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2007年10月15日 (月)

命とかギターとかその辺のこと。

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10/15は浅草KURAWOOD 弦生!ライブだぜ
 
 精神的に追い込まれるまでのピッチが早くなった。気がつくと電話できるだけの勢いを失って部屋をのた打ち回っている。こういうときはどうするんだっけ?泣くんだよ、確か泣けばいいんだと思い
CDをあさる。でも大半がアッパーな曲しかない。ウッドベースのズンドコズンドコで涙がだせるなら女優である。結局カートの声あたりに落ち着いておもむろにギターを触る。こういうときに触るギターは長く続く。声が伸びていくのがわかる。新しいリフを突然に覚えてしまう。ギターを横にうっちゃって天井を仰ぐと「今回も助かったみたいだなあ」という思いと、次はギター持つまで間に合うだろうか?衝動的にお陀仏したら寿命だななんてことをアンニュイな表情で考えて少し心を落ち着けようとする。この繰り返し。死ぬまで続くのかな?つくづくステージングの上達と精神的な危機は交換条件になっていると感じる。メールがくる。頼ってもいいかな?甘えてもいいかな?あれはどう思う?これはどうなんだろう?こういう内容に深刻さが伝わらないようにメールを打ち返す。どこに行っても求められるばかりだ。

 サイキックの先生によって毒の抜き方は違う。ある人は生理の血が異常な塊ででたり、ある人は一時間くらいぐっしょりと汗をかいて吐いたりする。自分の場合はギターと引きこもりなんだろう。「誰か電話くんねえかな?」「大丈夫?」っていってくんねえかな?Vivienne★が望むように僕は厳しい言葉を投げるよって人はいうけど、僕本気で弱った人に厳しくなんてしたことないけどな、僕ってそういうサドっぽいイメージなんだろうなとかいろんなことを考える。でも諦めというか達観し始めた。こういう人生でこれが恒例行事なんだと受け入れる準備さえ出来れば少しずつ女のDNAの図太さが状況を受け入れ始める。しかしシンドイよな。生活を量より質に置き換えなければと思う。シフトは始まっている。間に合うだろうか?

 この前Mixiで知り合ったばかりのミュージシャンくんが自分の過酷な病気を告白する日記を書いていた。色眼鏡で見て欲しくない、という思いで24時間後にはその日記を削除した彼の意思を尊重したいから名前を出すのは止めるんだけど、ちょっと考えさせられた。彼はいう「命があって体があることが素晴らしい、だから軽々しく死ぬっていうな」でもガールを超える年齢になってしまった自分は思う「伝えたい気持ちはわかるが定期的に死にたくなる気持ちはどうにもならない」命というものに対して、身体がピンチを発してくるものと心がピンチを発してくるものの違いってなんだろうとそれ以来ずっと考えている。でも確実にアプローチは違うのだろうと思う。ただ誤解を恐れずにいえば、身体が蝕まれる命の危機は他人に伝わりやすいだろうとは思う。でも、癌の発症の位置が胸でも胃でも腸でも末期なら同じか?といえばそうではないだろうと思う。

 それとこれは確実だと思うのは「死にたいって軽々しく言うな!」といって何がしかの絶望なり苦痛にゆがむ人の口をふさいでしまうことは根本的な解決にならないのではないかということだ。罪悪感が本心を隠してしまうことは精神の痛みに対する根本的な解決にはならないと思う。ただ、対話は有効だろう。精神の絶望にあえぐ自分の話をきいてくれた人がゆっくりと彼の病気と命について語り始めたらその驚きと深さに驚かずにいられるだろうか?同じ現在を生きる二人の人間同士の会話になったときに互いの痛みは命を媒介とした貴重な出会いになるだろう、そんな気がして僕は聞き役に回るように心がけてる。でもどうなんだろう?僕は助けてというのがとても難しい人間になったけどそれでいいのか?自炊して健全になりだした肉体に精神が慣れない昨今、ちょっと僕は暗くもある。



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コメント

以前ちょっとした病気で大学も休学して
八方塞がりだった頃
回復の兆しも全く無くて先も見えなくて
気が狂いそうだったけど
それでも何とか乗り切れたのは
多分ギターがあったお陰。
一番シンドい時はギターすら触れなかったけど
ギターくらいなら触れるくらいの時は
ギターを弾く事で自分の心が癒されてた。

その頃が、皮肉にもギターの演奏技術が
一番延びた時期だったと思う。

毒を抜くというほどのもんじゃなくても
辛い時に自分に救いの手を差し伸べてくれるのは
やはりギターの音色。
癒しのメロディーを自分で鳴らすこと自体が
自分を穏やかにしてくれる。
だから、優しい音色の弾き方ばかりを
覚えてしまったのかもしれない。

ある意味ギターは、俺の「心」にとっての命の恩人。

投稿: yohey | 2007年10月16日 (火) 22時44分

甘える&甘えないって耐久ラリーに似ていると勝手に思って
いるぺこ虫です、こんばんわ。

途中休憩して甘えちゃうかそのままやり続けて優しさNo.1に
なるかとゆー、他者との駆け引きと自らの求道がこのレース
の眼目。ラリーらしく、コースがやたらと広いので他の参加
者が走ってても姿を見つけられなかったり。

リタイアするか続けて先を目指すか、あるいはどこかで休憩
するか、変なとこで車を止めた日にゃ逆にえらい目にあうし
なあとか、色々考えるわけですね。
君の順位はけっこう先頭の方なのかもしれないっす。
レースの先頭ってのは精神力を使うとこだねきっと。

というわけで次回会う時の議題を選ぶならこのラリーの走破
方法どうしたもんかという方向で。
「甘え」にかけてケーキでも食べながら、とかね。

投稿: ぺこ虫よねっく:一筆箋的にお邪魔しました | 2007年10月17日 (水) 02時00分

yohey>そんなことがあったんだねえ。この木何の木にいたるまで。

ヨネ>いいね、ケーキ。暇できたら誘って。

投稿: Vivienne★ | 2007年10月17日 (水) 04時01分

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