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2007年10月28日 (日)

11月のライブ情報

Dscf6017
写真は駒込でのライブより。
今川さんとのツーショット(いやスリー?)写真ですばい。
イヒヒ。では、スケジュールと見所をイキマショウ!!


10/29(木) 浅草KURAWOOD 2800円+1D(前売り2500円) 
酒ヶナイト 
出番18:30~ OPEN18:00/START18:30
サボテン/ブルードーナツ/次元/馬浪マラカス団/Vivienne★Kick
DJ:飯島誓(勝手にしやがれ)/中島徹也(Oldfashion)
/久恵良太(東京ハウリングレコード
http://www.kurawood.jp/

こここここ、これが問題の勝手にしやがれメンバーさんとタイバンの
オトナナイトの夜ですよ。次元さんはタイバンしたことあるんだけど
オトナ女性ボーカルなクールなユニットなんだな。Vivienne★って呼びづらいらしく
キックって呼ばれました。ブルードーナツさんも勝手さんのメンバーとのこと。
なんかやっぱ豪華なんじゃないか?って思うよね。
個人的には久恵君に再会できるのがうれしかったり。
すでに三人予約入ってるのもうれしかったり。
高いライブはそんだけすごいんだよ!!

11/7(水)下北沢LOFT
OPEN18:30/START19:00
1D込み2000円 出番は19:40~

dewi puspita   翼                 Vivienne★Kick  稼農慧
店長のナガサワさんはひげがキュートな素敵なおじ様です。
大体僕はここに出るたびになんかやらかしたり
一人だけ客が来なかったりしてへこむのですがいつも
本当は「次も....」って言いたいのに言い出せない乙女心を
いつも察知してくれています。実は外部情報で問題児だと
思われているようなので「無理をしてはいけません」といいたいのに
出たいから隠しちゃう、みたいな。まあ、いいやね。

11/13(火) 高円寺20000V 
OPEN18:00/START18:30
adv.1500/door.1800 +1D600

これも前座。どんな人たちと対バンなのか詳細不明ですが
ポエトリーライブの音源を聴いて出演を即決してもらえました。
ここでMINESOTAVOODOOMENのFABIANさんに出会った思い出のハコです。
こっそり持ち込んだズブロッカをストレートで飲みながら
「これはピカソの愛した酒だぜ!」と教えてくれました。今も素敵な男性です。

11/14(水)浅草KURAWOOD 
何でもスリーピースのガレージバンドの間にサブステージから
ちょこちょこ何回も出るらしいです。面白いけど最後まで気が抜けない
という事実にいまさら気がつきました。大丈夫なのか、Vivienne★
しまいにノリの悪い客に切れたりしないようにしないと。 

11/16 学芸大学アジアンカフェ 20:30~ チャージ500円
http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-satoh/asian%81@cafe.html

えーと私の愛する坂口憲二さんに似てなくもない熊先生こと熊倉くんが
ブッキングマネージャーをしているセッションバーです。熊先生はギターを
引き出すと「うにいいいいん」とか、なんかよくシビレています。
熊先生を紹介してくれたつよちんさんもよくしびれているのですが
この前のライブでどうしてそんなに痺れているのかきいてみたんですが
勝手にそうなるからわかんないんだそうです。
本人にわかんないものは自分が体験するしかないので真似しているのですが
うまく痺れることができません。たぶん神の業でしょう。
つよちんこと木原さんのユニットluminoさんの
11/25のイベントに彼も出るので一回観てギターの神様がおりてる姿を
観てはいかがでしょう。下北沢LOFTです。

11/24(土) 東高円寺カットー 1000円+1D
1000円+1D 18:20~ 出番19:20

エイトgo to bed/J.Sトライアングル/Vivienne★kick/ウタウライダー/ストロベリー・クラッシュ

この日はストロベリークラッシュさんの名曲「ねこだにゃん」が聞けますね。
栃木だったかな...からいらっしゃるんです。二人組みだけどボーカルのおねえさん
が男前でねえ。なんか友達になれそうな雰囲気です。
ちなみに僕は昨日作った新曲を二曲ともできたらなとか思ってみたり。

11/30 渋谷 36°5 確か1500円? 出番TOP
http://365.seishun-p.com/

デミダス木下くんは本当に面白いハコにいざなってくれる浦島太郎みたいなもんで
ここも凄く気に入っちゃって出ることにしました。ノブ店長が長身でスリーピースバンド
やってて声が渋くてかっこいい、とかその辺の事情も大きすぎるほどに絡んでます。
オト友達がまた出来るといいな~。

12/1(土) 渋谷APIA(復帰ライブ)
    いろいろあったけども一度戻ることに。

12/12(水)浅草KURAWOOD

12/19(水)Vivienne★初企画ライブ
「冬将軍だよヤァヤァヤァ!」

.....で、ラ・ミステ・ヤスラギは火曜・木曜で鑑定中です。

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2007年10月26日 (金)

明日は駒込で今川勉さんの個展ライブに出演。

Dscf5860

辻仁成さんのエコーズ、甲斐よしひろさんのKAI FIVEでドラムを叩いた
今川勉さんの個展のオープニングイベントに出ることになりました。
当日彼からもコメントがもらえるらしいです。

えへ。

入場料は500円。

なんでもね、'94年、突然の動脈瘤乖離(心臓が20分停止)という病気におそわれて
それでもリハビリをくりかえしてバンド再開にもっていったとか。

よかったらあそびに。
http://www.la-grotte.com/event/

■個展開催時間(開場時間)
  10/26(金) 18:00~22:00 あたし19:20~
  10/27(土) 15:00~21:00
  10/28(日) 15:00~21:00

■個展入場料 @500円(オリジナル・ポストカード、1D付)
  ※10/28のイベント時のみ、+1000円 = @1,500となります。

■イベント・スケジュール
  10/26(金) 自由参加パフォーマンス・ナイト!参加者、大募集!
  10/27(土) 今川 勉 ライブ・ペインティング!
  10/28(日) 今川 勉&王様 トーク・ショー&ミニ・ライブ!

で、土曜日はTaja のワンマンに遊びに行きます。
Tajaは私の版画を何度もヒューチャーしてくれたユニット。
http://taja.kir.jp/index.htm
きっかけはレインボーブラッド君がつくってくれた。

最初はなっぽさん(マイミク)のむき出しの歌い方に
すごく影響された僕。僕も血を吐くように詞をつくってたから。

でもなっぽさんはヘンリーのママンになってよりいっそう
その生命って感じを突き抜ける力強さにどんどん変えていった気がする。
大地に木の幹とか枝とかがさ、
わさわさわさわさあああああああああ!!!!
って生えていく気がするんだよ、歌をきくと。
それを久々に体験してきます。

10月27日(土)
Taja 2nd One-man live [COME HOME with LOVE]
~shibuya de一軒家 special version「オカエリ」~
@渋谷 7th Floor

Live :Taja, カタタチサト、NATA
Dj : moo,  Ken-chang

●place  渋谷7th Floor  
●open 18:00 / Start 19:00 (3部構成/live end 22:00)
●charge 3000円(1dr.つき)/
一軒家特製「となりの晩ご飯」500円

●チケット御予約: taja@kagoya.net
●お問い合わせ>>渋谷7th Floor:03-3462-4466

@7th Floor>>東京都渋谷区円山町2-3  O-WESTビル 7階
渋谷駅から徒歩3分。道玄坂の上にあるホテル街、
円山町にあるO-EASTの向かいのビル。
エレベーターで7階へ。夜景の美しい、ご飯のおいしい、
居心地のいいレストランライブハウスです。

