泣く、ということ
泣くという行為は生きるための所作なのだ、
と最近思います。
そこまで溜まりに溜まった感情を
一気に押し流してリセットしてくれる感じは
たとえ人生に極端な変化や改善がなくても
また前に進む力をくれるような。
アタシは19年同居した祖母の葬儀でも涙を見せず
死に顔にカメラさえ回していましたが
なるほどあの辺りのアタシは
涙を知らなかった代わりによく
死にたいと言っていました。
講師といういい加減なポジションのアタシにも
時々学生から悩み相談が来る事がありまして
死にたいとこぼす彼らは確かに
涙をしらぬ表情のない顔をしています。
そう考えると
喜怒哀楽というこの熟語の並びは深いですね
怒りの後で涙を流せなければ楽にはなれない、
という教えのようです。
涙もろくなることは弱くなる事ではなくて
生きやすくなることなのかもね。
画像は今日の戴き物。
いつも家族に買って帰るという芋のお菓子
並んでるお店だから先生にと思ってと
並んで買ってくれたバームクーヘン。
大事に食べます、
ありがとうございます。
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