« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月27日 (木)

俺は所詮カルトグラススター☆

Dscf5486

明日18:10~より21:00まで急遽ラ・ミステ・ヤスラギ鑑定ブース入り。

このタイミングの告知で僕のブースに入ったあなたの必然は本物だぜ。
楽しみに待ってます。

もうすぐ10月になろうとしている下北沢の空気は気持ちよく張り詰めて心地よかった。行軍26日目。ノンストップで稼動する日々は来週の水曜日を休みにするか否かで尻尾が決まる。水曜日も出れば土曜まで走り続ける。つよちんさんがタカミネのギターを渡してきたときに拒んだのは前フリではなく、実は本気だった。ギターを抱える自分と音と声が完全に風景に溶け込んでいくのを感じながら、同時進行でまったく伸びない声を感じていた。一つは声だしをしていないから、もう一つは心が定まっていないから。実はここ数日、完全に音楽をやる動機を失った。話は前回のクラウッドにさかのぼる。

 ステージの上で待ちのスタンスを取りながら僕は完全に苛立っていた。離れた位置に座る客がお互いに顔を見合わせて戸惑っていた。好きな言葉を頭にうかんだものを教えてくれという問いかけに「ありません」って何なんだ。客っていうより同じ音楽やってる共演者だろ?顔見合わせて苦笑ってんじゃねえよ、女子高生かよとかって思いを抹殺して言葉をつむぐ。僕は即興の御題を求めていたのだ。このハコで即興をやるのもポエトリーを複数かますのも初めてだった。曲は3曲だけだ。夏のライブ行脚を経た自分は確かに変わっていた。クラウッドはロックめなハコだから唄メインでいこう、という従来の方向性はもう媚でしかないきがして僕は詩人というスタンスのままステージに上がってそういうステージをした。しかも運悪く今までで一番ってくらい間違えなかった。客はどん引きだった。どんどんびきびきどんびきびき、返りはゼロに近く拍手は最低なほどまばらだった。伝わりやがれという衝動があれば手をかけたマイクスタンドに触れることなく帰った。残り時間10分のときに時計をみながら「ここにいやがる全員、あますことなくクタバリやがれ」と思った。

 僕は現実に直面した。たとえ上手じゃなくても、自分のつくる言葉とかメロとかは普遍を抜いてる自信はあった。とにかく後はこなれて洗練されることだと思ってた。でも洗練の行く先で思い知った現実は「俺はカルトだ」という事実だった。どこまで行ってもカルト、エクストリームにカルト、客とかハコがカルトじゃない、自分がカルトなのだ。願わくば自分が叩きこんだサビで客と合唱したかった。そういうキャッチーさがかつての自分みたく部屋に閉じこもったままの誰かを外に引っ張り出すのだと思った。でも俺カルトじゃん?キャッチーなつもりがとんだマイナーリーグだぜ、ノエルのつもりが笑っちまうよ

。このまえライブ見てくれた人が嬉しそうに僕が客を「見下している」といった。その時ちょっと驚いたけど、この夜僕はそうかもしれないなと思った。ライブしながら思ったのだ「わかんねえんだ、伝わんねえ、こいつらには俺の何一つ伝わんねえんだよ。」物凄く自分が醒めていくのがわかった。夏の初めに「業だけ感じてくれよ!!」と絶叫してステージを降りた自分がアホみたく思えた。ポエトリーみたく10年近い歳月が流れれば、支持されるかもしれない。もしくは音源さえ残せば死んでからとか。でも僕が死んだ後の世界のことなんか正直しったこっちゃないのだ。

 ハルさんは僕に「ハコの空気に流されない一般人の中で正確な実力を知れ」とストリートを薦めた。でも僕は何処でやっても心が閉じてちゃ意味がないと悟った。ステージを降りて趣味に戻してイベントのオーガナイズに徹するか、10年後の起爆を仮定して地道にすすむか、ただ信じて進むか自らすすんでカルトに潜るか、どれも選べないままに日々が経過していく。すべての観念がただ脳裏を漂い、行動を気まぐれにする。情報処理が遅い。でもどの道、答えはもう、僕自身にしか出せない。


| | コメント (0)

2007年9月24日 (月)

10枚の写真で語るエキシビション[木版猿07編]

今回から試験的にタイトルみたいなことをやってみます。
お楽しみください。

Dscf5695
展示準備、最初は日光のお菓子をたべるとこからはじめました。
ちなみに日光はVivienne★先生前日の家族旅行みやげです。
Dscf5696
作品を殺しあわないように、よく見せるようにとこだわりの配置。
でも今回は展示なれしてる学生が多かったせいかスムーズにきまりました。
Dscf5697
自分たちの名刺の準備です。感想ノートと一緒に名刺をおくのは
桑沢流。右の彼女はみどりちゃん。ファンが増えるのを祈るばかりです。
Dscf5698
キャプションとタイトルに関してはカベにジカ書きして雰囲気をだそう、
という取り決めがなされており各自がペンで書きます。
これは会場で一番の笑いをさそったマツオカ君の書き込み風景。
たけしかなあ?という前にたけしと言わせたかったというセンスは
将来に大きな期待を抱かせます。
Dscf5700
今回の展示で追求するテーマに結論をだしたと思われる
カクちゃんの作品。大人しい雰囲気でわが道をいくのって
先生嫌いじゃないぜ☆
Dscf5701
さらに展示風景。手前の好青年は今回の取りまとめやってくれた
平田君。小品の新作をメインに5点出してます。
Dscf5702
手前のやさぐれた美女はヨネザワさん。前回の日記の素晴らしい
DMを作ってくれた彼女です。お疲れ様。
Dscf5703
手前の青い子はカワナミくん。独特のセンスがアートともイラストとも
つかないオリジナリティをもってます。作品はあっさりしてるけど
実は7枚以上も摺って吟味してるとこがプロ。
Dscf5707
カクちゃんのおじさん作品が国境をこえたファンを獲得した瞬間です。
ちなみにオープニングの後できました。もっとちなみにいうと
Vivienne先生の駄目な提案で6時開催のオープニングを
4時からやってグダグダぶりにつかれて30分早く切り上げたとこにきました。
うーん駄目教師。オープニング中には飛び入りでイラストレーター
ハマダケンジ氏も参入。生徒大喜び。
Dscf5708
帰ったあとで感想をよむほほえましい風景です。
でも読めませんでした。先生も読めませんでした。
ごめんね、エキサイト翻訳にかけてください。

