
そして実際にスタジオに入りだしたのは仕込にはギリギリラインの約一ヶ月前。
それは興奮の誕生日でした。
御上がアタシにくれたプレゼント、それが・・・バンドでした。
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コメント
お疲れさまでした。
とりあえず、このブログだけ読んだら、
『凄すぎ』
『組むべきして組んだ』
と言う感じがしました。
サイコーの誕生日プレゼントですね。
投稿: 至峰山人 | 2009年11月 9日 (月) 21時19分