拝啓、APIAのオヤジ殿。
撮影:あいこ@まぐだらのこざる/浅草クラウド0709
明日、713について記事を書きます。ぜひチェックしてみてね。
渋谷APIAという箱に出入りするようになったのは当時うちに遊びに来てた友人が「あんたの居場所はここしかない」と言ったからだ。同時期に与作みたいな名前の箱のオーディションも受けたんだけど、そこで「アコギでパワーコードで弾くなんて技術不足」とかいう理由で出直しをくらったアタシをAPIAは合格扱いにしてそれ以来ブッキングに組み入れてくれている。
事件を起こしたのは夏だった。明らかに技術が伴わないのを自覚しながら突き進むことを自分で許して客と折り合いをつけるにはアタシは自分の在り方をパンク的な衝動でみせるしかなく、アタシはここで客席に乗り込むとか拡声器持ち込むとかそういうことをやってAPIAと喧嘩して半年くらい出なかった。そん時PA室から神の声で「はいタイムオーバーですおやめなさい」と言ったのがオーナーだった。それ以来、オーナーとアタシは会話しなかったし、手に負えない女だとこのタヌキ親父は思っているに違いないと思ってた。
結果的にAPIAを出たことはそん時プラスに転じた。ライブの本数が増えていろんな箱のいろんなキャラのミュージシャンに触れたり、カヴァー曲とオリジナルを自由にやってみることでなんとなく自分のトーンをつかむことができた。あの頃、アタシはカバーとかオリジナルの垣根を超えないと自分がつかめない気がしますという一言が言えなかった。
結局ローチさんの日記でAPIAでまたやりたいなあと思って、ごめんなさいをしてAPIAに戻った時、アタシはオリジナルの数とかおおまかなスタイルが出来て楽に呼吸ができるようになっていた。季節は冬。店長のレイクさんとは話してもまだオヤジ殿は遠かった。
そんな折、ミチロウさんとの6月の共演を強力に後押ししたのは実は彼だと人づてに聞かされた。季節は5月、アタシはミチロウさんとの共演が具体的な未来になったことでステージが大きく変わっていた。アタシは半信半疑だった。そしてステージの日がきた。
アタシの35分のステージとミチロウさんの二時間が終わり、アタシは応援に来てくれた人たちと飲むビールをカウンターに買いに行った。ブースにいたのはオヤジ殿だった。あたしの顔、若干の警戒。しかし事実は思いがけない展開へ。
「よく頑張ったなあ、ヴィヴィアン!!」彼の満面の笑みの第一声にアタシは面食らった。「技術で言うことはあるけどさ、大事なのは心なんだよな」アタシは驚いている。「お客さんは日常の生活を暮らしながらステージのアーティストに自由を求める。技巧は心の自由の反対語だよ、それはわがままと言えるかも知れんが」アタシは目を見開いた。「今日のヴィヴィアンよかったよなあ!!」彼は笑顔でカウンターの常連さんに話しかけた。あたしはさらに目を見開いた。「ライトおまけしちゃったよ。でもそれはヴィヴィアン、君がさせたことなんだ。」オヤジ殿はずっと笑顔で、アタシはありがとうございますと頭を下げてヒナノってビールを飲んだ。店を出て別んとこで飲んでる友人に会うために歩く道すがら、「あの笑顔の懐かしさって何かに似てるなあ、そーよ、幼稚園の園長先生だよ」とか思った。タヌキオヤジが園長先生になった瞬間だった。
翌日、アタシはDVDを観ていた。歌ってるアタシを見ていたら、オーディションの時に話しかけてきたオヤジ殿の言葉を思い出した。「ヴィヴィアン君、君は演劇をやっていたのかい?」不安ながらも受かるんじゃねえかと思ったあの日を思い出したとき、アタシはテレビを見ながら両目から泣いてしまった。嫌われようがどうだろうが自分のやり方でアーティストを愛し続けるオヤジ殿への敬意と感謝でアタシは泣いた。よかったです、と連呼しながら理解できないブッキングにぶち込むハコやら、二度と接触のない客やら共演者やらに囲まれすぎたアタシに、その無骨な愛情の傾け方はどうにも奇特で、アタシは周りにアングラだのと言われても、他の箱に出なくなってもここでだけは歌おうと思った。
結局思うにオヤジ殿はオーディションの間にパフォーマンスと歌声とかから、心中してもいいくらいに責任とれる奴を選んでるんじゃないかと思う。途中でやめてもう一回歌いたくなって戻ってくる人とか、歌わなきゃ生きていけないだろうとか、そういうのに責任をもって付き合える覚悟ができる奴を選んでるんじゃなかろうか。だから愛情は重くて深いし、言葉も厳しくなってまう。実際、最初のころに怒られた他のアーティストが終わるまでは客席にいて共演者を見ろとか、その辺の教えは今のアタシに本当に役に立ってる。友人にするのも自分の勉強にも企画に誘うにも。やっぱ他の共演者を見ないで友人とだべったりしてる奴って、イベントを盛り上げようって精神に欠けるし、訴えてこないのよ。それを自然淘汰に任せるのか、嫌われてもいいから言葉を投げるのか。今後者の立場をとる人間はあまりにも少ない。
自分であり続けるという確固たる自由としがらみというテリトリーの中でぶつけられる感情に諦念を抱くこともあんだろう。アタシだって思うもの「こんなに深いとこから愛してやってんのに自分勝手な誤解ばっかしやがって馬鹿野郎。」でもそれを叫ぶことは笑えることでもあるのだ。音楽とは愛だ。やるほうにとってもやらせるほうにとっても。それはラヴアンドピースだとかそういうぬるい歌に許される特権ではなく、根本的にそうだ。M・J・Qやるときに言ってたミチロウさんの言葉は正しいとアタシは思う。
誰とでも健全なキャッチボールができるとは限らない。人間は誰しもが自分のスタジアムのエースで自分のマウンドをもってんの。でも人生においては自分がエースで兼任監督じゃん。だからヤジに対してイチイチ反応してたらゲーム進まないし、自分がポジション変え続けたら周りはぐちゃぐちゃ。自分が決めるまでやめらんないけど、でも自分があきらめなきゃ絶対に負けないんだあね。…っと話が大きく脱線したぜ。
今月と来月、9本のライブでどん引く客とガラガラの客席とノルマンディの大量出費をすればいい加減アタシ音楽嫌になんだろうと思ってたんだけど、どうかなあ。アタシ未来がわかんないよ。とりあえずは713、革命を起こして考えます。
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コメント
うん。あのオヤジ(哲男先生)は偉い。ほんまもんだと、おれも思う。ただ、アレン・ギンズバーグの霊が乗り移りかけてるから、そのうち英語で話し始めるかも知れんぞ。そうなるとちょっと面倒かも。いや、ヴィヴィアンの話、あまりに素晴らし過ぎるので、おれの馬鹿話でちょっと薄めてみたぜ、すまん。
投稿: 高井つよし | 2008年7月12日 (土) 14時13分
高井さん>はっはっは、キテますね、いい感じで。
ギンズバーグかあ、なんでじゃあなかなか親和しなかったんだろう?時期の問題すかね。
投稿: ヴィヴィアン | 2008年7月12日 (土) 14時43分