ちなみに、円山町には強いチカラのお稲荷さんがいるんだわ。
あー名前忘れちゃった。お参りしてます、いつも。 

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2007年10月25日 (木)

音楽に人生かけるなんて茶番にすぎない。

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オレサマこと鑑定所のアニキが誕生日プレゼントに傘をくれました。こういうささやかなプレゼントが得意な人です。傘の先には豚がついてました。「美虎先生はなんか豚だった。」という部分をつっ込まずにやり過ごすためには、彼が次に言ったステューピッドじゃなくてステューピッグな感じってところをバカみたく強調して遊ぶしかありません。愛情は時々とんでもない馬鹿の皮をかぶって立ちあらわれるようです。

 に、近いか遠いかは別ですがエイミーワインハウスって女の人のCDを買いました。一曲目から声が舐めてました。意味がどうとかそういうレベルの話じゃなくてこの人は人生を舐めているなあとつくづく思いました。10代から酒と男とか、ライブを時々すっぽかすとかその辺が彼女の宣伝文句になってますけど、たまらなくいい。ついで言えば彼女のポートレイトの胸の谷間がバックリしてるところもコメントしづらくてそれがまたいい感じです。話がいきなり変わりますが、フリー雑誌でどっかのライブハウスの支配人?の息子が親父の店を手伝った感想として「音楽は趣味の要素が必要で人生かけてるやつはつまらん」みたいなニュアンスを話したのを読んだ事があるんです。その時は夏で僕は人身事故に巻き込まれながらも遠征とかまでして音楽をやってた頃だったんで「な、なにを~」って思ったんですが、エイミーを聞いた後ではなるほど納得ガッテンガッテンです。

一点集中しすぎてる奴にとって全体を捉えてその上で自分の声を載せるとかそういうのって確かにわかりづらい。もっといえば歌って言葉自体訴えるということから来てるらしくて、歌が宗教行事であった経緯まで考えたり、民話とか童謡のレベルで考えると歌で金をもらって生活するとかライブノルマ埋めるとかってのもとんだ茶番かもしれません。一緒に夕焼け小焼けの赤とんぼ歌ってたみよちゃんがある日突然「あたしの歌うまいでしょ、聴きたいのならお金頂戴。」って手を差し出すようなもんです。人前にでてお金もらって其処に価値を持とうとするなんてやっぱ厚かましさMAXかもしれない。考えてみればブルーズだって境遇の愚痴を音楽にしていったものだという過程を踏まえたなら、やっぱ音楽で通じるっていうのは本職の余分のわき腹の贅肉部分の心の隙間みたいなとこにスポッとはまるから仕事頑張れたり心の支えになれる類のものなんでしょう。そう考えたら僕も芸術の部分は副業にうっちゃって本職がほしくなりました。やっぱゆくゆくの肩書きは主婦でしょうか?結婚願望が大きく膨らんだところに青木さんも結婚したしね、大変ですよ。

ちょっと前に鑑定所の近くにあったボクシングジムの見学にいったんです、帰り道僕は考えました。「何ゆえに殴りたいのか?」と。護身とか体力増強とか例は浮かんだけど、自分の内心が語ったものはもっとシンプルでした。「殴りたいから殴るんだよ。」そう、人を殴りたい気持ちに理由なんかないかもしれない。そう考えたら生きてるとかその辺のことにも理由はないかもしれない。自分探しは相変わらず流行っているけど、多分僕は自分探しの旅の過程で得るものは、時間を置いたことで達成される感覚の平穏とか安定だとかその辺だと思います。正常に戻ってノーマルになったのを人は発見だと勘違いするのではないでしょうか?そんな僕が愛しているのは養老先生です。「人間の自然の一部だから自然同様移り変わるのに、人間だけが普遍で自然だけが移り変わると錯覚してる」という言葉はズシッときました。病気を持った友人たちはいつも存在で僕に教えてくれます。「なんでも出来るとか思ってるみたいだけど所詮人間にできることなんて限られてるぜ?」そして僕はカッカッカッカアアくらいに恥じて何でも出来るはずなのに出来ないといった類のおごりを棄てるのです。さて金曜日僕は今川さんの希望になれるのでしょうか?

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2007年10月24日 (水)

KIDS-KISS-KIDS

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 僕が音楽を始めてまもない頃、君のライブは行き場のなさを感じている子供達に届けるべきものだよ!といって励ましてくれた人が何人かいた。詞のセンスとかその辺も含めてだったけど嬉しかったのを覚えてる。嬉しかったばかりか励みになった。で、コドモに届けとばかりに頑張った。しかしだ、一年ばっかしたったけどよ、そんなガキ地球上の何処にもいやしねえっつーの。対バンしたいわゆるギャルバンちゃんの若いお友達の前でもやったけど全くもって届かなかったしよ。だからもういいことにした。架空の存在しないガキのために俺の音楽はありゃしねえよ、そんな感じだ。ものすごい矛盾を感じるかもしれいけど僕は見えないものは信じないコトにしている。ただ見えないの範疇が一般の人より若干ルーズなだけだ。見えないし感じないただ推し量る領域のものに心を動かさないという決断は自分の精神の安定を守りきるためにしたことでもある。

 今日は愛すべきK沢の生徒の作品の中間講評をした。ひょっとしたら今の生徒君たちもリアルタイムでこれを読んでるかもしれないけど、先生はちょっと愕然としちゃったよ。全員ではないけどさ、君達にはとても大きな特徴があった。それは君達の感性が決められたルールに対してあわせるために発揮する日常があまりにも習慣づいていて、自由なイマジネーションが育ってないということだ。僕は昔人物を描くって課題を20歳のころにやったことがあったんだけど、その時自分はあてがわれたモデルよりも自分のリストカッターとしての20歳を描ききることでその自分にサヨナラをしたかったんだわ。だから担当教授にいったのよ、「先生、僕人物の課題で自分を描きたいんですがそれでもいいですか?」って。だからモデルさんが入っている時間中僕は彼女に背を向けてずっと自分を描いてたよ。僕は今日何度も言った「いい?課題にあわせて自分の感性を型にはめて提示することが表現じゃない、時には自分のやりたいことに世界を従わせるか、接点をみつけて手をつなぐんだよ?」君たちに僕の願いはどんだけ届いただろうか?きっと抽象的すぎて伝わらないこともまだたくさんあると思う。でもさ、課題が自分のリアリティややりたいことにあってないからといって拒否したりドロップアウトしたり泣いたり逃げたりしちゃいけないんだ、ぶつかるだけがカベじゃない。登ったりあえて近道してもいいからカベ(課題)という概念を自分なりのスタンスで攻略してほしい、僕はそんなことを切に願ったよ。

 君たちの感受性を嘆いて最近の学生はクリエイティビティにかけている、と言うことはすごく楽チンだと思う、でもこれは君たちとたかだか10歳前後しか離れていない僕にも実はリアリティのある問題なんだ。最近の若いもんはというには僕にはバイタリティがありすぎる。だから同じロストジェネレーションを生きる世代として、僕は感受性を自由に出すってこういうことだぜ?と言う努力をあきらめないだろう。未来のある君たちに絶望する理由なんて何一つない。ただ水門を開くだけだ。そしてたぶん、僕にとってのリアリティのある子供達はたぶん君等の事なんだと今は思ってる。