いかがでしたか!?
ちなみにVivienne★も二点出展してますが、
来客者に「この人プロっぽいねー!!」といわれたらしいです。
すいません、プロです。

ええとー明日からなんと写真の授業で13時から16時くらいまで
学校に行きます。聴講大歓迎です。
そのあとは裏稼業で悩める人々にシックスセンスを使いに行きます。
そっちの予約は18時からうけますよ。

ラミステヤスラギ03-5960-2736

と、いうわけで最後まで読んでくれた皆さんありがとうございました。

| | コメント (2)

2007年9月21日 (金)

コンドウテンテイ☆の素敵な生徒たちの展示。

02
9/23(日)-9/30(土)
木版猿’07 こと桑沢デザイン研究所の生徒たち有志7人+1(僕)
で展示をします。展示室1-G

初日は18:00~オープニングパーティー!!

Vivienne★の授業中の裏話とか、
僕に汚染されると才能ある生徒たちがどんな作風になるのか、
というのに興味ある人は是非遊びに来てください。
僕もいます。

営業時間11:00-20:00

もちろん卒業生は大歓迎ですっ!!

ちなみにこのDM作品はヨネザワさんの作品。
僕じゃないのよ、まちがっちゃ駄目よ。

| | コメント (0)

2007年9月20日 (木)

外チョー気持ちいいな☆

070919_1348001

写真は昨日の打ち合わせ風景。

最近疲れすぎてブログにたどりつけねえ。

で、今日ライブだから一応告知!

浅草KURAWOOD、今日ライブ出演一番目です。
http://www.kurawood.jp/
光と影の狂奏曲 第十四章
9/20(木) タイトル『光と影の狂奏曲 第十四章』
OPEN 18:00
START 18:30
前売 \1,500+1drinkオーダー(\500)
当日 \1,800+1drinkオーダー(\500)
Vivienne★Kick/光太朗/シラブル/weather/HAZE

ヨロピクルスにはやっぱりビール。

| | コメント (0)

2007年9月17日 (月)

宿命は割礼のごとくに愛を試す。

070916_2349001

 昨日出会ってくれたBen'sの皆さん、Mixiの名前はミトラキックですよ。

 ひょっとしたら産み落とされるということは人生で経験する最高級の暴力なのかもしれない。母親の身体の限界と自分の成長とのボディートークに上手く折り合いをつけることが出来なければ生まれることに抵抗だってするだろう。でも僕たちは世の中に産まれてきてしまう。産まれてしまい、守られている状況ばかりではなく、自分で自分を守らなきゃいけない。守りきれなかったら守ってくれる人を探さなきゃいけない。いや、守りあえる人か?そしてポジティブな帰着点は一個だけだ。「生まれてきてよかった」という一点に人生の出来事の全てを集約すること。少なくとも僕は。そのためにぼちぼちと経験を積み、思考を鍛えている。

 初めてベンズカフェに行ったのは19歳の5月だ。タクシーから見える空が青かったのを覚えている。その隣でピアニシモだったか、女タバコ(差別語だったらごめんね)を苛立ちまぎれに咥えては消しながら名付け親はテンション高く運転手さんに話しかけていた。僕は確かボーッとしていて、車を降りたときに運転手さんに手を握られて「頑張って生きるんだよ!!」と祈るように言われたのを覚えてる。よっぽど年端もいかないイカレタ少女信者だと思われたんだろう。その後、彼はお金を借りるといって店に行き、店の客相手に自分の詩を広める「商売」を始めた。「いいか、俺が詩を読んだらアヤちゃんはここで本を広げろ」みたいな指示がいくつか飛んだけどどうにも上手くいかなかったからさ、痺れを切らした彼に「もういいよ!いつまでもいるなよ!!行けよ!!」って言われて泣く泣くカフェをあとにしてバイトに向かったの。

 詩をよむ、読まなきゃって思ったのはその同じ年の20歳の秋で、ちょうど当時の彼が不安定な友達の女の子を介抱しているうちに情が移ったらしくて浮気したんだよね。それが発覚したあとも彼女と一緒にプラネタリウムに行くとか言い出したから発狂寸前でさ、それで僕は詩人としてのベースを立ち位置に生きていこうとしたわけよ。唯一土地カンがあったのは夏の初めに行ったカフェでその時名付け親にもらった本に地図があったから、それを片手にオーナーを訪ねてイベントを教えてもらったんだよ。そしてその約9年後の昨日、僕は凱旋したわけだね。

 どうして最悪な思い出が眠る場所にすすんで足を踏み入れたのか、そして戻り続けるのかわからない。でも一ついうならば最近ヤスラギで電話番してるアニキが言った「避けたい最悪なものの中に答えが眠っている」という言葉につきるのだと思う。新しい何かを手に入れることはいつだって割礼に近い痛みを伴うのだ、そして運命に試されるのかもしれない。「お前本気?」って。それは愛を試される仕草にも似ている。僕は猫がすきなんだけど、猫には何度ひっかかれてもまた傷が癒える頃には触りたくなるし、抱きたくなるしそこに理屈はないんだよ。ポエトリーも一緒なんだろう、そんな風に思う。結局好きなんだよ、言葉一つの力で場を変えて人を引き込み、忘れられないリズム感を暴力的に叩き込むという仕草が。10年前からずっと一緒だ。ひとんちのドアを両手でガンガン叩いてさ、ドアを開けた人が自分を必死に追いかけてくるのを汗をかきながらギリギリのスピードで走りながら笑ってみてる、そんな感じが。

