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2008年1月20日 (日)

みんないなくなっちまえばいいのにって思うことだってあるよ、頻繁に。

Dscf6936
 今週のライブ。
1/26(土) 渋谷36.5℃ 1Dつき2000円 18:00open 二番目
Soshi/コンドウアヤ。/桑名幸宏/kae

 あるジャンルをはじめたらそっから入るファンが出来るってのはすごい事なんだよ、と昔誰かが教えてくれた。元々ファンだからとかじゃなくてその前の活動を知らない誰かがやってくるということポエトリーを止めた時「もう叫ばないんですか?」と何度も聞かれた。で、今再び同じことが起こってる。「版画はやんないんですか?」と。頭では理解しているが苛立つ。元々、コンスタントに机に向かうタイプではなく、鶴の恩返しみたいに制作してる。先に展示が決まって、コンセプトが展示数日前に定まって行く過程を感じながらギリギリの緊張感の中でいつも一気に彫り上げてきた。悩みだとか迷いだとかが入り込む隙のない世界を一つ紙の上に作り上げてきた。だからむしろ、ダラダラTVみてた時間で唄を作って人前で歌ってる今、実はジャンルわけをしなきゃむしろ作品は増えている。

 体力がおちても額にしわがよりだしても、今が一番いい。パティ・スミスに憧れたときバンドは出来ないから詩と版画でロックをぶつけようと思った。でも、ギターもって一年半、僕が本当に成りたかったのは音楽をやりながら絵とか文章とかを書く人で、そうやってなりたかったものには時間がかかっても遠回りしてもちゃんとなれるというのが身をもって体験できた今、喜びを噛み締めてもいるのだ。しかし、版画だけに専念してほしいとか、一時の気の迷いだとか、そういう人の思いに触れると僕のこういう気持ちが伝わらないことに苛立つ。そして、自分とのつながりを強調する人ほど、どっかのジャンルの僕だけしか好きじゃないこと、一部の僕をみて全てを理解した気持ちになってることにもどかしい気もちになる。気付いてない彼らの見えざる本心を汲み取って僕の気持ちが離れている。彼らはそれを知らない。苦しむのは砂のように脆い感受性のせいか?言いたい奴には言わせて置けと言いきれず、思いにのたうつのはサイキックのせいか?時々、人が自覚する前の本心を読み取れてしまうときがあるらしいから。インターネットに出没するのは実は自殺行為かもしれない。いろんな人の思いを遮断することもなくそれに触れ続けなきゃいけないのだから。一部だけを溺愛されるよりも、全てに無関心でいられるほうがずっといいなんてことを最近身を持って知った。

でも、不思議と感受性もサイキックも閉じようとは思わないのは、僕の中できわっきわの作品を作りつづけるために感性を磨き続けたいという思いがそれらの痛みよりも勝っているからだと思う。最近の希望は平成13年生まれの10年後に17歳になるコドモタチだ。彼らは僕の全ての作品にフラットに触れる、版画家でロケンローで文章書き、そして霊媒という人だという出発点から僕に触れるだろう。彼らがそんな僕に触れて「かっこいい」だとか「こんな風になりたい」と思ってくれたら僕は救われる。それは日本に来日したパティのインタビューで僕が今の自分にいたる道をつくれたことへの恩返しでもある。彼らがどのジャンルをどう選ぶかを見つめたら自分なりに自分のあり方を客観的に眺めることもできるだろう。願わくば、僕がいろんな表現方法を用いて現在進行形の希望を自分のリアリティに即して語っているという部分が伝わると嬉しい。いつだってその時に一番やりたくて出来ることに取り組んできただけなのだ、僕は。多分僕は多くの人に期待して、人並みに自分のことをわかって欲しいとか思いながら、同時にもう他人なんてどうでもいいじゃんと割り切れて吹っ切れるまで心が追い詰められるのも待っている。早く人はわかりあうのではなく、つながるのだという達観に到達したい。僕の辞書に撤退の二文字なし。あるのは引き算ではなく相殺だ。またの名を落とし前ともいう。踊らされる前に踊れ、そして躍らせろ。少なくとも、僕は永遠に僕自身のファンだ。



 

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