 今日ガイアの夜明けを作りたての自炊飯とワイン飲みながら観てたんだけど、オークションで絵画が一生かかっても手に出来ないお金がやり取りされる様をみながら僕は一体だれに作品を買ってもらえたら幸せなのかを考えていた。そして僕が現代美術より音楽に傾倒した理由を再確認した。名作であればあるほど高値になるアートよりも、名盤になるほど廉価になりたくさん流通する音楽のほうがキッズによっぽど届くからだ。でももし遊び心のあるキュレーターがいたらバカみたいに高値でアートフェアにだすかもしれないな。金持ちに高値を記録させてもらってキッズの希望になろうぜ?とか笑いあってさ。

写真:ミネストローネとほうれん草パスタとロゼワインと写真に写るパン。機嫌がいい。

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2007年10月20日 (土)

未来が見えすぎて今を生ききれない苦悩に一人戸惑い続けていた。

Dscf5861
追加公演
10/26 今川勉さん個展会場にてライブ 出番二番目駒込 入場料500円 
     詳細 http://blog.goo.ne.jp/powerdrum335/
     今川さんはエコーズやKAIFIVEのドラマーさんであります。
 http://blog.goo.ne.jp/powerdrum335/e/a751bb1cdcefd80b5fc652c9b312ec32    
11/16 学芸大学アジアンカフェ 
11/30 渋谷 36°5 確か1500円 出番TOP
12/1 渋谷APIA(復帰ライブ)
    いろいろあったけども一度戻ることに。

 最初は苦悩になるなんて思ってもみなかったんだよ。本当になるかって不安と、確かに本当に起こったことの繰り返しが正直面白くもあった。でも見えた映像と感知した感覚と実際の現象との照合深度が深くなるにつれ僕はそれに自分が振り回されはじめていた。自分の未来だけが見えない人もいる、でも僕はそうならなかった。この先も自分がもの凄い拒否をすれば見えなくなるかもだけど僕はそれを本気で願うことはないだろう。自分を直視できない人間が人の人生に対して偉そうなこといえるかよ、これが僕の哲学なのだ。

 ある一瞬映像がよぎる。だけどその未来はどういう経路をたどって現実のものになるかはわからない。僕はごく自然にそれに至るであろう現在の出来事や可能性を糸を手繰るように探し始める。結果的にそれは今の自分を未来のどっかの自分に上手に当てはめようとする行為になり、ある理想を抱いてそうなれるように努力するという希望のベクトルを僕から奪った。それは第三者がやってきて「あなたは将来きっとこうなれるわ。」と伝えてくることとは異質なものだ。何故なら自分はもうそれに対して「知っている」という感覚で接しているのだから。「だといいですね。」と言えるものにはまだスーパーのかごに入れて持ち運ぶくらいの気楽さがある。と、同時に見えたり感じたりする莫然としながらも確信しているものへの不安は人に話しても解消されない。「そんなもん、おこってみないとわかんないじゃん?」違うよ、わかってるんだよと心でうつむく自分。不安の根源はいつも「起こるかもしれない」ではなくて「起こったときに受け入れるのにまだ自信がない」という所にある。人に話す前に呟くようになった、三代目魚武の詩「世界が終わっても気にするな 俺の店は開いている」言われたかった事は多分「大丈夫だよ、もしもそれが起こっても僕は傍にいてあげる」というようなこと。言われないから自分がそういうようになった。

悪い予感はまだましだった。実現しないように意識を反らして、現実になる前にルートを少し変えるように行動をずらす。そんな風にして実際に見えたのと同じ風景を通ったけど自分は見えたのと同じ悲劇に見舞われないで済んだ、くらいの回避をするために今にしがみつける。問題は未来が明るい時だ。その未来に到達するまでの自分を油断しないように律し続ける厳しさにエネルギーを使い、同時にそんな未来がとてもやってきそうもないほどの現実の空しい落差に苛立ってばかりだ。明るすぎる未来の展望は人に話しづらくもある。どんだけお前はお気楽で自信過剰だ?と思われることに僕の心は強くない。

 未来と過去世というビジョンを自分のであれ人のものであれ行き来することは回数が高まると短期間に喜怒哀楽を繰り返すような感情の揺さぶりと同じくらいの疲労を脳に課す。何にも行動しちゃいないのに頭だけがつかれきって鬱みたいにへたり込む。僕は切に願っている、寂しがりだと思われても何でもいいから自分が今必要とされているところにいかないと、そして属さないといけないと。サイキックは僕を構成する重要な要素だが、それ以前に近藤彩という生身の人間とか個性に中心をおかなきゃきっと発狂してしまう。

 でもこの前やっと活路を見出した。ニュートンで光とか宇宙の科学に関する文献を読み漁っていたときのこと。今見えてる星の光は過去に輝いたものだ、という一文。ああ、きっと僕の見る未来は今の自分が何かを思ったり行動したときに発生した光の素のようなものに違いない、と。現実化までの距離と方向性が地球に届くまでの光のタイムラグに相当するならばやっぱり今が未来を作りかえられると言えるはずだ。光の向きを変えるように、その到達する場所を変えるように。これは詭弁でないと祈ってる。何故なら魂は光であるといわれ、僕らは確かに宇宙の一部なのだから。わかんない人ごめん、今日は走り書き。

写真は浅草KURAWOODにて熊先生撮影。




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2007年10月18日 (木)

生きてるうちは負けないの。

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 昨日は渋谷でライブだった。今回の企画者のデミダス木下君ことデミちゃんが途中から「今日はVivienne★さんと話すから」と前の席を陣取った。デミちゃんは話すときテレなのか右側に視点をずらして首を傾ける癖がある。なので坊主頭の彼の意外に長くてカールした睫毛が記憶に残るのだ。「Vivienne★さんは人にすごく期待しているのがよく分かるんですよ。」と彼は言った。期待か、そういわれてみれば。「甘えたいけどその甘える方法がよくわからないだけじゃないですかね?」と彼は続けた。しかしこの人鋭いよな、MCへの突込みからセンスを感じてたけど、するやっぱアレだな、今まではデミといったらムーアだったけど今度からはキノシタだね。そーよ間違いない、なんてそんなことを考えていた。とはいえ、その言葉に対して「そうよね、そうしよう。でも出来ないのよ~。」というより、なんとなく過去の自分を振り返る気持ちになったので、ああ、僕は本当に甘えたい自分を過去にしちまったなと思った。

 

 僕の中には人の期待にこたえたいと思って行動する衝動が、多分他の人よりアベレージが高い。と、いうのも無条件で自分はこの世界にいるべき人間で、必要とされているという実感を感じにくいからだ。「あなたはいるだけで大事」、とハグとかそういうスキンシップみたいなことで教えられた記憶が薄く、小さいころから「私が聞き役にならなければ….」と頑張っていた家庭環境のせいなのか、前世とかそういうものからの性質か、人間的にもともとそういう性質なのかはわからない。現代の大半の人なら家庭環境に原因を求めるんだろうけど、僕は性質説をとる。だって赤ん坊は自分で生まれてくる家を選ぶともいうんだぜ。だったら今の僕はやっぱり、元々頼られるポジションにたつキャラなんでそれを全うできるように人生のコマを進めていると思うほうがやっぱり気持ちがいいんだよなあ。

