« 幡ヶ谷junction第二夜終了 | トップページ | テトラ式ハッピーエンド。 »

2009年6月 9日 (火)

パフォーマンス性の高い自殺についてアタシが思うこと。

 画面に映ってしまってた、という状況下で開き直って話をしてしまうとしますれば、あの日当直だった鑑定士は三千 人って人間がみつめるビルの中で、なすすべもなく人が落下する瞬間を目撃したわけで、顔にはださねど個々人それぞれのショックもありましたが、翌日より心 配したお客様の電話や来訪に励まされ、業務に戻っております。鑑定士も客に支えられていると実感するこの頃、一同皆さまの気持ちに感謝しています。幸い落ちた方はニュースで知る限りでは存命のようで、このまま回復してくださればと願うばかりです。

アタシがその日の一件以来考えたのは、パフォーマンス性の高い自殺行為っていうのは高い致死率って点を除けば、極限まで凝縮された攻撃性ではないかというこ と。表現者とパフォーマンス性の高い自殺を試みる人間はとある心理が似通っていると思うんです、それは「自分の中でためにためた結果放出される結論は、他 者に放出された瞬間に核兵器並みのインパクトを持っているはずだ。」と盲信しているいう点で。似通ってるというよりは共通してるんじゃないかと思うんだけど。

その日の帰り歌う人を見て、表現ってある意味関わった人間に自分の記憶と共存して生きてほしいって行為だと思ったんです。でも自殺の記憶ってのは忌々しい記 憶の領域にカテゴライズされたその日から、忘れたいという人間に忘れられてなるものかってしがみつくように戦い続けるウイルスのようなものなんだと思うのですよ。こう思うのは孤立・熟慮思考・察知型人間である自分の実感からくるものなのですが。

怒りの根本は「どうして追い込まれている人間の心理を理解してくれないのだ」この一言に尽きるでしょう。世界は察知型の人間に世知辛く出来てます。心をダ メージしていく人間に対して「早めに人に話してストレスをためないようにしましょう」というアドバイスは出来ても「思いを話せないあなたが話しやすくする にはどうしたらいいだろう?」とは言わないし考えない。察知型の人間は彼らなりに人にネガティブな感情を話せないコンプレックスを人の痛みを早めに察知す るやさしさや聞き役としてのスキルにかえて頑張ってるのに、自分の痛みを察知して反応してくれる人間の圧倒的な不足に苦しんでいるんじゃないかと思うのです。昨日TVで家庭教師の話をやってましたけど、勉強の出来ない子にやる気を起こさせる受け皿として塾だの個人教師が発達してるみたいに、どうしても自分の弱音を吐けない人種に寄り添ったシステムだって発達してしかるべきだろうよとアタシは思ったりします。

確かに、関わったら最後、めんどくさい人間っているよ。すごく依存されてプライベートがなくなる事もあるし、そのことで喧嘩することだってある。だけど、そ んでも放っておけないとか関わらずにいられない人間ているはずなんだよ。ランシドのティムとラーズじゃないけど、どっちかが落ちても戻ってくるのを待った りできるような繋がりさえ持たないことを、忙しさとか時代のせいにしてそれでいいのかとアタシは思う。それに頑張ってる人間てみてたらわかるはずなんだけどなあ~。なんかあんまりにも「つらい時に自分から自白できないあなたが悪いですよね?」みたいな風潮と空論が横行してて、それをいうのが偉い奴みたいな 人間が相変わらず多くて日本人の美徳の思いやりの心はどうしたとアタシは思ったりします。

解決もできないし答えもないだろうけど、アタシは自分の声の届く範囲の人間に全力で関わるしかない、それがアタシの世界で道なのであるから、と結局はそんなことを思いました。これから高円寺でライブしてきます。皆さまそれではごきげんよう。

|

« 幡ヶ谷junction第二夜終了 | トップページ | テトラ式ハッピーエンド。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 幡ヶ谷junction第二夜終了 | トップページ | テトラ式ハッピーエンド。 »