 読んでる間はあんまり人に言葉が残ることを考えてない。印象的な言葉の羅列が一個でも残れば充分。それで気になった人が後から言葉を追えばいいと思う。そろそろ詩集を出したいと思ってる。いつでも何処でも持ち歩けて唱えられるような。隠語上等のブログの書籍化よりは容易なはずだ。でもどうすればいいんだろう。あと、剛さんのイベントに行くたびに今回も思ったんだけど、僕もオープンマイクイベントのオーガナイズをやりたいな。案はまとまってる、後はハコだけだ。これは唄でも一緒なんだけどさ、僕が目指していることは一個なんだ。ノウハウは簡単、誰でもカバーできるし、そうしてしまう。でも、僕以上にそれを上手くやることが出来ない、そんなものを作り続けたいと思ってる。革新的に。それは技術力の問題ではない。○×さんのカバーは良かったけど、オリジナルのVivienne★で聴きたい、その言葉の順序が逆になるときが来たらそれが僕の消え時だろう。

そしたら喜んでピストルでも何でも頭にぶっ放してこのコマッチャクレでヤンチャクレな世界とお別れしてやるさ。ハッハッハ。剛さん、呼んでくれてありがとうね

| | コメント (0)

2007年9月16日 (日)

「Mind rocks honey and Death game」

Dscf5305

Mind rocks honey&Death game」

 

Mind rocks honey午前八時

眠りを覚えなかったダルイ身体をひきづって

「あなたを助けたい…」と呟いた女の肩に倒れこむ

 

遊具のきしむ音は

日常を組織できない人間と子供たちのための楽園の誘惑

ジャングルジムの色鮮やかな剥げを視界に入れ

僕はXX染色体の総体である彼女をベンチから引き剥がせないまま

抱きしめつづけている

 

この道は何処へ続くのだろう?

そしてこの女は?

正午にむかって上昇していく温度を感じながら

そんなことばかりを考えていた

 

大量の水を飲みたいから

塩ッ気の強いものばかり食べてしまうように

僕は自分を駄目にするつもりで愛ばかりを乞うている

 

午前十時、ここはベッドの上

窓の向こうに見えるのは隣のビルの壁だけの風景

意識のホックを外そうとして僕はまた目をつぶった

 

大切なのはイマジネーション

見慣れた世界を変えるのさ

何よりもイマジネーション

呼吸するように身を伏せて今を生ききる事だけが大切

 

眠りの向こうで唄を一つ買おう

抱きしめた肌のむこうで沈んで行く指に囁きかけるような呟きを

僕はたった一つだけ確かに聞いた

 

「選んだ自信と選ばれた自信だけが

最強という名の下に幸せを呼ぶの」

 

心の弱い人間たちが

一人勝ちをしようとして互いの肩をどつきあう路地裏で

今日も始まるデスゲーム

 

完全に勝たなければ自分を認められないと

心から信じて暴れまわっている阿呆ども

心を巣食うむなしさにそろそろ気づいたほうがいいんじゃないのかな?

 

 

 

 

デスゲーム

どこかに行くより確かなことは

デスゲーム

君の中に住み続けること

 

最近くれてやってもいいと思うぜ

このコマチャクれてヤンチャクレタ世界をさ

 

大切なのはイマジネーション

何よりもイマジネーション

呼吸するように身を伏せて沈んで行く指に囁きかけるような呟きのむこうで

沈みそうで沈みきらない僕の弱さに価値を認めた

 

選んだ自信と選ばれた自信だけが

最強という名の下に幸せを呼ぶ

 

ひとりでは生きてゆけない?ひとりではいきてゆかない?

たとえ激しい衝動が身をつらぬいても

生ききる事をあきらめてはいけない

 

Mind rocks honey&Death game

眠りの向こうで唄を一つ買い

Mind rocks honey&Death game

今を組みなおして永遠に果てを作り出し続ける

 

Mind rocks honey&Death game

Mind rocks honey&Death game

Mind rocks honey&Death game

大切なのは…イマジネーション、ただきっとそれだけなのだから。

 

写真は最近の衣装。
肩の日焼けが目立つんだよ。
タンクトップが着られない。

今夜開催。
笑いと涙のBen’sCafe・ぽえとりー劇場 (オープンマイク)
2007年09月16日(日) 18:15(180分間)
Ben'sCafe  新宿区高田馬場1-29-21 1F
高田馬場駅より徒歩5分 
料金 0円(入場無料イベントですが、ドリンク・フードをオーダーしてください。 )
問い合わせ 服部 剛 (gouhattori@yahoo.co.jp)

http://www.poeca.net/detail.php?id=3148  

間に合わない人はその翌日
9/17(月)東高円寺カットー 18:20~
東京都杉並区和田3-60-11 倉島ビルB1 ライブハウスカットー               
info@kaztou.com
1000円+1D


                    
18:20
      18:50
      19:20
      19:50
      20:20
ゆう
      親松佑磨
      Private Juness
      Vivienne★kick
      古岡亮樹
ライブ料金
      1000円+1D
 

http://www.kaztou.com/framepage26.html→地図です


| | コメント (1)

2007年9月11日 (火)

いま僕のいるばしょ。

Dscf5285

鑑定所。本日ご来場のお客様ありがとうございました◎心からいい日になりますようお祈りをしておりますです。行軍11日目、気力がなくておそらく日記しか書かんであろう僕ですが頑張って生きています。今日はうちの鑑定所のスゴ腕、M先生がお守りをくださいました。色々と前世のご縁がある人と繋がることが日常化する昨今、今日は彼女が私の前世について衝撃の事実をもたらしてくれました。「おそらく合ってると思う」という前提のもとで教えてくれたその人はインターネットで検索が容易にできる人でした。でもここでは書かないよ。Tさんいって次はこの人、なんて事実に皆おそらくついていけないから。

もう、あれだ、動物占いとかさ、ラーメン占いとかさ、流行ってるじゃん?その要領で七項目くらい過去の有名人とかいてさ、項目に答えると皆何がしかの有名人になっちゃう奴、もうなんかそのレベルに達しておるよ。オーラの泉で江原さんか美輪さんが公に特定してくれるか、酒でべろんべろんになるまでもう俺は自分の過去世について口を割らないよ。で、飲み会で必殺のネタにするんだよ。「Vivienne★は現世は読者50人前後のブログでアレだけど、前世はすごいぜ!!」みたいな。名前負けってあるじゃんか、名前は立派なのに実際の人間がアレな人。僕の場合は前世負けだな、新しい用語がどんどん出来るぜ。