 

 先日鑑定中に憑依現象というか守護霊バックドロップ!みたいな現象を初体験した僕に電話番の兄貴が急いで缶コーヒーを買ってきてくれた。胸に充満する自分だとか自分じゃないものとかの悲しみとかの感情で目を真っ赤にしていたという僕に、にこっと笑って彼は言った。「みとらん、生きてるうちは負けないの、死んだときが負け、そして人間一度は必ず負ける。」「僕たちはチームみたいなもんでしょう?」なんとなくホッとした。そんな彼に礼をいうと「僕は好きでやってるだけよん?」といってドアの鍵を閉めた。全部を好きでやっているってフィールドにおいて置き続けるのに後どれくらいの時間がかかるんだろう。悔しいことはたくさん、日本の友人たちに向けて作った版画がアメリカでうけちゃったり、凄く歳の若い子達にライブハウスで笑われまくってステージに立ったり。

 

「もう30歳も間近になって虐げられまくりですよ?それを達観する事もできないで。バカだって思いません?先生?」ライブの前、渋谷駅前で僕は木版画師匠のアヨミ先生とコーヒーやさんで会話をしていた。彼女は笑いながら「いい生きかたしてんじゃないのよ、キック」といった。「私だって腹立つこといっぱいあったわよ、でもそういう垢をいっぱい出しまくって今になったのよ。」そうなのだ、そして僕の木版ティーチャーであるAyomi Yoshidaは年齢を超越した恐るべきBeatiful Creatureになった。早熟なデビューとか脅威の新人になれなかった今、僕がすることは多分年齢を超越することだ。カラマワリする暴れ馬である自分をいかにコントロールするか、地に足をつけるかそこが問題だ。未来が見えてしまうことがあなたをカラマワリさせてるのね、なんて霊媒さんにいわれるし。課題は山積み、やってらんない。でもちょっと笑えるな。前人未踏の領域をひた走る、俺の苦悩を露の一滴も分けてたまるかコン畜生。

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2007年10月17日 (水)

ヒトリヨガリは俺の生き方。

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10/17(水)
渋谷36'5℃
~きっかけは36'5℃Vol.1~
18:30オープン
1.19:00Vivienne★Kick /2.19:20木下デミタス一郎 /3.19:40ポケットSong
4.20:00右手swing record /5.20:20ロバ /6.20:40マウントフジ
7.21:00高田リオン /8.21:20AUGUST INDIAN
お代1500円とドリンク代

GにいってC,GにいってC,あの印象的なリフでSMELLS…が始まったとき、僕は御徒町から乗り換えた都営大江戸線のホームで蔵前行きの電車を待っていた。ちょうどカートが歌いだしたあたりでMixiupした日記の影響もあってか、「甘え上手にならなくちゃとはいえ私も甘えベタですが」というメールの受領回数が僕の中で頂点に達した。ヘッドホンでかき消される小声で僕はつぶやく。「そもそも、甘えベタっていうか甘えるのが上手く出来ないって悩むこと自体がムダなんじゃないか?」と。ギターの重みでケースの肩紐が緩んでちょっとだらしない。やってきた地下鉄にのっかって風景の見えない窓越しに自分の残像を眺めながらさらに自分は確信した。僕は多分、甘えるのが下手なのではなくて甘えたくないのだ、と。

そもそも電話をかけなくなったのは、かけても逆に相手の相談を解消してしまうし、版画とアートと霊媒稼業の三点倒立という前例をもってる知り合いがいないので思いを吐露しても共感を得られないという経験が大きい。それに見えてしまった見えない事物についての不安を語っても困惑されてかえってそのことに気を使うはめになるし、メールもだらだらと返信を続けなきゃいけない点で体力を使ってしまうのだ。そして何よりきっと僕は作家として貪欲に業が深い。僕は気づいてしまっている、自分の思考回路から出てきた言葉が一番説得力と破壊力を持つということを、そして悩みぬいた末に答えを出すのはそういう言霊を一番GETしやすい状況であるということを。だから僕は究極の経験の宝を手にするために自分の胃を破壊して精神を危機に晒すゲームをやめることが出来ないのだ。

だとしたら極限まで悩むのは己の快楽ともいえるわけで、ますますそのことで人様に迷惑をかけるのはナンセンスだと思った。で、僕は蔵前につく頃にはすっかり決心を固めてしまった。「たとえどんなに胃を破壊し、精神がぎりぎりに追い込まれるとしても、自力で悩みぬこう」と。今はそれがしたいのだから、と。

もしそれで耐え切れなくなって精神を破壊することになってもこれは自己責任だ、耐えられないとしたらそれは己の生命力の限界だ。そもそもギリギリになった自分を誰かが助けてくれると期待するから、自分でなんとかできるかな?だめかな?あの時仲良くなった○○ちゃん助けてくれないかな?とか感情のおき場所も定まらないまま迷走し、人を逆恨みしたりするのだ。だったら最初から自分で限界まで背負いきると決めてしまおう。いらぬ期待をかけて人の生活を乱してはいけない。そうよ、これはVivienne★における脳内戦場なんだよ。自分で放った悩みの矢に射抜かれたら討ち死に、死にたくなければその前段階で健全な生活なり睡眠時間なり、いらぬところに首を突っ込んだりしないように気をつけるのだ。そんなことを考えたら段々と感情がシンプルになっていった。

蔵前の出口でてローソンを通り過ぎるとき「一人で悩まないでよ」とメールをくれた女の子への返事を復唱した。「多分背負うのが好きなのは生まれもってのヒーローだからじゃねえかな。」そーだよ、俺、ヒーローだもん、ヒーローになるべき人間は孤独なんだよ。苦手なものを克服するとか人として欠陥してる部分を直そうとか考えるくらいなら、霊媒で版画家でロックンローラーという前人未到の自己満足を達成するために己のスペックを掘り下げる可能性に賭けるしかねえんだ。心からの実感も出来ちゃいないのに「人と言う字わあ~」なんて奇麗事なんかいってたまるかバーカ。本心から丸くなるまでは尖って不器用で最悪なままでいい。こうして僕は世界に対して何の責任も取ろうとしない幼稚な自分を受け入れた。へへ、何とでも言え、これが六九狂の生き方だ。





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2007年10月15日 (月)

命とかギターとかその辺のこと。

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10/15は浅草KURAWOOD 弦生!ライブだぜ
 
 精神的に追い込まれるまでのピッチが早くなった。気がつくと電話できるだけの勢いを失って部屋をのた打ち回っている。こういうときはどうするんだっけ?泣くんだよ、確か泣けばいいんだと思い
CDをあさる。でも大半がアッパーな曲しかない。ウッドベースのズンドコズンドコで涙がだせるなら女優である。結局カートの声あたりに落ち着いておもむろにギターを触る。こういうときに触るギターは長く続く。声が伸びていくのがわかる。新しいリフを突然に覚えてしまう。ギターを横にうっちゃって天井を仰ぐと「今回も助かったみたいだなあ」という思いと、次はギター持つまで間に合うだろうか?衝動的にお陀仏したら寿命だななんてことをアンニュイな表情で考えて少し心を落ち着けようとする。この繰り返し。死ぬまで続くのかな?つくづくステージングの上達と精神的な危機は交換条件になっていると感じる。メールがくる。頼ってもいいかな?甘えてもいいかな?あれはどう思う?これはどうなんだろう?こういう内容に深刻さが伝わらないようにメールを打ち返す。どこに行っても求められるばかりだ。

 サイキックの先生によって毒の抜き方は違う。ある人は生理の血が異常な塊ででたり、ある人は一時間くらいぐっしょりと汗をかいて吐いたりする。自分の場合はギターと引きこもりなんだろう。「誰か電話くんねえかな?」「大丈夫?」っていってくんねえかな?Vivienne★が望むように僕は厳しい言葉を投げるよって人はいうけど、僕本気で弱った人に厳しくなんてしたことないけどな、僕ってそういうサドっぽいイメージなんだろうなとかいろんなことを考える。でも諦めというか達観し始めた。こういう人生でこれが恒例行事なんだと受け入れる準備さえ出来れば少しずつ女のDNAの図太さが状況を受け入れ始める。しかしシンドイよな。生活を量より質に置き換えなければと思う。シフトは始まっている。間に合うだろうか?

