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2007年10月20日 (土)

未来が見えすぎて今を生ききれない苦悩に一人戸惑い続けていた。

Dscf5861
追加公演
10/26 今川勉さん個展会場にてライブ 出番二番目駒込 入場料500円 
     詳細 http://blog.goo.ne.jp/powerdrum335/
     今川さんはエコーズやKAIFIVEのドラマーさんであります。
 http://blog.goo.ne.jp/powerdrum335/e/a751bb1cdcefd80b5fc652c9b312ec32    
11/16 学芸大学アジアンカフェ 
11/30 渋谷 36°5 確か1500円 出番TOP
12/1 渋谷APIA(復帰ライブ)
    いろいろあったけども一度戻ることに。

 最初は苦悩になるなんて思ってもみなかったんだよ。本当になるかって不安と、確かに本当に起こったことの繰り返しが正直面白くもあった。でも見えた映像と感知した感覚と実際の現象との照合深度が深くなるにつれ僕はそれに自分が振り回されはじめていた。自分の未来だけが見えない人もいる、でも僕はそうならなかった。この先も自分がもの凄い拒否をすれば見えなくなるかもだけど僕はそれを本気で願うことはないだろう。自分を直視できない人間が人の人生に対して偉そうなこといえるかよ、これが僕の哲学なのだ。

 ある一瞬映像がよぎる。だけどその未来はどういう経路をたどって現実のものになるかはわからない。僕はごく自然にそれに至るであろう現在の出来事や可能性を糸を手繰るように探し始める。結果的にそれは今の自分を未来のどっかの自分に上手に当てはめようとする行為になり、ある理想を抱いてそうなれるように努力するという希望のベクトルを僕から奪った。それは第三者がやってきて「あなたは将来きっとこうなれるわ。」と伝えてくることとは異質なものだ。何故なら自分はもうそれに対して「知っている」という感覚で接しているのだから。「だといいですね。」と言えるものにはまだスーパーのかごに入れて持ち運ぶくらいの気楽さがある。と、同時に見えたり感じたりする莫然としながらも確信しているものへの不安は人に話しても解消されない。「そんなもん、おこってみないとわかんないじゃん?」違うよ、わかってるんだよと心でうつむく自分。不安の根源はいつも「起こるかもしれない」ではなくて「起こったときに受け入れるのにまだ自信がない」という所にある。人に話す前に呟くようになった、三代目魚武の詩「世界が終わっても気にするな 俺の店は開いている」言われたかった事は多分「大丈夫だよ、もしもそれが起こっても僕は傍にいてあげる」というようなこと。言われないから自分がそういうようになった。

悪い予感はまだましだった。実現しないように意識を反らして、現実になる前にルートを少し変えるように行動をずらす。そんな風にして実際に見えたのと同じ風景を通ったけど自分は見えたのと同じ悲劇に見舞われないで済んだ、くらいの回避をするために今にしがみつける。問題は未来が明るい時だ。その未来に到達するまでの自分を油断しないように律し続ける厳しさにエネルギーを使い、同時にそんな未来がとてもやってきそうもないほどの現実の空しい落差に苛立ってばかりだ。明るすぎる未来の展望は人に話しづらくもある。どんだけお前はお気楽で自信過剰だ?と思われることに僕の心は強くない。

 未来と過去世というビジョンを自分のであれ人のものであれ行き来することは回数が高まると短期間に喜怒哀楽を繰り返すような感情の揺さぶりと同じくらいの疲労を脳に課す。何にも行動しちゃいないのに頭だけがつかれきって鬱みたいにへたり込む。僕は切に願っている、寂しがりだと思われても何でもいいから自分が今必要とされているところにいかないと、そして属さないといけないと。サイキックは僕を構成する重要な要素だが、それ以前に近藤彩という生身の人間とか個性に中心をおかなきゃきっと発狂してしまう。