でもこのM先生、この前縁あってブース挟んでご一緒したことがあるんだけど、その時にこの道に入った経緯をちょっぴり話してくれたことがあったんだ。彼女はこの道に入るに当たり「己が刀をもつということは、己も同様に斬られる可能性があるということを覚悟せよ」といわれたんだって。(ちなみに先生は祓いのエキスパート)そして彼女はもう鑑定歴20年に達している。僕はちょっと感動して心を動かされてしまった。本人を目の前に言うのは恥ずかしくて出来ないでいるんだけど、とても愛らしい感じで笑う人なんだよね。話し口調も穏やかでさ。でもそんな人が心からの覚悟をもって(一般に)見えない世界の住人や人に巣食う心の闇と戦っているのだよ。

僕は約一年前の秋、いやこの頃はものすごいニキビというか肌荒れを起こしてた。その程度といったら酷くて実家の齢90歳近い爺さんまでもが心配して病院の紹介リストの本を買ってくるくらいだった。デトックスの高級ハーブティとか色々試しても駄目でね、霊媒先生には「あやさまのからだの毒が一気に出ている、出尽くせばおさまる」といわれてた。とにかく対処法は「あーとかうーとかジェットコースターに乗るくらいに大声で叫ぶこと」といわれてたから僕は必死で叫ぶかわりに唄のお稽古をしていたよ。でもそれだけはやっぱ27年間の普通人の生活意識でも対処したかったから漢方系のお医者にも通ったんだ。でも薬ではどうしても治らない。逆に前回の来院時よりも悪化したこともあったから「変なエステに通ってもいないというならどうしてこんなに治らないんだ!!」とついに先生キレちゃってさ、でも先生に「実は霊媒になってかくかくしかじか」なんて診察室でいえないからただうなだれて泣いたりしてたのさ。

みえない何かの方がしっかりと説明できる身体の変調の場合、一般的には説明が難しい状況やタイミングで身体がおかしくなってしまうから、僕たちは原因不明としかいえない何かで突然倒れたり、ひょっとしたらひっそりと死んでしまうかもしれない。その覚悟は頭のどっかに常にあって、寂しがり家の僕の場合は時々それがとんでもなく怖くなってしまったりする。だけどそういうたとえマイナーであってもギリギリの本気で何かと真剣に闘い続ける道を選んでいる先輩にあえることは弱気な僕にささやかな勇気をくれるのだ。そしてその姿勢はアートとも似ている。信じた道で巻き起こるごく個人的な戦いが案外個人的でない感じも。そしてそういう道の厳しさを知っている人たちは同時にとても優しい。

で、僕の場合はお客にも恵まれる?訳で。このまえ夕方にフラっと店に入ってきて僕を指名した客はミュージシャンの友達だった。ケーキを片手にニヤニヤしながら「僕の友達で版画家がいるんですけど搬入うまくいったんでしょうかー?」とか聞いてくる。「あー、うん、上手くいったんじゃないすかね?」なんて他人行儀でしどろもどろで体裁を整えようとする僕を笑いながらみてるのを内心ちょっと悔しがりながら同時に「2100円もだして冷やかしにくる友情なんて滅多にないよな」なんてつくづくイタヅラ好きで愛すべきつながりをもってる人生と友人に感謝した。僕が今いるのはまあこんな環境です。

明日はLAPNET最終日でTシャツプリントデー。

明後日は下北沢LOFT でライブでございます。

お時間とタイミングが合う方どうぞよろしくね☆

| | コメント (0)

咳をしても一人。

Dscf5381

作品を人手に渡すようになってもう5年以上、買い手は顔の分かる人ばかりではなくなった。で、中にはあえて名前を明かさない人もいる。情が移らないように、もしくは純粋にクオリティのみで作品を愛せるように。おとめ座、AB型という几帳面なパーツで構成されている僕がそういう人たちのニーズに自分を合わせられるようになったのは海外で作品を売ったこと以上に版画が複製可能なメディアであるからかもしれない。作品の制作と発表はコミュニケーションの一環として捉えている自分には正直寂しい関係性でもあるけど、同時にこれってありかも、もしくは正しいかもとも思う、ある意味で。

恐ろしいことにもう三ヵ月後にはこの町にも冬がやってくる。あるファンを失ってから二年がたつ。その子は冬の日の真夜中の電話で僕の作品を「あったかい」といった。松本太洋とかに通じる感じ、なんだと彼は説明した。ちょっとした仕事を頼まれたんだけど、それはきっかけに過ぎなくて作者である私と話してみたかったのだとそれまでのおずおずとした口調とは一変して彼はちょっと嬉しそうに話した。僕は自分に向けられていた「憧れ」の気分を把握すらできていなかった。仕事のついでに原画を渡したけど、きっと彼は棄ててしまっただろう。作品を通じて知り合った僕らの人間関係はその後大きく壊れた。どっちが「壊した」のかは定かではない。でも言い合いになるなら僕が「壊した」といってもいい。彼は僕の展示に足を運ばない。関わらなければ、きっと今でも展示に足を運べたかもしれない。そういう人は残念なことに10人は居るはずだ。「こんどうあやってどんな人なんだろう?」という想像と妄想と憧れだけ抱えてれば、きっと今でもビタミンみたいに元気になることが出来たはずだ。だとしたら僕は展示に足を運ばず、ただひっそりと作品だけを会場に残しておくのが一番よいのかもしれないと頻繁に思うようになった。