 この前Mixiで知り合ったばかりのミュージシャンくんが自分の過酷な病気を告白する日記を書いていた。色眼鏡で見て欲しくない、という思いで24時間後にはその日記を削除した彼の意思を尊重したいから名前を出すのは止めるんだけど、ちょっと考えさせられた。彼はいう「命があって体があることが素晴らしい、だから軽々しく死ぬっていうな」でもガールを超える年齢になってしまった自分は思う「伝えたい気持ちはわかるが定期的に死にたくなる気持ちはどうにもならない」命というものに対して、身体がピンチを発してくるものと心がピンチを発してくるものの違いってなんだろうとそれ以来ずっと考えている。でも確実にアプローチは違うのだろうと思う。ただ誤解を恐れずにいえば、身体が蝕まれる命の危機は他人に伝わりやすいだろうとは思う。でも、癌の発症の位置が胸でも胃でも腸でも末期なら同じか?といえばそうではないだろうと思う。

 それとこれは確実だと思うのは「死にたいって軽々しく言うな!」といって何がしかの絶望なり苦痛にゆがむ人の口をふさいでしまうことは根本的な解決にならないのではないかということだ。罪悪感が本心を隠してしまうことは精神の痛みに対する根本的な解決にはならないと思う。ただ、対話は有効だろう。精神の絶望にあえぐ自分の話をきいてくれた人がゆっくりと彼の病気と命について語り始めたらその驚きと深さに驚かずにいられるだろうか?同じ現在を生きる二人の人間同士の会話になったときに互いの痛みは命を媒介とした貴重な出会いになるだろう、そんな気がして僕は聞き役に回るように心がけてる。でもどうなんだろう?僕は助けてというのがとても難しい人間になったけどそれでいいのか?自炊して健全になりだした肉体に精神が慣れない昨今、ちょっと僕は暗くもある。



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2007年10月14日 (日)

時には夢は支えあい☆

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写真はプラットホームでの支えあいの風景。

10/15 浅草KURAWOOD ライブ
10/17 渋谷36.5℃ ライブ
どっちも一番手だぴょん♪

 黒川紀章さんと若尾文子さんの最後の会話っていうのが泣きそうですね。「若尾は日本の宝」といって女優を続けさせるなんて配慮たまりません。黒川さんのご冥福をお祈りし、若尾さんの心の痛みが少しでも和らぐようにお祈りしています。そんな僕が今理想とするダーリンはイタリア人です。何故なら僕は始終愛するダーリンに「君は綺麗だ美しい、才能あるよ!!」と全世界が否定しても言われ続けたいからです(死ぬまで)。自分の世界って案外狭いもんだと僕は思うのですよ、実際に関われる人間の数だって日常的レベルで考えてみれば10人もいないかもって思うんだな僕は。だったらその周りをそんな自分を力強く応援してくれる人で囲んだらきっと自分は迷わずにじっくり自分をポジティブに育てていけるんじゃないか、そんな気がしてるのです。自分の信念をたった一人で育てていくのは実はすごく大変な作業だと僕は思う。それが出来るのが一流かもしれないけど、やっぱ無理っていってもいいと思うのよ。お互いの理想が崩れそうになったときに「あんたってこんな人だったじゃん?そこが素敵なんだよ。」っていってもとのその人らしさに返してあげあえることって熱いなあと思うし、そういう熱さはお互いの弱さを認めた瞬間にうまれる絆だとも思うのです。と、僕はピーチジョン社長のミカジョンのエッセーを読んで激しく共感したのであります。ミカジョン、会ってみたいなあ。

 「あんたこんな人だったよ。」と最近教えてくれたのは僕の幼稚園時代の友人でした。彼女は三年前くらいに展示に来てくれるようになってたんだけど、僕がサイキックの仲間入りをしてたあたりで少し疎遠になってたの。で、最近また葉書をくれるようになって、先日の展示ラッシュのときに遊びにきてくれたのでした。たまたま会場には人がいない日で相変わらずすらっとして美しい彼女と二人きりでゆっくりとお話をしたんだな。で、彼女が言うことには「幼稚園時代って友達がほかにいっちゃうと一緒に自分がやってること中断してついていっちゃうじゃない?でも彩ちゃんはその場で黙々と作業続けててなんかそれをいいなって思ったの。」だって。おお、まったく記憶にないけど、もう小さい頃からゴーイングマイウエイ?って事実にびっくりしちゃったよ。でついでもって、4,5歳からそんな風に人を観察してた彼女自体もよっぽどオマセじゃん!と驚いた。で、そのオマセさは立派に人に配慮できる優しさになったってところが彼女を僕が素敵だと思うゆえんなのさ。展示の案内もらったけど伺えないからってドラえもん電報送ってくる人なんか初めてだったもの。で、そんなオマセな彼女が今やってるのはグラビアモデルさんなのです。三年前はいったんそのお仕事をやめてお勉強を始めたって所だったから僕はその仕事を再開した理由っていうのに興味津々だったの。

 「勉強は今でも続けてるし、保育士の資格は欲しいのよ。」と真昼間から僕が注いだチューハイに口をつけながら彼女はくっきりと微笑した。「でもね、やっぱりモデル、やりたいと思った。でも年齢的には難しくなってたのは確かだったからさ。だけどだからやろうと思ったの、最初から駄目で元々なら駄目だった時に諦めがつくじゃん?」そしてそんな気負いのない雰囲気が良かったのか、めでたく彼女は再びモデルに復帰し、ラウンドガールなんかをやってるわけさ。その後は魅力的な胸の谷間の作り方、とかを伝授してもらって盛り上がっちゃったんだけどね。久々に女の子をカッコイイなと思ったよ。てか幼稚園時代に彼女と繋がれた奇跡をありがたいと思いました。ちょっと最初の書き出しとはニュアンスが違ってるかもだけどちょっといい話だったからみんなに紹介したかったんだよね。やっとかけてよかったばい☆

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2007年10月11日 (木)

お金問答。

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明日の下北沢LOFTライブは壱番目。抜かるなよ!!

最近うちのパンはハリケーンポテトを知りました。

ちょっと前にそのうち書くよでほったらかした「ライブにこれない理由にお金を持ち出されるのは嫌い」と言う事について言及しようと思う。それは第一に僕がお金がないことで自分の行動や経験すべき素晴らしい瞬間を節制したことがないからにつきる。

お金がないという価値観がわかんないのは、僕自身がお金を理由に自分を節制したことがないというか出来ないというのが大きい。第一お金がなくなったらまず恥も外聞も捨てて頼れるとこに援助を問うたちだ。そん時はすごく恥ずかしいし悔しいのだけども、喉元すぎればなんとやら。ひどい時は口座をマイナスにしたまま「あーなんか心がさ、落ち着かないよね、なんかマリオネットな感じだよね、銀行がさ、糸引いて呼んでるのは知ってるんだよねこういう自分を見てるときって鏡感じてるっていうの?鏡のーなかのマリオネット♪って知ってる?どうよ?」ってバカみたいな独り言を言っている。

マイナスにしてまで場を愉しむのは僕が瞬間第一主義だからなのだと思う。CDにしろ本にしろ映画にしろライブにしろ、今この瞬間に見なきゃ自分のマインドにマキシマムな影響を与えてはくれないぞ、という直感の声がしたら迷わず手に入れることにしている。

たとえ、地元の駅ビルに入ってる同じお店の店舗の方がポイントが使えたりして若干安くなるとしても、必ずその店でゲットできるとは限らないし、地元の駅を店がやってる時間に通り過ぎることができるとも限らない。だから「ただ今がその時」という生き方を貫くようになった。それに殉じるように僕は見たいライブにも同じ感覚で接している。レディオヘッドの来日公演とミッシェルのラストライブを観るために僕は派遣会社に二回も法事を申告して架空の親戚を二度も殺した。それに後方でよければ原価で買えるチケットを四倍の価格でオークションで落としたりしてる。アーティストの為にもこういう買い方をするな、というファンのムーブメントがあるのは知ってるけど、僕はそれ以上に「ヘイ!ベイビー!!僕はあんたたちを今夜見るのに2万は惜しくねえって態度で示したぜ!!俺はそれを行動で示せてすげえ満足!!」とか思いながらダイブとモッシュをするほうが幸せを感じるのだ。だもんで僕は本気で見たいし必要だと思ってるライブだったら人間からだが動くもんだと確信してしまっている。

 

 でも常識的判断で現時点で僕のライブがミッシェルのラストライブほどの重要度を他人様に持つのは困難だというのもわかっている。だから「仕事でいけない」とか「用事でいけない」でいいじゃないと思うのだ。それだけで君の優先順位が今は低い、その理由は僕には僕の今やることがあるからだっていうのは伝わる。だって僕だって自分にとって大事だからノルマ払ってライブに出てるわけだから。でもそこでお金が出ると調子が狂う。だから問題がお金だけならゲストにするからおいでよって僕はいうんだけど、そういう人がまず「ええ!本当に!!」といってやってきた試しは一度もないのだ。頼むから「お金で節制できるくらいの重要度だよ。」という表明をしてる残酷さに気づいてよ、そしてその認識を自分で出来ないであつかましく仲良し顔すんなよボケ!とホントいつも言いたくなって疲労するのだ。曲がった極論だとあなたは思うかもしれない、でもこれは真実だと僕は思ってる。

 で、やっぱり一緒にいて心地いい人は「お金が」って言い出さないんだよね。

カルトなDVDとか漫画とかにお金費やして「やっべえ今月もピンチだっての」って奴の笑みや作品が悪かった試しは一度もない。そもそも、節制できる程度の衝動で動く人間の語るアートとか人生ってどうなんだろう?抑えられる程度の業で生きてるならアートなんかに首突っ込んでないと思う僕には不思議でならないぜ。

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2007年10月10日 (水)

共演者と客に救われる。

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次回 金曜日19:00~ 下北沢LOFT 2000円+1D
共演者 
十条フォークジャンボリー  OUM   
峰のもみじ葉心あらば、一緒に合唱いたしましょう。


写真はTOPバッター マキシマ
mixi公式コミュ http://mixi.jp/view_community.pl?id=2461916

「スランプ抜けたんじゃないの?」と微笑してボギー君が帰りがけに言った。そうかもしんないと力の抜けた両手をぶらぶらさせて答えた。ステージ終わってすぐのときには「なんか僕まで嬉しかった」と言い出す始末。僕の音楽を聴きに来る人は親のようだ。

たった三曲なのに大合唱だった。主催者のデミダス君の転換のBGMがモーニング娘。で毎回客が歌ってどんどんボルテージが高まったりとか、彼がきちんとステージのセッティングのバックアップをやったりとか、TOPバッターのマキシマの二人が最初からオープンマインドだったりとかそういう諸々がとにかく今日はいけるぞという気分にさせたのだ。

「合唱をね、したいんです。」とかそんなことをマイクを通していってみる。マインドロックをドキドキしながら弾くと後半で声が増えたことがわかった。そのまま「上海ハニー」の講釈をたれる。「ここでね、ああんあああんって一緒に歌って欲しいな。」歌って欲しいなといってみたのはアピアのライブ以来だ。あんときは白けた。でも今回はいけると思った。ついていかなかったのは生憎自分の腕の持久力だった。目の前に、真正面にまったく微動だにしない客をものすごく凝視しながら(僕はこういうのいつも無かったことにできないから損だ)手前の共演者かつ現時点で客の役割の野郎たちがジンジャーエールとか酒を片手にこぶしを挙げていたのをみた。思わず手がとまった。それでも歓声上げて助けてくれる。上海ハニー!!と張り上げる声の向こうで自分の顔とか声が変わっていくのがわかる。終わったとき、Vivienne★コールが起こった。トリのターナーBさんの言葉を借りれば「勘違いしちゃう」、そうまさに。で、29歳のバカ女は勘違いをしてガッツポーズをしまくり前の机に足かけた。微動だにしなかった客は席をかえていた。だけど。

「これなのだよ。」と僕は思った。これなんだ、これなんだよ、酒を片手に大騒ぎする野郎ども。僕はコールアンドレスポンスがしたいのだ。立ち上がれ!!拳をあげろ!!言葉の意味など後で問え、とにかく声をだして合唱すれば俺の歌の意味が一番よくわかる。ギター一本でコールアンドレスポンスがしたくて僕はムダだと思われても仕方がないくらいにあーとかおーとかを歌詞にぶち込んできた。でも聞き入られることしか出来ない日々で方法論は見つからないままだった。それでも僕は108日、唾を吐いて噛み付きたいほど苛立った浅草のライブを本当にやりたかったライブで確かに塗り替えた。ああでも残念だな、こういうエポックメイキングな瞬間はいつだって写真には残し忘れるのだ。それはさておいて出演者みんなで盛り上げて自分のやりたかったことをビジョン化してくれたことに感謝してもし足りない。結局呼んでくれた主催のデミダス君と最後まで時間を過ごしたくて、この日共演したあみたんと三人で終電まで焼肉を食べた。豚なんこつは190円だった。ついでにあみたんの提案した男だらけの渋谷路上ゲリラ弾き語りの会に女ひとりで参加する約束もした。ついでにいっとくとあみたんは男だ。

浅草のあと、ブログに書いたり人と話したり色々やってもどうにもならなくて行き当たった真実は正しかった。結局、ライブでうけた傷はライブでしか治せない。傷をつけられた相手が他人なら返せないこともあるだろう、でもその原因が自分なら諦めなければリベンジできるのだ。俺がいなくても回る地球だってわかっていながらそんでも29年前、僕は母親の産道を通ってこの世の中に生存しはじめてしまった。版画家こんどうあやをVivienne★は超えられないかもしれない。だけど強引に居場所をつくって存在を認められたりなくてはならないものになろうとする生命のプログラムがある以上、歌でも必要とされたいですよ僕は。居場所が欲しいという気持ちは受け入れるしかないみたい。

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2007年10月 8日 (月)

人見知りじゃないけど人見知り的兆候。

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明日のライブは デミダス木下企画 「秋の歌会/10アーティスト」其のニ
      
18:00マキシマ/18:20yohey/ポケットSong/
      19:00DJペンギン/19:20simoneko/
      19:40安藤透/
20:00Vivienne★Kick/
      20:20田名網空白戸/20:40大前ゆうや/
      21:00木下デミタス一郎/.21:20ターナB
      17:30&18:00スタート
      ライブ料金1000円+1Drink

Live house kaztou http://www.kaztou.com/

 今日は日暮里から上野あたりまで谷中近辺を歩いた。アートリンクってイベントにあわせて開催されるジム・ハッサウェイさんの展示を観に時夢草庵を訪ねたのだ。でもって小品だけど初めて彼の絵を購入した。なんか作品を買うのって「ファンの証」を現実に証明した気分になるからちょっと誇らしい。でもあんまし彼とはお話しないで帰ってきてしまった。最近ちょっと人との出会いに正直億劫さと戸惑いがあるのだ。

ご存知の通り僕の肩書きは時と状況によって滅茶苦茶である。でもって、そのことがちょっと人との出会いに最近戸惑いを呼び始めている。特に「霊媒師」という肩書きにおいて。「ねえ、この人前世とかオーラとか見えるんだよ!!」と紹介されたらその相手は見て欲しくないわけがない。で、目を輝かせて「私ってどうですか?」となる。僕のささやかな苦悩はここから始まる。名前でビジョンを確定する姓名透視と比べて前者二つは体調とかコンディションとか相性とかにかなり左右されやすい。よくされる質問の一つに「普段からそんなに色々見えたら街歩いてるだけで疲れちゃうんじゃないですか?」って言うのがあるんだけど、疲れちゃうからその辺の回路は結構閉じて歩いている。この開いてる閉じてるって感覚を説明するのに適当だって思うのはより目だ。あの点を三つになるようにより目をすると立体的にものがみえてきまーすってアレ。厳密に言えばちょっと違うけど見えないものをみたり声をきいたりっていうのはああいう集中具合に似ている。閉じてるっていうのは特に何も意識しないでボーッと歩いていると言う風に私の場合は捉えてもらえばいいかなあ。

 話を戻そう。だもんで、紹介してくれた人の顔を潰さないように導入の範囲で、と思っても意識はなんだかんだ集中するし適当なことをいってはいけない緊張でどきどきする。でも、相手はほんの戯れ程度の質問だったりするから案外軽く聞き流されちゃったりとかするわけでそんな時、どうにも割に合わないんだよなあと寂しい思いがしたりするのだ。でも中には鑑定所に来て頂戴とか悠長なタイミングじゃなくてジャストナウでみえるものを伝えなきゃいけない出会いもあって、でも最近疲れ気味な僕はそんな重要な出会いでさえ「このあとこの人自分の周りの友達見てくださいとか10人とかごそっと連れてきたらどうしよう?」とかいう不安で一瞬泣きそうになることが増えてきた。喩えるなら、お医者さんが医者だって紹介されたとたんに食事中だろうが観劇中だろうが擦り傷の治療からいっさいがっさいの質問攻めにあうようなものだ。重病人なら今はオフタイムとかいってる場合じゃないだろう、だけど紙で指先ちょっと切っちゃったくらいならマキロンと絆創膏でちょっと頑張って欲しいと思うのはそんなにいけないことだろうか。桑沢の木版画の生徒が今の授業に関して「先生、どのタイミングで話すんですか?ぶっちゃけちゃったらみんな授業そっちのけかもしれませんよ」とか展示の打ち上げのときにお好み焼きを焼きながら心配そうに尋ねてくれるのでちょっと泣きたくなっちゃた。

 僕が鑑定所以外で人をみるのは基本、おおげさにいうなら僕に犠牲を払ってくれた人なんだ。お金とかリスクとかそういうの全部超えてくれた人に返せるのですぐ出来ることってミルくらいだから。「この人みえるんだ」って言われるんは助かるよ。そこにあと一言望むのは贅沢かな?「でも本気でみて欲しいならちゃんと仕事場にいってあげて。」それだけで混乱は大分収まるのです。でも、わかってもいるんだ、その辺をきっぱりわけて言わなきゃいけないのは僕自身の仕事でもあるってことを。でもアホみたいなお人よしの僕はそこの境界を対処できずにいる秋の日。似顔絵描きのおじさんがいい味だしてた。

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2007年10月 7日 (日)

山手線クリエイティビティ。

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久しぶりによく寝た結果、食べたのがほぼ一食だった。たしかこういうのって太るんだよね。つくづく僕のクリエイティビティっていうのは山手線の循環だと思う。「いろいろなことをやる」アーティストをしばしば人は可能性の放射状流出と捉えているんじゃないかと思う節がある。でも僕の場合は一つ一つは循環である。鑑定の業務で得た何かを音で身体的に試した結果を版画で放出する、もしくはフラフープのように順番とリズムをつけてそれらを回してバランスを確かめている。だから「音楽」という可能性をストップしてしまった自分は山手線の電車の一つをストップさせてしまったように他の活動への意欲も緩やかに失ってしまったのだった。もしくは回すフープが減って物足りなくなったか。

 止まっちまったもんはどうにもしょうがねえから僕はあがくのを止めてしまい、今後暇になる時間を埋めるべく料理本を四冊も購入した。ついでに田中さんの造顔マッサージのDVDまで買った。つまり熟女年齢のOLにふさわしく嫁に行く準備という奴だ。悪くない。だからまずは台所に立つ体力を回復すべく6時間の睡眠の確保に乗り出した。よい睡眠はよい肌を作る。これは美の基本。骨格がどうにも出来ないなら質感で勝負しないといかん。

 ギターは触る。基本的に好きみたい。触ってだるくなって寝る、の繰り返し。失ったのはステージに対するモチベーションのようだ。去年の10/3の新宿LOFTが初ステージだったから一年はたった。アコギでパワーコードしか弾けないという有様で人前で弾けた度胸は何で育てていたかといえば、それは「お前の音楽が必要な人間がいる」といってくれた年上の友人の言葉を信じて自分の確信にしたからかもしれない。でもおそらくモチベーションが砕けたのは浅草のステージで「そんな奴いねーじゃん。」という実感をもったからかもしれない。確信とそれを砕く実感が50/50で絶妙に釣り合ったんだろう。

 名づけ親と喧嘩して詩を読めなくなった約10年前を思い出す。同じように潜るのもあり、今回はギブアップするまでださくても続けるのもあり。結論を出せないまま淡々と生きている。ただ一つの回答としてもう一年くらい潜りなおしてもいいかなとは思いはじめている。29歳で世の中にでても30歳で世の中で出ても今更大して代わりは無いだろう。展示とライブをたった一人でこなし続けた結果、ないがしろにしたままの約束やシステムはいくつもある。そこんとこきれいにするのもいいんじゃないかと感じてる。潜伏の質は明らかに変わっている。二年前の潜伏はどうしようもない状況に流されての潜伏。今回のきっかけは偶発的な出来事だったけど潜伏の舵は自分が持っている。そんなことをとりとめもなく考えている。世の中の誰からも自分の作品が必要とされなくなったら怖い、と誰かが言った。ひょっとしたら自分は試されているかもしれない、世の中はお前のクリエイティビティがなくても動いていくがどうするかね?ときかれているのかもしれない。求められているのはその答えの出し方かもしれない。

 今日は初台のオペラシティギャラリーに行った。メルティングポイントという展覧会。もうすぐ終わるのだけどいい展示だった。ジム・ランビー氏の空間に提示してくるクオリティの気持ちよさを体感しにいったのに、渋谷清道氏の白の静寂に浮かび上がる雪の結晶のような空間につつまれたときに「あ“ーっ」って熱さがこみ上げてきた。アートやりてえって情動の部分がひきづり出される。駄目な電話オペレーターで社会のゴミ扱いされるのも悪くないねって諦念と諧謔心の向こうで理屈にならない衝動がうごめいている。一人ではきっと生き切れない。あなたを必要だと誰もいってくれなくても、誰かの残した何かが確実に自分を動かしていくつながりはシナプスのそれともちょっと似ている。

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2007年10月 4日 (木)

悩んでても歌う、やっぱ。

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10/8(月)祝日 デミダス木下企画 秋の歌会其の弐 
東高円寺カットー 入場料1000円+1D 出番20:00~

オープンマイクを主催するデミダスくんは
じつは若き有能なオーガナイザーであり的確なアドバイスを
します。今後もたくさん企画ライブをするみたいなんで挨拶がてら
みに来てみては?

10/12(金) 下北沢LOFT 2000円+1D 出番19:00~
前回かなりアナーキーでカルトなライブをしすぎて出番が最初になりました。
で、ここはハコ自体がクラシカルでいい。アメリカの駄菓子屋みたい。
前回遊びに来てくれた友人は皆イイハコだっていってたよ。
ハコの空気を堪能するならここ。

10/15(月) 浅草KURAWOOD 1800円+1D 前売りは1500円+1D
出番18:30~

ここは原宿で素敵な歌をきかせてくれたLuminoさんと一緒。
お得気分になるならここ。
ちなみに弦生というこの企画はいつもおもろい。

10/17(水) 渋谷36.5℃ 1500円+1D 出番19:00~
またまたデミダス君企画。出演者が8人もいるおなかいっぱい企画。
企画者のデミダス君以外にもマウントフジ君とかターナーBさんとも
一緒に出来るんだ夜。10/8も一緒だった感じだけど。

10/29(木) 浅草KURAWOOD 2800円+1D(前売り2500円) 出番18:30~
酒ヶナイト

こここここ、これが問題の勝手にしやがれメンバーさんとタイバンの
オトナナイトの夜ですよ。次元さんはタイバンしたことあるけどオトナ女性ボーカルだし
来たほうがいいよ!!まじ来たほうがいいよ!!
高いライブはそんだけすごいんだよ!!
大事な夜にどんだけ客引かせるかというひどい勝負です。

11/13(火) 高円寺20000V たぶん1300円+1D

これも前座。オーディション通った。

11/24(土) 東高円寺カットー 1000円+1D

鑑定は 火曜日と木曜日 18:00~21:00の間

ラ・ミステ・ヤスラギさんに予約とってください。
お待ちしてます。

悩んでもいくしかないのか歌の道。
しらねーよ、もうみんなどん引きやがれ。




 

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2007年10月 2日 (火)

不惑を得るまで黙ろうとして無理だった。

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Mixiの方でダラダラと駄文を連ねて遊びすぎた。やっぱ潜るときは一気にいかなきゃ駄目みたい。僕は音楽生活でどうしても二つのことが嫌いだ。一つ目はライブにいけない理由の一個に金欠を挙げる奴。「ごめんね、お金がなくて」という一言をデスクトップで見るたびにどんだけ苛立つかっていったらない。二つ目は客の反応が明らかに目に入ってないパフォーマンスをしてる奴。客と会話してるつもりで会話が成り立ってないのに、自分がグレエトだといわんばかりのトコに激しく不快になる(で、僕は大抵そういう奴に見下される)。金欠の話は今度にすることにして、後者のタイプの表現者に僕は一方で実は嫉妬してるんだなあと今日鑑定に出かける道すがらに歩きながら気づいた。彼らの自分のお気楽な信じっぷりっていうのはある意味で彼らの成長を順調に促すと思うからだ。多分僕は自分の姿も辛らつに見すぎるのだ。自分のレベルの低さを直視して一人で鈍感でいられるほどの強い神経が自分にあったらこんな苦労はないのになと思う。僕は頻繁に自分で自分を直視して自分を撃ち落してしまう。

版画家である自分がマイノリティなうちに音楽に目覚めたのはラッキーだったと思ってた。人の認知のプロセスとして音楽でこの人知ったけど版画もスゲエといわれるのが僕にとっては理想だったので。大好きな版画家さんを見たいから直でみられるライブに行こうって感じで色眼鏡がついたみたいに自分に接触されるのは嫌だった。だから、またMixi上の話で申し訳ないけど版画家の自分のコミュをぬけたりもした。そんでも落ち込んでいるのは自分の才能の限界を感じたというよりも、それを極めてもカルトっていうかアングラなポジションでしか成立できない自分の立ち位置だったりして、なんかやな感じだけど共通性とオリジナリティと普遍性は射抜いてると実は今でも思っていたりする。あとはどうにもならない技術の成熟までの年数の問題。やっぱ10年はかかる、その時自分は40歳に手が届くわけで、そんな自分のつくるものが自分が届きたいと願ってやまない「世間や自分と折り合いがつかなくて引きこもったかつての自分みたいな若い誰か」って奴に何らかの媒体で接触する筋道が上手く考えられないのだ。こういう悩みを抱くと、不思議なことに全部が立ち行かなくなる。僕のクリエイティビティは三つくらいの表現の発露で水車みたいに思考をまわして行われているものなんだと実感して思う。

ただ、明確なのは何かを始めるのに実は深い理由なんてものは存在しないということだ。何かを凄くやりたいという気持ちがまずあって、無意識がその「やりたい」にフィットした流れなり鉱脈を探し始めてある日「きっかけ」という形でそれが露呈するのだ。やりたいが叶って、それが何かの具体的かつ好意的な反応でもっと大きく膨れ上がったとき、その比重にあった自分なりのイデオロギーとか夢とか理想という言葉で言語化される。それはある意味でその大きな「もっとやりたい」を維持するための言霊を用いた呪文だという言い方だって出来るだろう。そういう観点でいえば「たくさんの女とヤリたくて」ロックスターになった奴も「音楽で世界の平和を訴えたい」といってフロントマンになる奴も、抱えている「もっと音楽やりたい」の重量的な部分では同じなんじゃないだろうか?座標軸のXYの点を打ってある場所は違うけど、中心からの距離はきっと同じくらい離れているんだよ。で、その途中で受けた刺激を人生経験として言語化して持ち運んでいるにすぎないのさ。己の敵は己だな、誰にも俺の伝えたいことなんか一生わかるわけねえよって気持ちが、俺の射抜く普遍は絶対に通じるという自信とバトルしてる。ひょっとしたら両者の折り合いなんて一生つかないかもしんねえよ。そんな気がする。

明日、ライブスケジュールとか鑑定日とかもろもろUPします。
気が向いたら。

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