 でもこの前やっと活路を見出した。ニュートンで光とか宇宙の科学に関する文献を読み漁っていたときのこと。今見えてる星の光は過去に輝いたものだ、という一文。ああ、きっと僕の見る未来は今の自分が何かを思ったり行動したときに発生した光の素のようなものに違いない、と。現実化までの距離と方向性が地球に届くまでの光のタイムラグに相当するならばやっぱり今が未来を作りかえられると言えるはずだ。光の向きを変えるように、その到達する場所を変えるように。これは詭弁でないと祈ってる。何故なら魂は光であるといわれ、僕らは確かに宇宙の一部なのだから。わかんない人ごめん、今日は走り書き。

写真は浅草KURAWOODにて熊先生撮影。




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コメント

先の映像が見えてしまうってのは
自分がそうだったらと思うと
想像しただけでもゾッとするな。
確かに、もし見えたものが
絶対にたどり着くゴールだとすれば
望まない結果が見えた瞬間に
それに対して努力する気力が捥がれる。
今の自分の場合、結果が出るかどうかは
分からないけれど、それに向かって頑張る事の美学が
あまりにも大きなウェートを占めてるから
先が見えようものなら、今の自分の価値観の多くを
根こそぎ無意味なものに変えてしまうかもしれない。
それは怖い。

明るすぎる未来について、周りに
自信過剰だとか気楽やとか言って批判するやつがいたら
そういう人は、大抵自分自身は何の挑戦も
してない人が多い気がする。
してるとしても、現実的に可能な範囲でしかない。
成し遂げるのが大きな事であればあるほど、
その可能性は下がるわけで、それでも突き進むためには、
根拠のない自信みたいなものは絶対必要だと思うから。
少なくとも踏み出すはじめの一歩の段階では。

踏み出すことへの勇気や気力も推し量れず
ハナっから可能性を否定するヤツなんて
大した懐は持ってない。
自分が傷つくことはないやろ。
言わせておけばいいんよ。ほっときゃいい。
付き合ったって、面白くない。
そんな奴ら。

先で見えたものが、変更可能なものだったらいいね。
そう願うばかり。

投稿: yohey | 2007年10月21日 (日) 13時53分

yoheyくん>いつもコメントをありがとう。確かにモチベーションとか価値観は大きく変ったと思う、自分自身。どう取り戻すかを考えながら進んでいる最中ではある。

いわせておく、という慣れが生まれるにはもうちょっと時間がかかりそうよ。

投稿: Vivienne★ | 2007年10月22日 (月) 12時31分

初めまして。
すごい詩に感激しました。
『未来が見えたら』で検索かけたらここにたどり着きました。
その答えが知りたかったからです。
自分は今,映画『マトリックス』のように4年前にある人から受けた予言事が現実として様々な形で表れてます。そして別の方から半年前にもらった予言が同じように起こっていたりします。
とはいえ、自分自身で見たものではないんですよね。
そう考えるとまだ楽なのかなとも思えます。
でも実際にもらった予言はどんな形であれ100%『話としてもらった瞬間』にはたどり着いています。
そのせいで、一週間ほど『今を生きる』と言う事について一日8時間以上何もできずに悩みました。
『今』なのに『すでに』と言う風に結果が出ているように思えてしまったからです
でも考えてもその答えはやはり出ませんでした。
考えても解らないものは解らなかったからです。
ただ一つ解った事はここで書かれていた通り『星の光の話』であるのと同じようにも考えられました。

今をどんな形で生きるかによって予言の形、その瞬間までの『過程』が変わるのだとも思いました。
僕はその『過程』を頼めるように『今を生きる』事にします。
これからも心に響く詩をたくさん聞かせてくださいね。
ちょくちょく見に来させていただきます。

投稿: d | 2010年5月26日 (水) 10時37分

dさん>あなたがコメントをくれたおかげで、まだアタシが性別を決めかねていた頃の自分に会えました。
アタシは大分図太い人になりましたが、さらにぐちゃぐちゃな自分も残しておくことに意味があるのだなと思いました。ありがとう♪

投稿: ヴィヴィアン | 2010年5月26日 (水) 16時38分

図太い人・・・ですか。
僕自身とてつもなく弱い人なのでまずはいろんな意味でそこを目指します。
簡単に動揺したり折れない強さ。
生きていくのには必要ですね。
『優しい』だけではダメ見たいです。
頑張ります^^

投稿: d | 2010年5月27日 (木) 08時00分

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