作家としての僕と知り合ったのがきっかけでミエル力を取り戻したまた別な男の子がいて、彼は最初ウチの狼の声が把握できるとかそういう些細なことを楽しそうにしていた。「あなたとの出会いが二度目の成人式だよ。」といっていた彼のバランスが崩れたのは、仕事での困難に彼自身が耐えられなくなったときと一致する。ミエルことを己のアイデンティティにしようとしてそれに失敗した彼が私と会わなければよかったと口にしたといったのは彼の彼女だった。その彼女もその数ヵ月後には僕に「覚えておいて、あなたと彼が同時期に困難にぶつかったら私は迷わずアナタを取るの」と据わった目で話した。こんな関係が長続きするわけもなく彼らとの関係も潰えた。僕はこの痛みを忘れることは一生かけてないだろうと思う。こんな傷がこれからも増えていく。僕はただ、いつでも実感できる自分であり続けるという皮膚感覚を大事に生きていてこの先もたぶんそうだろう。でもそれゆえに心は痛む。自分が作り上げたペルソナであるなら、被害予測や人に与える影響はおおかた想定の範囲内になる。でも、自分の想像の及ばない人格がリアルな自分自身に投影されその像で人が自然発火みたいに焼かれていくのをみるのは忍びない。

私のMixiに寄せられるコメントが1日記につき20-30だった頃、コメントをくれる彼らを「信者」だといわれるのも辛かった。コメンテーターの中には古い友人もいたし、親しく付き合っていた人たちも居て、彼らとはこっちからの悩みも相談するギブアンドテイクの関係性が成り立っていただけにそれは中傷とも思え、彼らに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「信者」なんて好きにいわせればいいじゃない、と笑って流せるほど強い子ばかりではなかったのだから。

出会う人間の数もいき続ける時間も、保存と実績さえしっかりお膳立てできれば作品自体の寿命のほうが僕よりもはるかに長く生きるから、せめて自分が生きている間には生身の個性をさらして、こういう人間がこういうものを作る、というリアリティを提示したいと思って可能な限りの露出をしてきた。自身をつくりこむ、というよりはイメージに近くて苦にならない部分を強めに提示するという方法で。でもこれが正しいことなのかどうかは分からなくなっている。たぶん何らかの疲れが出ているのだ。でも散々うなだれたら、僕は結局露出する人生に戻り「勝手に壊れるバカが悪イよ。」と吐き棄てる日常に帰るだろう。何故なら一生をかけて制作し、形を作り変えながらも愛し続ける自身最高の作品は己自身に他ならないからだ。

| | コメント (2)

2007年9月10日 (月)

MOTTのラストとノストラダムス。

070909_2205001

 お休みゼロ月間9月の行軍9日目。今日はMOTTギャラリー展示最終日で搬出日でした。来てくれた皆さんありがとう。僕の不在の日に来てくれた皆さんありがとう。書き置き読んだぜよ。今日は桑沢の教え子一期生ちゃんがお花を持ってきてくれて、写真はその一枚。客足はゆるかったけどその分一階の作家さんカップルとお話してたらワインあけてくれてさ、しかもとってもフルーティーな感じで美味しかった。で、タクシーで搬出するっていったら自分たち神奈川まで帰るのに僕の搬出手伝ってくれてしかも送ってくれたのさ!

 どうよ!この親切!!僕の酒とかもっていっていいですよ~といったけど、逆にそんな気を使わなくていいですよって言われちゃうし頭がさがるよね。僕自分至上主義だから絶対こんなこといえないもん。不肖近藤29歳、自分にできない親切をゴク当たり前に実行する人を心から尊敬します。もう帰りの車中で「僕、裏稼業霊媒師なんです、人生に迷ったらいつでも言って、介入するのが俺の仕事だからキュピーン☆」とかアホみたいなこと言って若干お二人を引かせた模様です。でもちょっと自信ついてきた、自分の出会いの力っていうのかな。誰がゆきすぎても大丈夫というか。

 近藤さんは未来が見えるの?ってよく聞かれることが実は多くてさ、その度に僕は「未来っていうのは今の自分のスペックを計算したうえで自分でクリエイトするもんだ」って言い換えてきたんだけど、本当はみえなくもないんだ。分かりやすいところでいえば過去の恋人。お付き合いを続けながら心のどっかに「この人とはずっとは居られないな。」という常に冷静な自分がずっと囁き続けるんだよね。途中の過程が楽しくてさ、そんな予感すっかり忘れてたりするんだけど、気がついたらその通りになっちゃう。あとは超近未来。コンマ五秒あとの行動とかやるべき事とかが一瞬よぎって見えたりする。二日後とか三日後のこととか。あとは鑑定の前に自分が着ようとする服の色で相手のオーラとかが予測できたりね。それは予感を具体化するチカラ、とも言えるかな。

 でも、当たってほしくない予感ってのも世の中にはあるんだ。代表的なものでは人との距離感。離れていく人や行き違いが起こる前兆とかを皮膚感覚で感じ取ってる。それがさ、すでに些細なことで違和感があるとか、言葉の端々で考えの違いを感じ取ってるというだけじゃなくて、今すごく上手くいってるのにって場合もある。で、ある日僕はその地点から未来のある日に「こうなったか。」と一人呟いてしまうわけだ。だから暫くあえなくなる予感のする人にはそれを感じ取った時点でいかに有終の美で道を違えていくかという準備をはじめてきた。でも最近、僕はその予感を一人で抱え込むのをやめたんだ。自分ひとりの悪あがきでどうにも出来ない未来でも、相手もそれを望まないって方向で意識してくれたら変えられるかもしれないと思い始めたのさ。口にすることで未来を変える手伝いをお願いし始めたといってもいいだろう。で、ちょっとそれが上手くいきそうな感じもつかみはじめてる。あれを思い出すよ、「人という字わあ~」という金八先生語録。

 話が壮大になり始めたついでにもっと進めると、僕はノストラダムスの大予言が外れて以来余計にノストラダムスを尊敬し始めたのね。というのも、僕でさえ始終鑑定のたびに見えるってことをどういう表現でどう伝えたら依頼人の人生にとってポジティブな帰結ができるんだろうって日々悩み考え研究してるのに、王様の死だの伝染病だのを予言して的中させてウン10年の彼が、晩年まで無分別に見えたビジョンを言いっぱなしにするなんて通常の感覚からいってありえないと思うんだよね。でも、1999年前後の人間が大騒ぎするであろう滅びの予言を堂々と彼が言語化した背景にはさ、今から少しずつでも「いやだー」って叫んでアクションしてくれたら未来が変わるんじゃね?っていう願いと望みがあったんじゃないかと思うんだ。嫌なことを口にするのはさ、僕たちだってその状況を変えたいときじゃんか?「テスト嫌」から始まって「会社嫌」まで、そういって誰かにまあまあって言ってもらったり、客観視してその状況を受け入れて対策立てて乗り越えるわけじゃん。最悪な予言を最悪なまま当たると信じて待つのは、天気予報で雨が降りますといわれて傘もささずに必ずびしょ濡れになるようなもんだよ。きっと大先生は今頃草葉の陰で微笑んでるに違いない。見えちまう力が今後も落ちずに研ぎ澄まされる一方ならさ、僕もそんな風に最悪な未来を外させて忘れ去られる霊媒でありたいよ、なんて思う今日このごろ。

