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2008年5月30日 (金)

狂人寸前日記総括(前編)

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先日池袋のカフェでアタシの心が壊れました。アタシはランチを待ちながら添えつけのPCでチェックしたとあるメールを読んで「ぎゃあ」とか「わあ」とか「もう耐えられない」とか泣きたくなって俯きました。アタシにも精神に本当に限界が来るんだなと感心したんですが味覚はすでにありませんでした。

 もう少し時期を待てば彼女のマインドコントロールをもっと上手に解いて親御さんのところに奪還できたのではないか?という自責の念は消えず、そんなところに間髪入れずして最近劇的にパフォーマンスが向上したアタシのライブでヤラレテシマッタ人からの一方的なメールに怒りの返信をし、みたいな状況を電話して愚痴り続けるわけにもいかず、というか精神的に疲労しきったアタシはだいたいそういう時に誰に頼っていいかわかんなくなるもんでPCにばかり書きつけるのですが反応がなく、結果的に毎日100人前後の人に精神の崩壊を見つめられながら放置されていく状況に、「俺がこうして壊れていくのを待ちながら彼らは葬式の最中に誰よりもヴィヴィアンを知っていた!と言って泣く瞬間を待っているんだろうな。」と考えておりました。一本の電話がそこにストップをかけるまでは。

 「アタシは聞き役、ポジションを崩したら関係は崩壊してしまう。」そう自覚したのは10歳の時だったと思います。家庭でも学校でもどこでも。アタシが息を吐く場所はなく、アタシはそのまま聞き上手になりました。でも心のどっかで「アタシのための聞き役がほしい、ただ黙ってアタシの言葉に耳を傾けてうなづいてくれて、アタシがおかしい素振りを見せたら誰よりも異変に気づいて大丈夫?と聞いてくれるそういう人。」という思いが消えませんでした。時に狂おしいほどに高まっていたその要求を打ち消し、殺し、なだめしていた日々をアタシは依存的オナニー野郎との戦いの日々で忘れました。てかとある霊能者がいった「あなたは人を助けられてもお前を助ける人はいない!」というお告げが駄目押しました。「与えてほしくばまず与えよ」という言葉は誰よりも実践していた気がします。その結果増やしたのは依存者で、アタシは約20年の実践をもって、「欲しい奴ばかりこの世の中にあふれたら社会が成り立たないので与えられる皆さんは反対側に回ってください」という交通整理以上の意味がないことを悟りました。ゆえにこの言葉が嫌いです。人に親切してそれが返ってくるのを待つのは松井が野球教室やってすぐにライバルができるのを期待するくらい愚かなことでした。

 で、もう一個自分を取り巻く状況で大きな発見をしました。アタシはたぶんファンが多いのです。おお、言い切るとおこがましいな笑。ブログのファンと版画のファンと霊能力者美虎先生のファンと、ヴィヴィアンのファン以外に、人格にもファンがつく、という事実に気づいていませんでした。何でみんなアタシへの過剰な愛情を語ってそのファンタジーが壊されたと激烈に怒るのか?アタシは爺さんの金を食いつぶずロクデナシビッチとしか思っていないのですが、どうも文章から感じ取る人格が相当にファンシーなようです。

 アタシの代わりに試しに例として敬愛する「町田康先生」を置いてみるとさらにすっきりしました。町田先生と携帯交換してお茶する仲になったから舞い上がる、町田先生が話の最中に自分の発言にキレたから落ち込みすぎて連絡を絶つ…etcすると一方的に自分語りして受け入れられて狂喜するのも、ブログ読んでるけど最近壊れてきてるよねと言いながら何もしてくれないという不可解な行動も理解できる。アタシそんだけの文章力あるんだったら芥川賞でも狙ったほうがいいのではないか?と思うわけです。

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