俺は所詮カルトグラススター☆
明日18:10~より21:00まで急遽ラ・ミステ・ヤスラギ鑑定ブース入り。
このタイミングの告知で僕のブースに入ったあなたの必然は本物だぜ。
楽しみに待ってます。
もうすぐ10月になろうとしている下北沢の空気は気持ちよく張り詰めて心地よかった。行軍26日目。ノンストップで稼動する日々は来週の水曜日を休みにするか否かで尻尾が決まる。水曜日も出れば土曜まで走り続ける。つよちんさんがタカミネのギターを渡してきたときに拒んだのは前フリではなく、実は本気だった。ギターを抱える自分と音と声が完全に風景に溶け込んでいくのを感じながら、同時進行でまったく伸びない声を感じていた。一つは声だしをしていないから、もう一つは心が定まっていないから。実はここ数日、完全に音楽をやる動機を失った。話は前回のクラウッドにさかのぼる。
ステージの上で待ちのスタンスを取りながら僕は完全に苛立っていた。離れた位置に座る客がお互いに顔を見合わせて戸惑っていた。好きな言葉を…頭にうかんだものを教えてくれという問いかけに「ありません」って何なんだ。客っていうより同じ音楽やってる共演者だろ?顔見合わせて苦笑ってんじゃねえよ、女子高生かよとかって思いを抹殺して言葉をつむぐ。僕は即興の御題を求めていたのだ。このハコで即興をやるのもポエトリーを複数かますのも初めてだった。曲は3曲だけだ。夏のライブ行脚を経た自分は確かに変わっていた。クラウッドはロックめなハコだから唄メインでいこう、という従来の方向性はもう媚でしかないきがして僕は詩人というスタンスのままステージに上がってそういうステージをした。しかも運悪く今までで一番ってくらい間違えなかった。客はどん引きだった。どんどんびきびきどんびきびき、返りはゼロに近く拍手は最低なほどまばらだった。伝わりやがれという衝動があれば手をかけたマイクスタンドに触れることなく帰った。残り時間10分のときに時計をみながら「ここにいやがる全員、あますことなくクタバリやがれ」と思った。
僕は現実に直面した。たとえ上手じゃなくても、自分のつくる言葉とかメロとかは普遍を抜いてる自信はあった。とにかく後はこなれて洗練されることだと思ってた。でも洗練の行く先で思い知った現実は「俺はカルトだ」という事実だった。どこまで行ってもカルト、エクストリームにカルト、客とかハコがカルトじゃない、自分がカルトなのだ。願わくば自分が叩きこんだサビで客と合唱したかった。そういうキャッチーさがかつての自分みたく部屋に閉じこもったままの誰かを外に引っ張り出すのだと思った。でも俺カルトじゃん?キャッチーなつもりがとんだマイナーリーグだぜ、ノエルのつもりが笑っちまうよ
。このまえライブ見てくれた人が嬉しそうに僕が客を「見下している」といった。その時ちょっと驚いたけど、この夜僕はそうかもしれないなと思った。ライブしながら思ったのだ「わかんねえんだ、伝わんねえ、こいつらには俺の何一つ伝わんねえんだよ。」物凄く自分が醒めていくのがわかった。夏の初めに「業だけ感じてくれよ!!」と絶叫してステージを降りた自分がアホみたく思えた。ポエトリーみたく10年近い歳月が流れれば、支持されるかもしれない。もしくは音源さえ残せば死んでからとか。でも僕が死んだ後の世界のことなんか正直しったこっちゃないのだ。
ハルさんは僕に「ハコの空気に流されない一般人の中で正確な実力を知れ」とストリートを薦めた。でも僕は何処でやっても心が閉じてちゃ意味がないと悟った。ステージを降りて趣味に戻してイベントのオーガナイズに徹するか、10年後の起爆を仮定して地道にすすむか、ただ信じて進むか自らすすんでカルトに潜るか、どれも選べないままに日々が経過していく。すべての観念がただ脳裏を漂い、行動を気まぐれにする。情報処理が遅い。でもどの道、答えはもう、僕自身にしか出せない。