さて明日は18時以降に原宿の展示に顔出す予定。で、来週日曜日16日は高田馬場Ben's Cafe服部剛さん主催の「ぽえとりー劇場」で7時半前後からゲスト枠で出演予定だぜ。10年前、おずおずと詩人をはじめた本拠地に凱旋だよ。たぶんVivienne★Kickというパフォーマーの何かがものすごく明確に見える15分になると思うよ。

| | コメント (2)

2007年9月 8日 (土)

ふごっ★

070906_2003002

いやいやいや、誕生日ライブ、今日来場人数聞いたら57人だって。驚いちゃったよ。来てくれた皆さん、本当にありがとう。来てくれた仲間に感謝、つよちんに感謝、おみちゃんに感謝、リアちゃんに感謝、ゴージャス料理のヒューマくんに感謝だよ。このまま頑張ったら来年は100人呼べるでしょうか、そんな甘い期待をしながら今月はあと4本のライブが待っているVivienne29歳です。

誕生日ライブの翌日はカリブの海賊というイベントが恵比寿Milkで待ってたのさ。台風直撃数時間前の東京の不穏な空気の中、僕はギターを背負った子羊状態でMilkの階段を下りていったのさ。で、ついて早々早速ライブ。でもさーもうわかんねえ、なんで三日前に取り替えたギターの5弦が切れるんだよ!!司会の子羊エルマー氏のナイス盛りあげでなんとか乗り切ったよ。で、このエルマー氏、司会にほんとに慣れている。初めてみたネタが独唱パンクにおける「マンPの三分ペッティング」だった僕は、彼の司会者としての一面にプロ意識を見たね。で、やっぱり後半になって一気に脱ぎだした彼の全裸への迷いのなさと行き届いた剃毛具合にも彼の日常感覚をかいま見た気分だった。タブーを犯すことが歯磨きくらいに自然になってる人の強みというのは強烈なオリジナリティーだよ。でも、なんとなくだけどそこには「そうならざるを得ない衝動」と「それは自分にとっては苦ではない」という感覚が同居してないとライアーになってしまう気がするんだ。何がいいたいかというとそうじゃなきゃ客には無理をしてる人としか思われないし、きっと長続きしないということだけなんだけど。彼は高円寺でもうすぐ自主企画イベントをやるようだ。

後半にロカビリーのバンドが出てきてさ、ウドベ偏愛主義な自分は迷わずスカーフ麗しいベースさんの前に行きノリノリでツイストもどきを踊っていたんだわ。そしてそんな僕に悲劇は襲った。ラスト一曲終了のあとでそのバンドのドラマーさんが勢いよくスティックを投げたのさ。そのスティックはハットリ君顔負けの旋回率で縦回転しながらまっすぐに僕の顔の真正面にまっすぐに向かってきた。え?と思ったその刹那だ、そのささくれ立ったスティックは迷うことなく僕の下唇に直撃さ。衝撃のバウンドで1Mくらい弾けとんだスティックをみながら思わず僕は「ふごっ!」といったよ。29歳、アダルトサイトでは熟女のカテゴリーに属する年齢のオトナ女性が発するにはあまりにも不似合いな発声だったよ。でもこれはステージの人間の愛だからさ、下唇を抑えながら落ちたスティックを拾って僕は大事に家まで持ち帰ったよ。東京は台風が直撃、僕の唇にはドラムスティックが直撃、僕は思ったよ。これがホントのリップ-スティックだってさ。とほほい。

9/5のパーリーのあとで嬉しいメッセージをたくさんもらった。「元気が出た」「感動した」「もっと長くやってほしい」そして僕はそんな人たちの前で「六九共闘宣言」の一年以内の開催を宣言した。ギャラリーのオーナーに150ドルの扱いで歯向かったときから決まってしまった僕のアウトローな人生は、ようやく自分のパラダイスは自分で作る、というシンプルなモチベーションの前に本格的な第一歩を踏み出そうとしている。僕は人前に出るのが好きだし、目立つことをするのが苦ではない人間だ。詩人名乗って10年というキャリアが裏打ちするこの気質がある限り、クオリティ云々を問う以前に僕は人前で即興で詩を作り唄だって歌うだろう。そしてこの目立ちたがりの気質は経験と歳月の重なりを得てだんだんと円熟していくかもしれない。でも、僕はだからといって一部の人がするようにいつか政治家になるということはない気がする。それには二つ理由がある。一個目は僕が個人的な不都合を解消するために全体の幸せを追求しない人間であること。それと二つ目は僕は人の心を鼓舞するのを仕事だと考えていて具体的なルールをいじるのは己のキャパを超えると認識していることだ。すごく難しい言葉回しをしてしまったけど、これを喩えるなら「僕は政治家にはなれない。だけど政治家になるべき人間が迷ったり悩んだりしてその道をあきらめそうになったときには彼を正しい本来の道にきっと返すことが出来る」、そんなとこだろうか。そして僕はそのことに自信があるし、それがアーティストという自分の仕事だと思うのだ。言葉にするのはかっちょいいけどさ、意外にしんどい夜だってあるぜ。ちなみに英国のあるアーティスト曰くアーティストであるってのは状態であって職業ではないんだってさ、ちょっと感動しちゃったよ。

※写真は水墨画ライブペイント中の真蕾先生。

次回ライブは下北沢LOFT 9/13(木)¥1500 19:00スタート出番二番目。

明日9日はMOTTギャラリー個展最終日。
イラスト見たい人は早めにおいで。

| | コメント (0)

2007年9月 6日 (木)

感無量。

070905_1936001

ああ、

すごいよ。

30人以上は来たよ。

メールもたくさんもらったよ。

二次会は男子とエロ話だよ。

女性を先にイカせるためならサザエさんの唄でもおばあちゃんの顔でも

思い出して遅らせるんだってさ。その男気に感動だよ。

つよちんさん本当に仲間というかお客連れてきた。

ゲストなのにすごく助けてくれたよ。

ヒューマ君の料理もみんなを笑顔にしたね。

でも自分は駄目駄目だったな。

マジで喜んでくれてるか本気自信ないけど

誕生日に最悪があると高く飛べるって知ったからな。

めげずにいこう。

070905_1938001

僕は笑いをとるためにどうしても最初にあったときのネタばっか

話しちゃうけど、私の友人いわく「クリス・ペプラー似声のいい男」の

このカメラ目線のお兄さんは「お前は本物だよ」といって

事あるごとに励まして日記も読んでくれてんだ。

夏の展示ツアーの終わりで29歳の始まりのこの日に彼に絡んで

もらえたのは本当に幸せだった。もう最初から決めてたんだ。

最後はこの人にお願いするんだって。

つれてくよ

犬だって

猫だって

あああ

ってのはチバくんの唄だ。

でも同じ気分だ。

つれてくよ、いつだって何処だってパラダイスに。

僕を助けてくれた人に必ず恩は返すのさ。

来てくれた人、本当にありがとう。

で、MC前に酒飲むの、ホントやめよう….

-----------------------------------------------------------

9月のVivienne★殺人?スケジュール

★9/6(木・裏ロックの日) 恵比寿みるく
渡辺 伸一PRESENTS
「カリブの海賊 vol,10」
OPEN/START 17:30/18:00
ADV/DOOR \2000/\2500(D別)
the69(渡辺 伸一&HIS BAND),MONKEY TRICK,BEEF,爆紅,TRASH BOX,Rads Clot,MURA,ROCKABILLY DANCE/早稲田ツイスト研究会,HIP HOP DANCE/CANDY,ボディペインティング/Bob,ネイル/まり&飯塚幸子&ゆっち&夏,司会/仔羊エルマー, etc...

9/7 MOTT GALLERY 「HAVE A TEA TIME」(在廊日)18:00-21:00

9/8 LAPNETSHIP 「Tシャツプリントデイ」14:00-20:00

9/9 MOTT GALLERY 展示最終日 終日在廊 13:00-19:00

9/10 LAPNET 在廊予定日 18:00-20:00

9/11 ラミステヤスラギ鑑定日

9/12 LAPNETSHIP 最終日「Tシャツプリントデイ」12:00-18:00

9/13 下北沢LOFT ブッキングライブ

9/14 はるだんじ展示最終日

9/15 はるだんじ搬出日

9/16 Ben's cafe ゲスト枠リーディング

9/17 東高円寺カットウ ブッキングライブ

9/18 ラミステヤスラギ鑑定日

9/20 浅草KURAWOOD ブッキングライブ

9/23 桑沢デザイン木版画展初日オープニングパーティー

9/25 ラミステヤスラギ鑑定日

長くなったけどほんとありがと。これからも宜しく。

| | コメント (1)

2007年9月 5日 (水)

28歳と29歳のあいだで。

070903_1640001

28歳最後の夕飯は神座のラーメンにしようと心から決めていて遂行した夜、最後に観るライブはやっぱミッシェルということになってDVDを漁ってドロップをみる。私の28歳ってなんだっけと始まりから思い出せば、おえっぷって気分でもういいやと思う。どこまでも濃い28歳。全てをなくしたと思った一年前、僕に出来たことは眠いときに寝て、会う必要がある人を鑑定してあとはネット。それがどうだろう?今や一月から数えて展示が13回、ライブは35回だよ?一年前まともにギターすらいじってなかった僕は(あ、これは今もか?)今月はステージ予定が6回、週三回の電話番のバイトをこなし、週一回は鑑定に出ている。で、展示は同時進行で三つだ。明日は密かに一人展示場所ツアーをするよ。誰がなんと言おうと、僕は自分で自分を褒める。良くぞここまで這い上がった!!感動した!!感動したからまた千疋屋でパフェ食べた。白桃、1600円前後。どんだけブルジョワだって話だよ。

 昨日の段階で大まかな搬入を終えたとき、なんかがウルッと来たんだよ。夏の初め、六つのショウに出展なんて出来るのかよ!と内心ドキドキしてたけど、そのラストが終わったことで緊張の糸が切れたんだと思う。全部を新作、とは行かなかったけど、最後まで僕は一個一個の展示で毎回ポジティブに成長を遂げたと思う。親友の結婚も見送ってさ(お前は親か?)、やるべきことは全て果たして明日から新しくなろう、そう決めた。

 それと僕はちょっと前にも書いた心の傷について重大な発見をした。記憶はそう簡単には消えないということだ。記憶から消える人間ってやっぱ自分に対してノーアクションだった率が高いんだと思うんだよ。一緒のクラスだったけど目立ってなかった、とかさ。僕はね、狂信的な宗教みたいに確信してたことがあって、それは音楽をやればやるほど一時的に離れた人たちが戻ってきて、「彩、あのときはごめん。」とか言ってきて和解できると思ったんだよね。結局そうやって相手のアクションを望んで自分を動かし続けたことの根本って、自分のどうにもならない痛い記憶をポジティブに書き換えるために相手に働きかけたい、ということだったんだよね。書き換えることってさ、その記憶の束が抹消されることではないんだよね。むしろ消えないからハコに収めたい、みたいな感じだ。だったら「あんな奴すぐに忘れてやる!」ということは無駄な労力ではないだろうか。ある魅力的な女性がこういった「私は男性と別れるたびに相手を(死んだ!)と思う事にしてる」。その理由は死んだと思ったらよいことだけ覚えるように勝手になるから、だそうだ。なあるほど、と思った。それってさ、脳みそがもう外的要因からの働きかけがないと鋭く判断した場合に脳みそは自分ひとりで片付ける方法を編み出すのだ、とも言えるよね。だったら自分ひとりの中で何とか良いことだけ持ち帰るように思考回路を変えるほうがずっとはええと思った。だから今日僕は呟いたよ、鑑定所の窓から裕さんみたいに外を見る気分で「お前らのことは忘れねえよ。」ってさ。そうしたら自分の脳みそがちょっと働き出した気がしたよ。とりあえず思うのは「離れる」ことと「忘れる」ことは必ずしも同じではないということだ。第一、自分が何か痛いこととかしちゃったら「忘れてくれ」と思うもの。最悪な言葉を吐いてさらに「ずっと覚えていて!!」と叫ぶのは不自然だよ。でも人は自分が忘れられるかもしれないということにずっと怯えている。

 とりあえず僕は「刺激をうけた相手の記憶は消えない」ということを前提に、立つ鳥そのあと濁しはしないことにした。だから僕も、相手に対してはどうしたらポジティブな印象というか思い出を残せるかを真剣に考えてる。それと、このタイミングで喧嘩別れしていいのか?こいつに悪く思われ続けることを受容できるか?ということも考えてる。

 さて29歳、天才パティシエ料理人ヒューマ君はこんな夜までかかって仕込み。つよちんとリヤさんの無国籍バンドにおみちゃんの演奏できっと無敵。そして僕は、LAで個展をやる権利を密かに獲得していたりします。LAのポップキラーギャラリーに出品した作品が完売して次を送ってといわれたとき、送る予定の二点におまじないをかけたんです。「全部完売したらLAで個展させてもらおう、と。」で、オーナーにこれを伝えたらある日突然メールが来てるのさ「君の絵が完売したよ、個展いつにする?」。結局状況を変えようとして変わったのは自分だけだったな。でもきっとこれはデカイ。そう強く思ってる。

| | コメント (4)

2007年9月 3日 (月)

Vivienne★Collection発表。

Dscf5250
皆さん!5日の夕方から夜はLAPNET SHIPですよ。
何故ってつよちんさんの一流ギターに
スイス美人ボーカリスト リヤさんを迎えたlumino+おみの演奏が
聴けるばかりか
我が「くだらないワンファックよか優雅なワンティー同盟」会員
パティシエ兼一流料理人 ヒューマくんがオードブルをサーブしてくれるのです。

そして私は、たまには素直な29歳なりたてほやほやの心境を
ここでリアルに話そうかと。いつもブログだとおかしくなるじゃない?

というか終わったー!!
この夏抱えてた6本の展示、全部出し終えたよー。
ちょっと我ながら近藤彩すごくね?とかおもっちゃった(笑)

さて、そんなVivienneの最初の手摺りTシャツコレクションの写真をUP
一応価格は全て4000円台です。ついにヴィヴィコレだよね。
あ、ウエストウッドさんと間違わないように!!
ほんとは色々書きたいけどもう駄目
昨日一時間しか寝てないんです。まずは写真で想像してちょう★
モノは明日から販売です。

Dscf5243
Dscf5228
Dscf5230
Dscf5233
Dscf5224
密かにサインが摺ってあるものも。
Dscf5231
二ーズがまったく読めなかったので
ほぼ160cm台の女のための品揃えと化してます。
プリント会もやるから是非意見をきかせてちょ★

| | コメント (0)

2007年9月 2日 (日)

嫁にいきやがれ。

070902_2113001
今日親友が結婚したんです。
結婚式の誓いの言葉の最中で目が潤むなんてありえねえと思いました。

友人代表のスピーチの途中で自分が泣いてしまい
客のもらい泣きを誘ったばかりか
新婦に笑顔で見守られる、なんて
ブログのキャラ設定ではありえないことです。

でも、キャラなんて軽く超えるのです。
僕たちの9年間は言葉を超えるのです。

誕生日がフレディーマーキュリーと仲村トオルと
ムナカタシコーと僕と誕生日が一緒でちょっと年上の体育会系の新郎に
くれてやります。

僕が19歳のとき、大失恋して40錠の睡眠薬を飲んだとき
俺を棄てた男は僕からの電話を切ったあと
「こいついっそ死んじゃってもいいや」
と思ったと笑顔で話しました。

同じ状況で電話したとき彼女は泣きながら
「切らないで!切らないで!切らないで!切らないで!」
と叫び
僕の電話を切ったあとで件の男に電話して
「私の彩は死なないの!!絶対に死なないの!!」
とカミツキました。

それ以来僕は
この女に何かあったら
自分の何が上手く行かなくなっても
絶対にこいつのところに駆けつけるんだと心に決めていきてきました。

そんな関係です。

でもそれも卒業です。
おめでとう.......。

話は変わりますが
おとといの夜自分のイベントを成功させたあと
開始早々三人しかいなかったライブでもすごく楽しんで帰り
タクシー代を全額負担したうえにプレゼントを渡し
うちのマイクスタンドを乗せたまま帰ったイクルは

たわいもない電話の最中に僕がふざけて
「僕って実はまーともだと思うんだけどなあ。」と笑うと

「そうだよ、あんたは誰よりもまともでマットウだよ。」
と真面目に返しました。

僕を囲むのはこんな友情でこれでいいと思うのです。

明日また原宿に搬入で
多分ほとんどの準備が出来てない私は夜なべで
でもって九月はもう三日くらいしか開いてないから
どうしても九月中じゃないと会えない人に急いで連絡してて
たぶんそれも全部埋まるはず。

暇すぎて生きているのが嫌になるか
しんじゃいそうな体力の酷使の中で必死に生きるかの
二択しかどうしてもないみたいで

でもどっちだといえばやっぱ後者になるのですな、僕は。

いつか会えるのでしょうか?
僕を嫌って離れた人と前向きで楽しい感じで。
僕をキチガイだと思ってる人は誤解をとくのでしょうか。
わかりません。
でもそんな未来も信じたりします。
喜びも悲しみも楽しみも...全てのロンドの中で
僕を忘れたり覚えたりいろいろしながらその人の時間を生きてもらえれば。

もういちどおめでとう。
今日はそんな気分です。



あ、はるだんじの展示が9/14まで延びました。
よかったら遊びにいってみてね。

| | コメント (4)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »