2007年8月31日 (金)
2007年8月30日 (木)
かつての愛への懺悔録(長編)。
MOTT GALLERY滞在日は8/31(金)18:00-
9/7(金)18:00-、9/9(日)午後より19時までです。
今日CDを買ったんだよ。ある意味でイワクツキという奴だ。僕が去年「絶対に仇討ち」とか一人で盛り上がった相手のアルバム…まあ率直に言えば好きだった相手だね。最初タワレコで見つけたとき、複雑かつアンニュイな気持ちになったんだけど、それを鑑定所の兄者にぶつけたところ「自分が嫌う物事のなかに真実が含まれているもんですよ」という助言を得たのね。で、ちょっとそこと向き合ってみることにしたのさ。
家に帰ってまずは3.11事変である所の不幸の手紙を読みかえしたよ。この恋愛に関わって僕から離れた人たちの手紙だ。相変わらず「あなたが行をやめたところであんたの代わりの人間は次々と生まれてくる」という文章は堪えたよ。神といったり人といったり自分勝手だとか。でも僕は彼らとのかかわりの最初で「弥勒って仏が話しかけてくる、ということを恐れ多くて認めづらいんだ」という相談をしただけだったんだよな。彼らがどんどんヒートUPしたんだよ。「私はあなたの霊的な母だ」とか「運命共同体」とか。
仲間割れの決定的な原因は、彼=Fとするけど、僕がFに一般の女子がするようなアプローチをしなかったということだ。家に行くようにお膳立てしたのにそれにも乗らなかった。あなたの口から聞く言葉は「前世の縁がどう」とかそういうことばかり、神様目線で高飛車にとまってんじゃねえよ、そんなあなたにまともな恋愛が出来るわけないと三人から言われてみ、同時期に。へこむぜ、かなり。でもこれは悲しい誤解だった。僕がFにアプローチしなかったのは、そのお膳立てしてくれたという日が何箇所かの地方行脚の前日だったんだよ。同じ芸術の道で生きる相手が金かけて地方にいくってこれは勝負だと思ったんだよ。だから少しでも寝るとか一人の時間とか必要だろうと思った自分は、霊的なくくりがどうとか、自分が好きだから、という理由でどうしても9割がた彼に迷惑と思われる押しかけアプローチが出来なかったんだよ。それ以前からメール打つときもダウジング繰り返して邪魔にならないか確認してたくらいだったんだ。
彼に最初に会ったとき、精神的なもろさを痛いほど感じ取ったんだ。すごいモテてたし今もモテてんだろうけどさ、それがなくなったら、つまり、女との関わりがないととてもやっていけない人だと思ったんだ。でも同時にそうやって集まってくる子は自分に自信がなくて王子様からエネルギーを欲しい人たちだからさ、逆にこのままいくと人に振り回されて音楽寿命が縮むのも予測できた。だから助言ができるタイミングが来たら確実にってそればかり考えてた。だから余計にマイナスになるであろうグルービーになれなかった。
代わりにしたことは、お参りとCDを10枚くらい買って友達に配ったくらいかな。店員さんに「全部同じですけど?」とつっ込まれて下向いてさ、恥ずかしかったな。自分は一枚も貰わなかったっつーのに(笑)。でも当時の自分はアナザゾーンどっぷりだったからさ、出来る助言なんて霊能者みたいなことしか出来ないわけだよ。でも、時々壮絶な弱音も吐いたしで、相当混乱したんじゃないかと思う、彼は。あ、あと彼まわりの人がミクシー経由で鑑定頼んできたときは頑張った(笑)なんか向こうの環境、よくなるんじゃないかと思ってさ。僕にとっても希望だったからね。
でもその関係は去年の自分の誕生日に終わった。ついに僕陥落したの。霊媒道として人生を歩むなら一人で生きていくのも辞さない、それでいい、と思ってる自分なんか嘘だと気づいたんだよ。で、すごくかっこ悪く額づいた。「僕の芸術には君が必要です」とかメールした。一体何処のイタリア男だ?みたいな文章で。そしたら「そんなの困り者です、恋愛の穴は恋愛でしか埋められないのは凡人です」って返事が来た。恋愛の穴を恋愛以外の方法で埋めようとしてついに陥落した自分には酷だと思ったよ。で、そのメールから24時間以内に別のルートから彼は今、失恋の痛手を女の子の家に入り浸って解消してるらしいって噂を鵜呑みにして全部お前にむけて言うべき言葉やんけ!!とぶちきれた。で、そのバイバイの翌日に何事もなかったようなメールがきたのにも、これ以上関わっても都合よく使われてしまうだけに思えて交流を絶った。
しんじゃおうと思ったよ。で、実際試した。でもカッターの刃を右へも左へも引けない自分を確認しただけだった。「まだ生きてえのかよメス豚!!」って自分を罵った。でも怒りは消えない。どうしようもない思いをどうにも出来ない。でも危害を加えられないし、そんな念を送ってしまったら東京No.1霊媒の名が廃る。だから自分を引き上げるハードルにしておとし前をつけるしかなかった。てか混乱しすぎてこの状況を説明できない自分は同じ音楽ってフィールドにたって何かやってみせるしか伝える方法はないと思ったんだよな。向こうの親御さんがブログ読んでるの知ってたからそれは本当にごめんなさいって思った。数日後に確認したら僕のファンコミュからぬけてらした。当然だよな。当時の日記でも散々叩かれたよ。「音楽は潰すとか潰さないとかそういう戦いじゃないでしょう?」って皆正論をぶちまけるのに荒れたコメントで抵抗しながらデスクトップの向こうで「この悲しみの何が分かる?」って泣いてたよ。
結局、前世がどうとかそういうことばっか当時の知り合いに話していたのは、それでも信じなきゃやっていけなかったんだ。すごく惹かれているのに、結果的に向こうに逆効果になるアプローチができない自分は、タイミングとか流れを読んだ行動しか出来なくて、でもすごく会いたいというひたすらな恋心を「心がつながっていて縁がある、それでもいつか会える」とかでも信じてなきゃやっていけなかった。体重もぶくぶくだわ、肌荒れも尋常じゃないわで女としても終わってたし。つまり、ただ好きだったんだと思う。というか好きになりすぎて深く思いすぎたんだと思う。自分も相手の作品が好きで同時に自分の作品を好きだといってきた相手だったからインパクトがでかかったんだよね。丁度前の彼が仕事が上手くいかなくて僕にあたってしまってた時期だったから余計だ。いろんなタイミングが本当にあってしまったのだと思う。そのシンプルな感情を救い上げてやっと僕は泣いたよ。あとは単純に失恋したんだと思えばいいだけだったからさ。嫁入り直前の親友に深夜のお涙コールをしたよ。で、ここまで男を思える自分はつくづくいい女だから早く誰かにさらってもらおうと思って雑誌の海外セレブの写真をみながら眠ったよ。
鑑定所にも恋愛相談は多い。他の鑑定所にも通った末にうちに来る人もいる。厳しい恋愛だったりするよ。でも彼女たちは上手くいく行かない、なんて結果論を求めているんじゃない。自分の中に収めきれないほどの感情の収まりどころを探してる。厳しいものを上手く行きますとはいえないよ、だけど、彼女たちがその人を思ってどう行動したら結果的に恋愛が終わることになっても彼女たちにとって財産になる経験ができるか?ってことをいつも考えてる。これはこの恋愛の経験を踏まえてのことだ。
で、自分はどこまで耐えられるのか知りたくてCDを買ったの。懐かしい声が流れた。歌詞を読めば、相変わらず実体験先行型での曲作りがうかぶ。私小説作家みたいになりすぎてしまわないか心配になるけど、きっとなんだかんだ大丈夫だろうと思う。前回買ったときは半分くらい実は聞き流してた曲があったんだけど、だいぶエッジの効いた曲が増えてカッコよくなってた。ファンが増えてメディアに取り上げられて自信がついたのだと思う。いくつか僕にむけてる?みたいな錯覚をする言葉があったけど、昔から世界観が似てたし、シンクロニシティは何に対しても日常茶飯事だから面白いな、程度にとどめる。肝心の胸の痛みは意外なほどなかった。確認をしたから、近いうちに過去のCDとまとめて好きそうな誰かに譲ろうかと思ってる。ルールを決めているのだ。一度でも恋愛がらみで何かあってそれが終わった人とはモノとか全部含めて時期をみて手放すと。自分が振ったときも出来るだけそうすることにしているし。
不幸の手紙もやっと燃やした。重大ごとだと思っていた世界がゴク小さなものだったと気づいた。ゆっくりとこだわりが解けていく。手紙を燃やしていく火でタバコに点火してお別れをいった。バイバイ、ファビアン、バイバイ、リリー、バイバイ、リチャード、バイバイ、マチルダ。僕は書かれた言葉を忘れていくだろう。そして感情の輪郭もゆっくりと解けていくだろう。あとはあれだ...どうしよう、音楽?モチベーションをなくしてしまったなあ。まあいいや、今年の誕生日は原宿でパーティーなんだよ、で、料理上手な友達にオードブル頼んでいるんだよ。そんときにモチベーションを見つけよう。それにひょっとしたら誰か来てくれた人が一人ぐらい、音楽やってる君が必要だって言ってくれるかもしれないしな。今日イクルどうだったかな。まずは8/31、でもって9/5、お時間あったらよろしくお願いしますね。
2007年8月28日 (火)
白桃(はくとう)。
駅前のビルの2Fのパーラーの
窓際の席に座ってパフェをつついている
どうせ君は僕を愛すること以外行き場所のない女
小さな窓の向こうに光る文字の羅列から
必死に僕の痕跡を探してる
ゆっくりと滑り落ちる白桃のカケラを意識する暇もないまま
悔しそうに画面を閉じる一瞬に生れ落ちるのが
君の体現する本当の文学
会いたいと名を連ねるより願うことばかり口走ってる
本当を知りたいと叫ぶフリして夢ばかり語っている
一人だって大丈夫と強がる言葉はそれを言える誰かを求めて
誰よりも人に会いたがっている
嫌いだという前に会いたいと伝えてくれないか?
恨み言のネタがなければパフェをつつく理由を忘れてしまうだろ?
どうせ
君は
僕を愛すること以外
何処にも行き場所のない女
愛していると伝えるなら
きっと夜中にベルをならそう
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今日オーナーアイショー君の助けを借りて無事搬入終えました。
最強です、展示。
一点モノのドローイングをはじめて公開して、でもって売ることにしました。
もし売れたらあなたは永久にその作品を見られないでしょう。
実物でって話だけど。
火曜日、ラミステヤスラギは当日電話予約も今日は大丈夫みたいです。
2007年8月25日 (土)
ボスに接見する。
8月28日~9月9日
gallery1F 現代木版画家 「伊津龍之介 個展」
gallery2F 現代木版画家 近藤彩 個展 「Rock'n'roll Pieta」
8月31日18:00~レセプションパーティー
宿題に追われてない人は遊びに来るように!
MOTT Factory & MOTT Gallery
162-0065 東京都新宿区住吉町10-10
TEL:03-6807-9987 FAX:03-6807-9988
MAIL:info@mott-factory.com
WEB:http://www.mott-factory.com
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先日、僕はついにヤスラギの社長と対面した。受付の兄貴こと統括に連れられて鑑
定所からひょこひょこと事務所のあるビルに向かうと、途中に水天宮があった。こ
の水天宮、余談だけど平家の生き残りの女性が平時子と建礼門院を祀ったことに由
来するお社なのである。(昼間なんかおじさんたちと一緒に猫が昼寝していてとて
も可愛い。)自分がKEYになる箇所にいくと必ずこういうものが建っているからつくづく守られてると思う。
事務所に入っていくとその一番奥に窓を背にして小柄な女性が座っていた。緊張のあまりたどたどしい語りになる。電話鑑定のお客様の電話をにこやかに繋ぐと彼女は柔らかにこちらに笑いかけた。最初に電話で社長と話したとき、僕はこの人に会わなきゃいけないと思った。会ってもその理由はまだ分からない。だけど、この人とは縁がある、ということだけは実感としてわかった。
つっかえながら彼女に自分の鑑定への思いを話す。「私は皆根本で、誰かに大丈夫って言って欲しくて占いに来る気がするんです、だからマキシマムでそれを伝えてあげたいと私は願うんです。」そういうと彼女は「そうよ、そうなのよ、皆大丈夫が欲しいの!」と笑顔で相槌を打ってくれた。それと、あなたのそのカジュアルな感じがまたいいじゃない?とあり方を認めてくれた。統括も「本人がいる前で話すのはなんだけど」と前置きして社長に「彼女は、神様の言葉とか世界の段階でお客に対して話を止めないんです。出来るだけ具体的に話そうとするのがいいと思って。」と話してくれたのがうれしかった。自分が一番大事にしているポイントを正確に第一に理解してくれているということが。
19歳前後、僕は一度アナザーゾーンにどっぷりと触れたことがある。その頃の僕は自分を酷くもてあまし、同時に自信もなくそのくせ変に威圧感があって、実家と折り合いがつかなくて男関係も不安定だった。そんな中で人に言わないできた立証できないけど確かにある世界を共有して話せる人に出会ったことでハイになり、同時にその世界の何でも肯定してくれる感じに完全にはまり深みに落ちた。結果として僕は安定剤と肉欲とリストカットという即席で効果が出る代物たちナシでは生きられない人間となった。僕がこうしてエロ以外の習慣を全て棄て今現在健全に生きていることは奇跡に近い。
だからまるで洗濯機の渦に巻かれているみたいにサイキックな能力を再び身に付けだしたとき、僕は迷わず引きこもりを選んだ。書物を読み漁り、実践で鑑定を繰り返し、ノートに所感を書き、スピリチュアルな人間と交流を持ってはある段階で斬り捨てた。何度も以前の生活に戻りたいと泣き、その一点に達するまでは諦めないと孤独な戦いを続けた結果、僕はやっと見えない人たちが見える価値観を実生活に取り入れるような話法展開をなんとか形にし、具体的実践例として己の人生をもって見えない価値感で見えている現実を生き、それをきちんと言葉にするというスタイルを確立した。少なくとも、スピリチュアルに逃避するのを助長したり依存させてはならない。見えない世界の根拠を証明できない部分は諸刃の剣だ。証明ができないということを底なしの希望にするか不安にするかは言霊使いである鑑定士の力量にかかっている。その僕が闘っている重要性をここは認めてくれる場所だったのだ。選んでよかったと思った。で、自分が頑張ればこの人たちにも良いことになるということがとてもいいと思った。
奇麗事ばっか書きやがってと、人は思うかもしれない。でも僕は決めたのだ。自分が好きでいられる自分を認めて愛してくれる人たちを大切にするのだと。そのことでうぬぼれるだけの若さは多分消化できたと思うから。只でさえ、自分は見えないものを見えると公言するだけで煙たがられ、避ける人がいて、それに胸を痛める繰り返しは多分永遠に続く。見えない世界とか、世界を確実に動かす個人の意思以上の流れが存在しているらしいよ?そろそろ認めようよというのが今の世間の認識だろう。でも本当は見えない世界で語られているこの価値観は現実的なこの事例と照合する、というような表裏一体の縫い合わせという途方もない作業が出来なければ本当の意味で生きることにはなれないと僕は思う。そんな僕の言葉とあり方に人生を預けてくれるなら、美虎はマキシマムであなたの人生にぬかづくよ。そして...出来たらエスパー魔美の高畑さんみたいな男性に窒息するまで愛されたいです。もう僕いっぱいいっぱいなんだもの。
2007年8月24日 (金)
抱いて頂戴。
PARA氏が愛についての朗読をした。舞台はPARA-KYO-BAKO一発目。詩人界隈のお客は言葉に真剣に耳を傾けてくれるからいい。
詩の中で彼は月に一度の風俗通いについて語った。しかし、100%の真実ではないかもしれない。読まれた場所は舞台なのだから。しかし、詩人は本質的にぶっちゃけ気質があるのだから本当かもしれない。唯いえることは「ぶっちゃけ気質を持つ人間は自己の社会的肯定の手段として詩人という職種を選ぶ傾向にある」ということだ。詩人をやるからには自分を晒さなきゃいけない、というのはナンセンスだ。その言葉を言わせる感情が詩人というコミュニティに存在する根本は、自分を晒しあげなきゃ生きてゆけない不器用な人種の集まりの中に、その辺を器用に出来る人間が混じりこんで余裕をかまされることによる憎悪とか嫌悪感なんだと思う。話が冒頭からそれすぎた。内容に戻そう。
その日のお店の女の子が彼のことを事の始まりに強く抱きしめたらしいのだ。彼はその時そのぬくもりの中に埋没しながら「自分は生きていていいんだ。」と深い安堵を味わったらしい。そして「射精という目的を超えた人とのつながりを感じた」というような体験をしたらしい。僕はその情景と感情の描写力にいたく感動した。
僕にとって彼が言葉にしたこの感情的風景は「今日はこれを言葉で聞くために出演をしたのではないか?」と思うくらいに素晴らしい発見だった。頻繁にブログにも書いている通り僕は3日に一度は死にたい気分になる。それでも医者に通おうとしないのはこのモードが日常といえるくらいに習慣化しているし、それゆえになんとなく収まりがつく未来を予見できるからでもある。で、同時に自分がその予測を超えて肉体を棄ててしまうパターンについても思考をめぐらせるのにも慣れているからだ。でもこれってなんていうか、世間的に人が自死を選ぶ感覚とちょっと違うかもしんないなと思っていて、その根本を思索するのに数ヶ月を費やした結果、僕は発見した。多分僕の絶命願望は電気機械の暴走に対して主電源を落としたくなるあのじれた感じなのだ。もっといえば、自分の思考が回りすぎて感情があふれた時に僕は自分を引きとめるためにコードを抜くように死を夢想するらしいのだ。だから最近は突然の眠気が自分に襲うことを許し、暇があれば寝る。それと、どうしたらエネルギーが日常的に上手に発散できるか考えている。自分ひとりで。相談もした、でも大抵返ってくる言葉は「そんなに有り余るエネルギーと才能にあふれてるなんて羨ましい」と賞賛されるばかりだ。僕が欲しいのは「そりゃ大変だねえ、どうしたものだろう?」と呑気に構えて一緒に考えてくれる人なんだが。
僕にとってのハグの記憶は17歳のときに激しい頭痛に襲われて叫びながらベッドに頭を打ちつけ続ける僕を踏ん張って抱えた祖母の柔らかな肉。それと3歳の時に箱根旅行にいって、スワンの形をした船の座席シートを何度もよじ登って踏み越えては席をかえ、どの席の親戚や親にも笑顔を向けてもらったり頭を撫でてもらった記憶。それだけ。こんなに重要な記憶になるなんてきっと思ってもみなかったはずだ。他の記憶ももっといっぱい在る筈なのにどうしても思い出すことが出来ない。だから作り始めた、クリスマス、誕生日、些細な報告。その度に実家に電話してはイベントをする。足りなかった何かを永遠に嘆くなんてナンセンスだ。人は自らを作り変えるために夢をみて、レヴェルはどうあれ予知能力をもつ。御上が連れて行く、という価値観は同時に、動物が獲物のいるほうにレーダーみたいな勘で進んでいくという個体機能にも根ざしている。どっちがどう、ということはないだろう、どっちも同時に進行しているのだ。
少し年上の友人の家に遅い時間にお酒を飲みに行って、そのまま泊めてもらった事があった。固い床に毛布をひいてごろんと横になった。ほろ酔いの戯れに横をむいて眠る彼の肩に手をかけて少しだけ手を握らせてもらった。それ以上は何も無かった。ただ、明け方指の感触を確かめながらこの伝わってくる「永遠」みたいな感覚はなんだろうと冴えた頭で考えた。答えは出なかったから時計を無視して彼が起きないのをいいことに触れる背中の面積を増やした。PARA氏のリーディングを聞いて答えはこれかもしんねえなと思った。共存とか生活とかいう、見えない狼とか小さいパンダとかとの生活だけでは具体性に乏しい感覚。しかし、思い通りにならないものは一つくらいあったほうがいい。それが人の生活だ。
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MOTT GALLERY 企画展
「Rock'n'roll Pieta」
8/28(水)-9/9(日)まで
8/31 18:00-20:00まで
オープニングレセプション
イクルを招いたツーガールギグ付き。
先着15名様に手刷りトートプレゼント。
尚、DM枚数極小につきWEB告知メインとなります。
2007年8月22日 (水)
PARA氏のこと。
明日はPARAさん企画
「PARA-KYOU-BAKO」
日時:8月23日(木)20:30より(20時開場)
場所:Bar AriA
東京都杉並区高円寺北3-16-2 2F
高円寺北口中通商店街(セントラルロード)を直進7分ほど歩いた右手
かきちゃんらーめんの2階
03-3223-8073
料金:1500円(1D付:お店の通常料金)
自分ゲスト共にカンパ箱設置、お気持ち大歓迎です。
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まっすぐに怒る姿がいいなと思った。少し背中を丸め、トム・ウェイツの歌の世界に出てきそうな感じで、世の中への怒りと慟哭と無力感を読み下す姿を好もしいと思った。ストレートの球で勝負する前に変化球ばっか追求する詩人たちと距離を置こうとする僕は、オープンマイクに遊びに行ってもほとんど他の人と話をしないのだけど、彼とは話してみたいなあと思った。そんな彼が一通りの休憩タイムのあとで声をかけてくれたのはまさに好都合で、そのあとでやったAPIAのライブに彼が顔を出してくれたのは奇跡だと思った。それがPARA氏だった。以降彼は僕の様々な姿を見ている。
彼が独唱パンクというイベントにでるのだと聞き、イベントの頭から顔を出した。悪魔の日を絡めた内容の詩を静かに震えるように語り、「次の犠牲者はお前だ!」などとその震える両手をかざした時はマジ怖えと思った。怖いことやって、きちんと怖がらせるそのクオリティにも納得したのだけど、それ以上に彼がその日のイベントで率先して笑い、楽しむ姿をみて、自分が参加しているイベントを心から楽しんでいる姿もまた良いと思った。
ある日のライブ前、楽屋からエンジェルカードを持ち出した僕は彼に数枚カードを引いてもらった。相手の手元を見ながら僕はいつも同時進行で自分が引いて伝えなきゃいけないカードを探しているのだけど、彼が、僕が思う「今日引くべきカード」を100%の的中率で選んできた時、僕は彼の洞察力、そして眼力、天性の勘に確信を持った。彼はファンだという相手のイベントにいそいそと顔を出して、彼や彼女の重要な顧客となりながら同時に彼らの中のエッセンスを上手に纏め上げて自分に確実にフィードバックしている。だから話が前後するけど、彼の参加した独唱パンクでの10分足らずのアクトにもしっかりと実のつまった感じがあったのだ。喩えるならいい音のするスイカのような感じ。
だから僕は彼のイベントの第一回目のアクトとしての誘いを快諾した。彼は僕との間に似たもの同士の挑戦者意識を見るのだという。ある意味で同志だと。彼のセンスを信用している僕の視点とはきっと多分角度は違うと思うけど、彼に自分の何かをずるずると引っ張り出されたらいいなあと思っている。即興の詩とか。
即興はハンカチロープに似ている。非常時にハンカチとハンカチを結び合って窓から降りる命綱にするあれだ。その場の状況、ココ最近の出来事、相手との関係、自分のポリシーとかその辺のものがズルズルと結び出された結果、最後に思いがけない自分の主張や思いがたち表れてハッとするのだ。僕にとって即興とは標本採集的な行為に近い。だからたくさんの方程式を記憶にストックしてパターンが決まってきたらきっと僕は即興という行為を止めてしまうだろうと思う。ルーティーンでやったら面白さなど何も無い。曇りなき意識で己の全てを把握して見切るのだ、でなければ新しく入ってくる刺激に対して無感動になってしまう。
己を見つめることを拒む人間は勢い攻撃的になりやすい。いや、攻撃対象が無差別になりがちだと思う。その理由は他者からの影響がどこからくればプラスで何処からだとマイナスか?どの表現なら受け入れられてどれならへこむか?がきちんと把握できていないからだと思うんだよね。でもPARA氏は静かに吸収し、とても澄んだ目で会話を出来るのだ。
で、時々自信のなさみたいな感情を照れみたいにポロっと出すんだよね。ナイショです、そんな一瞬をちょっとカワイイと思ってしまったりすることは笑。最近こう思ってもいます、全ての男と子供は私のコドモ♪今日は所長とホームランアイス食べながら椅子を並べてPCのTVでちょこっと甲子園の決勝みてました。いい試合だったよね。
2007年8月21日 (火)
夜を生き、夜に逝け。
夏の夜を支配しているのは実はたった一人の処女であって、彼女がまだ出会わぬ男の肌を思って身体を火照らせばその影響をうけて大気はますます熱を帯び、彼女がため息を漏らせばその思いで大気は重たく湿っていく。だからこんなにも夏の夜は重苦しく、時に行為は衝動をおびてやるせないまでに人を駆り立てる。彼女を抱こうにも人は彼女を見つけることすらできない。皮肉なことだ、こんなにも狂おしく彼女の心の全てを肌に感じているというのに。
彼女、とは実は限定された存在ではないのかもしれない。女たちの魂が持ちえた純粋無垢な総体がたった一つの処女という幻影をもちえて夜を支配しているのかもしれない。誰からも何ものからも解き放されているのに誰よりも不自由な彼女。もう何も欲してはいけない。処女性は天女のような軽やかさで持って所属に恋をしてはいけないのだ。
しかし彼女たちは恋をする。それが女として生まれたたった一つの価値だと信じるかのように所属に恋している。時に彼女たちは所属する側に回ることを欲し、それ以上に所属されることの喜びに飢えている。解放への渇望は自身が望む形での所属への永遠の戦いであり、内なるその意識に目覚めれば目覚めるほど彼女たちは戦士としての己の存在に絶大な価値をおきはじめる。
僕は最近エアメールで幼馴染の死を知った。ひざ下にも届かないほど葉を固めた植物たちがダラダラと沿道で行進するアメリカの道の途中で砂埃にまみれて彼女は道路わきに横たわっていたそうだ。日に照らされた肌は白いまま組織は日焼けを製造する過程すら忘れ、ただ口から一筋の血が流れていたらしい。とても安らいだ様子だったと手紙は告げていた。彼女の白いドレスは砂にまみれ赤いベルトはところどころ剥げ落ちていたというのに。
「処女性だけがすべてと思うのね。」彼女はバーテンダーの動きを注視しながら発せられる一音一音の響きに気をつけてゆっくりと発音した。二つのことを同時に成そうとする時、その輪郭に最大の関心を払うのが彼女の癖だった。「私にとってそれは生殖という概念を棄てることなのよ。」そういうと二本の指で器用に挟んだタバコに口をつけ、天井のファンに向かって紫煙を吐くと静かに微笑んだ。生殖を大事にする、という意識をタールとニコチンでのダメージに置きかえる喫煙という取引を彼女は心から楽しんでいるようだった。タバコを吸う女は嫌いなのさ、と男が言うたび、彼女はバックからタバコを出しては口に咥えゆっくりと微笑してから外にでていった。彼女は何を嫌っていたのだろう?性欲の飢えをコントロールする生存と生命維持を託される無意識の期待、ある時から彼女はその辺のことを覚悟をもって切り離してしまった気がする。そしてそれゆえに彼女は美しかった。
一枚の無理やりに引き伸ばされた写真が封筒の中に残されていた。警察の現場検証が始まる前に彼が撮った彼女であったもの、崇高な入れ物である身体の最後の映像。両手と両足を広げて横たわる彼女のバックには乾いた肌をした山が見えた。天気は快晴。日の光がその最後の姿を焼き付けるように画面をすこし黄色く濁していた。何処までも自由でいるようでいて、結局は大地との所属に深く深く縛り付けられているその絶対的なパノラマに僕は泣いた。
久々に彼女のことを思い出したのは今日という日がとても暑かったからだ。この暑さで人が死んでいる、でも彼女の死も彼らの死も実体として触れていない僕にとっては幻想のようなものだ。幻想のような現実、もしくは現実という名の幻想。こめかみから首筋に流れ落ちる汗だけが現実だ。僕は祝福を叫ばないかわりに右手で汗をぬぐった。
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二代目市川商店
PARA企画不定期ライブ
「PARA-KYOU-BACO:一発目」
(ぱらきょうばこ):独特の世界を確立する“朗毒志人”PARAさんが企てる
ゲストを迎えての2マンライブの最初のゲストに選ばれました。
今日のショートショートを読んでもいいかなと思っています。
ライブハウスではやれないので。
彼の紹介は後日。
日時:8月23日(木)20:30より(20時開場)
場所:Bar AriA
東京都杉並区高円寺北3-16-2 2F
高円寺北口中通商店街(セントラルロード)を直進7分ほど歩いた右手
かきちゃんらーめんの2階
03-3223-8073
料金:1500円(1D付:お店の通常料金)
自分ゲスト共にカンパ箱設置、お気持ち大歓迎です。
2007年8月19日 (日)
デットミート、デットミート。
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今日は東高円寺 カットーにて18:20~ライブです。
良かったら遊びにきてね!
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ずいぶんと日数空いたんでねえの?そうです、だって物凄く眠かったんだもの。どんだけ落ち込んでても書けた文章が眠気に負けてます。健全です。サマソニ07の刻印というべき肩の日焼けが悪化し、随分とケロイディッシュなことになってきたよ。今年のマイブームはタンクトップだったのに、もうおうちの外では着られねえ。
さてさて、サマソニにて待ちわびたショーン・レノンを前から二列目で観てきたんだ。セッティング時間は15分。フェス中のステージのハシゴを覚えちゃうとこの時間って異常に長く感じる。耐えられるかなー?とか思ってたら前がざわめいた。ショーンだ!セッティング中にうかうか出てきちゃった。パナマチックな麦わら帽子に造花の赤い花をつけてボーダーのシャツを着てる。小柄なビューティフルボーイ。でも僕にはどうしてもカトちゃんに見える。彼の音楽への方程式は何か奇妙だ。たとえばギター。彼はライブの間中、たった二本のギターしか使わなかった。しかも10年前からずっとこれしか使ってませんといわんばかりにエレキの腕のあたる部分の塗料は剥げ、アコギのピックガードの先もピック跡ではげ剥げになっている。大抵ミュージシャンの友人の日記を読んでると、彼らは貪欲に新しい音質を求めて最新の楽器を楽器屋で試しているんだけど、彼のベクトルは全く逆に思えた。ついにはメンバーまで招集して一個一個の音の質を自身の理想と完璧に一致するまで練り上げる。まるで新しい絵具を足すよりも墨の濃淡にこだわっている感じ。
そしてあと6分待ってね、と時計を見て正確な待ち時間を告げた後、彼が出てきた。彼とメンバーとが属するコミュニティはLAで経験した日本人のコミュニティと同じ空気がした。日本人の中に日本語が上手な誰かのウエスタンな彼氏が混ざってるそんな感じ。
彼がマイクに口をつけた。彼の存在はクリスタルの輝きみたいに脆さと壊れやすさをまとっていて、それゆえにリスみたいに可愛らしくもあり、なんというか愛くるしい。でも、たった一言で波打ち際の空気はおそろしく変わった。僕は息を呑んだ。おそらく、言語化しないだけで周りも同じものを共有したと思う。誰もが何も言わなかった。音楽が流れているその数分、そして彼が歌い終わるとどよめいた。シンガロングとか、歓声とか、そんなものは夏フェスで当たり前に起こる。でも曲のあとの静寂を破って「おおーっ」と客が騒ぐのはこれが初めてだった。泣きたい気分にさえなった。魂の極限の純粋さに触れると、時々、それが実際に存在している奇跡に感動しすぎてどうしようもなくなる時がある。
演奏中、彼はメンバーの一人一人とコンタクトする。ギター、ドラム、ベース、オルガン、一人一人と向き合って音を合わせる。ステージの上でも彼は個人的な会話を楽しむ指揮者のようだ。人間たくさんの人との出会ってるとその中に出会った瞬間に大好きになるタイプの人というのがあって、そういう人は例外なく存在が愛くるしいのだけど、ショーンは確実にそのカテゴリーに入る人だと思う。皇室アルバムでみる皇太子とご学友のグループショットを見たときと感じが似てる。彼らにとっては普通の出会いなんだけど、第三者から見るとそれはすごく神聖で特別な印象をうける、そんな感じ。彼と友達になれたら間違いなく幸福であり、そして友達になれないのなら、せめてセッションをさせてくれと頼みたくなる。音で濃密に感性と感覚をあわせて彼が友人と語らう仲ですごしてきた時間と同じだけの関係性を受け取りたい、そんなことばかり思わされて僕は彼のライブを観るという選択肢に忠実に動いた自分を本当によくやったといいたかった。彼は・・・天才だ。
ジョンとヨーコの息子だから特別、というよりも、純粋さを守るためにこの環境を選んで生まれてきた人、そんな言葉が彼には良く似合う。
2007年8月12日 (日)
サマソニ一日目に思ったの、チョメチョメとライブは似てるって。
昨年の夏、僕には仲良しの友人がいて、一緒にアロマハーブのお店にいったのです。僕は彼との会話が本当に好きだったんだけど、仲良く並んでハーブティーの試飲をしてたとき、ふと彼が僕の腕に触れたのね。「きゃあ、何このキメの細かさ!!超気持ちいいんだけど!!」なんて言いながら触りまくる彼。お陰でお店出る頃には二人はアベック扱いでした・・・彼、ゲイだったんだけど。彼曰く、お前のその肌は男を殺せる、とかでエラクほめてくれたので、それ以降、風呂上りに塗るのは痩身クリームじゃなくて柔肌にする奴ばかり使ってきました。それと、寝る前の唇には蜂蜜。これは麗しの千里先生の発言です。
「脱いだらすごいのよ?」はエステの宣伝だったと思うんだけど、さしづめ僕がやってるこの辺のケアは「触れたらすごいのよ?」でしょうな。どっかで男の視覚よりも味覚のことを考えています。夜伽の云々って女の子は見られてもいい体を求めてダイエットばかりを口癖にするわけですが、その辺を野郎友達に聞くとどうも違う。適度な丸みとふっくらさが欲しいと彼らは言う。僕は思うんです、男にとっては視覚よりも味覚、女の体はまな板の上の鯉ではないかと。もっといえば、視覚を超越して味覚を残すことが大事というか。たぶん食べ物なんです。
前置きが長くなりましたが、今日はHORRORSというバンドにやられました。奇妙な動きをするキーボーディストに背が高くてひょろりと長くドラムのシンバルを一個奪って歩き回る個性的なボーカル。最近何かで、スターになる子は最初からスターであり、出てきたと同時に売れると確信させる力がある、というのを読んだんですがまさにそんな感じ。黒尽くめの彼らがステージに入った途端、客がペットボトルを投げ始めています。存在感で空気を変える奴がくると場のテンションは一気に上昇します。そういう存在にとっての音楽というのはもって生まれたオーラの解説なり説明に過ぎないかもしれません。だからファッションモデルでもなんでも起用されるんじゃないかな。曲の印象はあんまりメロディを感じさせないのです。まるでパートをカットUPして再構成してんじゃないか?と思うときもあるほど。でも客は水をまきまくって暴れる始末。僕が特にあげたパートの二人は体を場の空気に思いっきり投げ出している、そんな気がしました。傍目からは自己陶酔チック、でも彼ら的にはものすごく利他的だしこれ以上に外側を感じたり見たりしてるときは無いだろうと思いますね。で、結果的に客は彼らのグルーブにほぼ完全にもっていかれてました。まるで魂の中心に手榴弾仕掛けられて、彼らの動きに合わせてそれが個人個人で暴発している気分。久々にみましたもん、ライブ中に女の子が「かっこいい・・・」とつぶやいちゃうほどの何かって。しかもこのかっこいいボーカルがステージから降りて客と握手をしまくるものだから場内は大混乱でした。満足しすぎて海浜幕張まで帰りそうでした。ライブの一瞬一瞬を思い出すのはなんとも満足と背徳感で一杯です。
でね、そのマイベストアクトを決める感じが冒頭の話に似てるな、と思ったんです。「とりあえず実際のライブがどんなものか観てみるか?」と思ってライブにいくのに、視覚の記憶は全てを思い出すためのインデックスに過ぎなくて、実際はその印象は震動として触れてきた音の感覚やその場の空気で多くの部分が決まると思うんですよ。そうなると僕らは「観にいく」といいながら彼らの醸し出すバイブスを触りにいってるんじゃないか?と。そうなるとジャニス先生は偉大ですな、「私はみんなとSEXしに来てる」なんてライブ中に言っちゃうんですもの。歴史に残る人間は本質をつかむものだね、やはり。HORRORS、来年も来て欲しいものです。楽しみに待ってます。
2007年8月11日 (土)
初めて出演する夏フェスは「親父」扱い。
かみね公園50周年記念イベント
野外ステージにて
親父バンド 他 演奏会 ≒「Bo-JANGLESの仲間達」
8月13日(月) 4時~8時30分 Vivienne★の出演予定時刻は17-18時の間の30分 かみね公園の場所 http://
〒317-0055 茨城県日立市宮田町5-2-22
8/14 ラ・ミステ・ヤスラギ鑑定
8/17 代々木ライブハウス Bogaloo 細かく幕間出演 うつぼ 2nd mini album「Thank you for my music」レコ発パーティー うつぼ、踊り場ソウル、ALLIGATOR、headphone01、DJ:ミ世六メノ道理(BlueNumber/北 )■OPEN 18:00 /START 18:30 ■前売/2000・当日/2500(ドリンク別)確か焼酎呑み放題
8/19 東高円寺ライブハウス kaztou 18:20前後 1000円と1D
自分のものじゃないパソコンってどうしてこう打ちづらいんでしょう?ああ、早速愚痴ってしまいました。夏です。猛暑です。外出先から締め切った部屋に入ると汗がだらだらです。こんな状態なのに残暑といわなきゃいけないなんて僕は認めません!!
そんな僕ですが明日、明後日と一年ぶりのサマソニに行ってきます。もちお客で。来年は出演者になってたらカッコええがに。あ、不可能はないよきっと、尾崎豊氏も初ライブから三万人コンサートまで一年半だったみたいだし。アークチックモンキーズはみたいがショーンレノンもみたい。しかし、ショーンみたら入場制限でアークチックが観られないんじゃなかろうか?とかそれ以前に体力はとか色々悶々。なんかね、最近21時寝6時おきなんです。ひどいと昼寝までしています。どうしてこんなに眠いんでしょうか。
さて、そのサマソニ観戦の後、翌日からライブ三昧です。週に三本ですよ?「Vivienne★最近何してるんだろーねー?」「さーねーライブでもやってるんじゃないの?」という会話が二分の一の確率であたります。で、月曜日のライブは、ミクシーの日記で知り合った大の字さんの企画イベント。大の字さんは1Fが飲み屋、2階がお好み焼きや、中二階がライブハウスという摩訶不思議なBo-JANGLESというお店を経営していて(http://rytter.gozaru.jp/bojangles/)このライブハウスの運営年数は24年と茨城最古なんだそうですよ。過去には山崎ハコさんとか高田渡さんとか中山ラビさんも出てる。で、お店にDMを置いてもらったこともあり、今回はこのお店ではありませんがイベントに遂に出演以来が来た!!というわけです。で、イベントの正式名称を調べるべく日記を見たところ、ガ、ガーン!!「親父バンド、他」という物凄いネーミングが!!何!?僕はどうなる?僕は「他」?それとも演奏会出演者だから「親父」?という軽い混乱が生じましたが、ん、面白いよ、相変わらず面白いよ。音楽はじめて初参加のフェスが親父ってないよ絶対。ちなみに、これは公園の行政側の分かりやすさを求めた結果の表示変更でありまして、主催者の大の字さんの考えてたフェス名は「Bo-JANGLESの仲間達」。だから、親父バンドという字をみながら「ボージャングルズの・・・」と読むのが正しい感じよ。
ちなみに、ギターをもって歌を歌うVivienne★としてのフェスは今回が初めてですが僕の野外フェス参加自体はこれがヴァージンではないのです、実は。詩人だった頃、だから8年前か、松戸の川原の土手でオリンズというライブハウス主催のフェスにて若草山苺師匠(解説すると話が長くなるので省略)のギターに合わせてポエったことがあります。日が燦燦と照りつける真夏の土手から川を挟んで反対側のステージにわたって叫んでおりましたっけ。当時はアンケートをまじめに配っていたんだけど感想で「真夏の川原にまったく似合わないダークな表現で印象的でした」と5-6人の人に書いてもらった思い出がありんす。そうだねえ、土手の反対側の特設ステージに渡るのに参加者は横の橋を渡るんだけど誰かの言った
「MiLk、この川突っ切ったらパンクだぞ!!」という誘惑に負けて川をざぶざぶ歩いて渡って靴とズボンを最初っからびしょびしょにしたんだよな。そう、浅い河でさ、みんな笑ってくれたよ。この当時から色物だった僕。でもこの時の色物ぶりと今の色物ぶりは気持ちの上ではかなり違う。
あんときは媚があった。馬鹿やってることに確信的な遊びとか余裕はなかった。変わったやつだという印象さえ評価の対象にしないと埋没すると怖れてるところがあったよ。見た目と内容のクオリティの評価が別物であるという認識が欠けてた。大体、仕込んだハプニングは見ててイタイしな。今は天然で起こるからもう十分だと思いますよ。さて明日はOK,GO!からみようかね。ウフフたのしみだわあ。
2007年8月10日 (金)
ムダ毛と悪口。
Compound Gallery でのオープニングがもりあがったようです。
会場の全景及び写真が観られます。
http://www.compoundgallery.com/gallery/2007/08/08.php
行きたかった...。
LA滞在中にこんなことがありました。パーティーの後で現地の方に請われて鑑定することになり、僕らは静かな場所を求めて一足お先に場所を移動したんです。で、すし屋みたいなところに座して鑑定を始めること数十分、ものすごい勢いで人が入ってきました。依頼人の連れの女性でした。「あ、あんまいい印象もたれてないな僕」と感じて一時間後、隣に座して友人と語ってた彼女は良く聞こえる声で「あのVivienne★って女、版画もやるし唄も歌うし、占いも?マジで気持ち悪い!!」と話していました。一瞬耳を疑ったんだけど、やっぱ隣は僕がライブのときに敬愛するギターウルフのセイジ語録を引用して「おまえらにはエルビスいるかもしんねえけどよ、俺にはmichelle(gun elephant)がいるんだぜ!!」と叫んだことまで嘲笑の対象になってました。
最初に気にしたのは自分の心の動揺でしたが、幸いにもそこんとこは揺れず、鑑定を続けることができました。途中でほろ酔いの友人が入ってきて「Vivienne★の言ってることが的を得すぎているから嫉妬してるんだわ!!」と別な友人たちに話してくれてましたが正直、嬉しいけどちげえよハニー?と思ってました。彼女は私の言葉は何一つ聞いてないっつーか聞こえてない様子だったので。僕の分析では彼女が本人の半径1m以内で全否定を口に出さなくちゃいけなくなった理由は、自分のダーリンが自分以外の女の言葉に無条件に耳を傾け頭を下げそうになってることが死ぬほど面白くなかったという一点に尽きると思いました。と、同時に自分の何かを体験してない人にものすごい至近距離で中傷されることに一人で耐え続ける、という構図はすごくこの先の僕の人生を暗示しているようで久々に覚悟を決めなおしました。
でも、鑑定中は心がびくともしなかったのに、日付が変わっても一言一句を何一つ忘れずにインプットしてる自分がいるのに気づいてはてと思いました。嫌なことは忘れるに限るのに忘れられない堂々巡りの末、僕は「嫌な言葉を何故忘れないのか?」というテーマを考察するに至り、結論を得ました。それは僕が獣であり、忘れたら危険という本能に忠実だからです。シマウマが仲間をライオンに食べられたとしましょう、翌日にライオンに食べられたことを忘れたらそれは滅亡へのプレリュードです。シマウマはライオンが危険だとインプットするから逃げ回って死なないように対処できるのです。人間も自分に敵意をもっている人間をその場で忘れたらボディーガードを雇えずに暗殺されるかもしれません。だから僕は忘れる以前にそういう人から離れたり対抗策を考案するようにしています。でも人は必死になって心に浮かぶ憎しみとか憎悪の感情が浮かび上がらないようにセーブかけようとして失敗してもっと苦しんだり胃を壊してますよね?なんていうか、倒されても倒されても大丈夫なものっていうのは雑草くらいなもので、どんだけ植物になりたいんだろう?と思います。あ、ナメック星人は例外です、あの人たちは再生しますから。
どうして明後日からの二年ぶりのサマソニ参戦に向けて体力の温存問題などで不安と期待で胸を膨らませてもBカップ以上にならない僕がこんなことを書いてるかというと、ムダ毛処理と悪口を忘れられないことは、自然の摂理に抵抗している点でそっくりだと思うからです。こんなにエステ技術が発達しているのにムダ毛の生えない人種を生み出せない僕達のささやか過ぎる抵抗の可愛さよ。憎しみも悲しみも「ごめんねー」とか口に出しながら、最後には馬鹿な対処ネタを考案しあって笑ってしまえばいいのです。獣なのに植物になろうとしなくても、味わいつくしてしまったらアクみたいな感情なんて勝手に抜け落ちます。震える心で押さえ込むのはやめようよ。怒りも悲しみも、ある程度は趣味だぜ。
2007年8月 8日 (水)
美虎先生の紹介文と愛においての過ちの懺悔。
はい、これがラ・ミステ・ヤスラギにおけるアタクシの紹介文です。どうよ?かっちょ良くない?ちなみに、キャッチフレーズは「俺にかかったら最後だと思え、ジェットコースター的な運命の急展開に振り落とされるなよ」てな感じ。そんぐらいの本気でやってるんだもんさ。だってお客さんは10分に2100円の価値を信じてるわけだから、喜んでもらうにはそれ以上のクオリティを意識して当然なわけさ。あったり前田のクラッカーですよ。マジでマジで。近いうちにお客様の声なんかも載る予定です。ちなみに僕は癒し系よりも少年ジャンプ系の霊媒でありたいなあと考えていて、その第一歩は限りない人間臭さと駄目さの告白かなとシティーハンターの冴羽リョーあたりを参考にしたんだけど、受付のお兄様に「霊媒に目覚めたきっかけは?」と聞かれて「性病です。」と答えたらさっそく怒られてしまいました。ナチュラルとカジュアルとぶっちゃけの区別をきちんとつけないといけないと悟った2007年の夏です。
イメージ戦略の失敗といえば僕はもう一つ重大な間違いを犯していることに気づきました。それはメンズへの対応です。僕ね、スティディが出来たらそいつを自分の勘と洞察力と愛と献身の全てをかけて第二のジョン・レノンにしようと本気で考えてた。てかなっちゃうだろうな、と思ってた。その彼は結果的に僕と日常的に会話して共有する時間が多くなる訳だから、僕が日常で感じ取った話をたくさんしたら、霊感がなくても勘とか時代を読む力がつくし、そこで彼が困難や悩みにぶつかったら当然僕もタロットくらい引いて参謀になるのは当たり前じゃない?だったらサクセスストーリーは派手なほうが近くで体験するには面白いわけで、だから僕は無意識にすごく心がピュアだったり才能が底なしだけど何らかの事情でそこが上手くいってない人ばかり求めたんだと思う。ステージ裏で子供抱えて女の子キャーキャーいわれる旦那をにっこり笑ってみたかったんだと思うな。
パティ・スミスもフレッドと結婚したあと主婦になっちゃたけど、自分が愛した相手を立てるのに自分がもぐるのは苦痛ではないんだよね。今までも誰かと付き合うたびに人に対しては「この男との関係があって今の自分がある」ということは常に伝えてきたし。
だから、彼らと繋がるために僕は自分も至らない人間だけどそれでもいい?と聞くようなアプローチに出てばかりいたんだな。そして同時に僕は自分が彼らに出来ることは提示できても、自分が何を欲しかったのかということに気づいてなかったんだと思う。だから「何、そこ至らないの?じゃあ駄目じゃん?」みたいにもっと駄目だしされて傷ついたり、舐められるという事態になった。じゃあ、僕が欲しかったものは何かっていうとそれは希望だったと思う。ゴク当たり前に僕も人と生活をともにして日々を愛してこれを長く続けたいと考える希望。何故なら理想の高すぎる僕は要求が高すぎて簡単に人生に絶望するからなのよ。
其処はたくさんの努力に関わらず一人の力ではどうにもできなかったから、そこを助けてもらって自分も安定した制作がしたかった。だから自分の核心とか心理を見抜いて人として愛してくれる誰かを求めて僕は派手な言動とぶっちゃけで己をカモフラージュしてきたんだよね、素直に言えばよかったんだよ、一生モノの愛情を捧げてくれるならあなたに夢の実現と繁栄をアゲルってさ。よく考えるとカエルの王子とか美女と野獣とかにしても醜さに隠れた魂のピュアさを見抜くのは女の子だったね。逆やっちゃったよ。何処まで男脳なんだって話だよ。でももう今更どうでもいいよ、今更遅いよ知らないよ。僕は一人身の特権を生かしてやりたいことやって近藤家の名をいかに末代まで轟かせるかを考えながら、一流と絡んで世界の格差に貢献するよ、コンチキショウ!!なんちゃって☆
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美虎先生の鑑定日は火曜日です。13時から21時まで。
10分以内からそれ以上までご予算と相談内容によってご希望にこたえます。
10分2100円~予約したほうが無難です。
詳しくはヤスラギさんのサイトにて。
http://www.la-miste-yasuragi.com/
2007年8月 7日 (火)
飛んで火に入る夏のセッション。
はるだんじでのオープニングパーティーにご来場の皆様、本当にありがとうございました。一人一人に礼を言いにいく体力がない僕にお許しを。写真はライブパート終了後にはじまったセッションの模様です。
この日、出発前にメイクだのシャワーだの色気づいた僕はやっぱり遅刻し、で、予想通り先にギターのセッティングして僕の奴のチューニングまで合わせる算段でいたloach氏に出迎えられた。で、このloach氏、パーリーはじまってすぐ飲み始めちゃってて、いつものように淡々とした笑顔で「もうどうでもよくなってきちゃったな…」とか言い出す始末。試食のカレーをがっつり食ってるのを見たときには彼の歌ではないけれど「カレー食ったらこの店出て行くんじゃないか?」とかひやひやしちまった。
会場はこの日、集客は20名前後だったけどとてもいい感じだった。久々に会ってくれた人とか、主催者のあきちゃんと弟君やフラワーズメンバーの大沢さんとか、アーティストのぼっつとその彼、結婚を控えた親友のナギサは花ケーキを持ってきてくれた。自分のライブを聞いて欲しいなあと思っていた人がやっと来てくれたのがうれしかった。
で、ライブ。僕も若干ビールいっちゃっててやばい感じだったんだけど、上海ハニーと間にポエ挟んで逃げ水。で、loach氏にマイク回して彼が「カレーブルーズ」と「ジェットメリーとロンサムトム」を歌った。それと即興のはるだんじソング。その後で彼の提案でポエトリーに音つけてもらって一個読んだんだ。でもなんか歌いたくてさ、彼が酔ってたのを良い事に即興で弾いてもらった。会場からはお題として「みたま」と「のきさき」って言葉をもらって歌詞を組み立ててたら僕が歌いだす前に声が入ってきやがった。ぼっつだった。日記で彼女も歌ってるのは知ってたけどさー。上手いんだよー、声でかいんだよー。しかもミニスカで可愛いしさー。もう「おめ、ここでもってくかこんのやろ!!」って感じだった。でもさ、こういうのニヤッてするんだよね。どーすんの、あわせるの?覆すの?かけあい聞かせるの?って計算しながら彼女の声の切れ目を待つのはスリリングだ。ありがとよ、ぼっつ。会の空気が三割り増しによくなったよ。
で、その後この日はじめましてだった行志堂さんが、「上海ハニーにハモニカで入りたくて仕方なかった」といった時さらにニヤッとした。「お兄さん、アタシとヤりたいの?」というかわりにギターを抱えた。すると周りに人がそろいだす。ミュージシャンとは不思議な生きものだと思う。セッションがある、なんて一言も言ったり書かなくてもギターをもってきていたりする。で、ギターがなくても入るポジションを自分なりに見つけたりする。この夜、僕は三回ほど上海ハニーを歌った気がする。輪にいなくても場の意識が音の爆心地である自分に向いてて、皆それぞれのポジションで椅子を叩いたりコーラスで入ってきていたりする。でも其処には、主催者の唄であわせよう、みたいな上手な思いやりに似たひきたてがあってそれをベースに自分は「人が歌いたくなったり混ざりたくなる唄と場を作り出せる自分の力量」をさらに信じて調子に乗っていく。自分の口角が最強に護られた状況の中で自然に引きあがり声が伸びるのがわかる。飛んで火に入る夏の虫がミュージシャンならさしずめ僕は女郎蜘蛛。必要な人がくればいい、という思いが成長した。「元気がないならココに来ればいいよ。ちゃんと穴は埋めてやる。」と。loach氏に初めて会ったとき僕は尋ねた。「イベントとかやったら誘っていいですかね?」彼が楽しめる確信が出来たときに声をかけようと最初から決めていた。だからその夜に彼から来たメールが嬉しかった。「今日のお礼にラーメン奢る」夏の夜は長く、意識のさえた僕はしばらく眠らなかった。
次回のオープニングギグは8/31にイクルとMOTT GALLERYにて。
2007年8月 4日 (土)
明日のパーリーは某有名ホテル勤務経験のある料理長がカレー出してくれるってよ、どうするベイビーズ?
はるだんじエキシビションオープニングパーティー
定員40名 入場料¥500
17:00-20:00 (ミニライブは18:00~30分程度)
ミニライブ 前座:Vivienne★Kick
真打:loach http://harireco.exblog.jp/
はるだんじ 03-3291-8588
地下鉄各線神保町駅A7出口からすぐ。すずらん通り沿い
生ビール、サワー三種注ぎ放題
おつまみ、カレー食べ放題
ただしカレーは「はるだんじ」の新作試食を兼ねるため
感想をいってもらえるとGOOD!!
写真の女の子の前がミニステージになります。
見所1:近藤彩版画作品
四年前に渋谷のカフェspumaで藤田恵さんと展示した作品に、極初期の作品である「蚊取り線香シリーズ」二作品、人気の高い「江戸前ギター」を展示。蚊取りシリーズのセルフポートレイト、江戸前ギターはmixiなどでトップ画像に設定されるのをちらほら見る人気作品。これらの実物を前にシェフの一級料理が食べられます。またLAのNucleusGalleryで同時期に展示される近藤彩最新作忍者シリーズがお目見え!お店の展示は通常の日程では他の席までくまなく見て回るのが困難ですが、この日なら大丈夫!
見所2:loach氏
彼との出会いは渋谷アピアでした。控え室で「ブログ読んだよ、楽しみにしてたんだ」と話しかけてくれたのが出会いでした。正直最初は(客も二人しかこないライブだったし)社交辞令かな?と思ってたんだけどそうじゃなかった。彼の灰皿を速攻満タンにするシガーが作り出す渋いブルーズは必見ですよ。私のお気に入りの曲はカレーブルーズでね、「カレー食ったら、この町出て行くぜ」って歌詞がいいのですよ。顔が若干藤井フミヤな感じでラーメンが好きなのも熱いです。ちなみにloachの由来はどじょう。落語好きが講じての命名でして、もうloachさん以外はありえん、と思ってまして、彼が出られるように開催日時を前半に変えた、といういきさつもあります。
見所3:食べ物
今回のハコは収容人数40人でいっぱいになっちゃいますが、今のところ20人?くらいの集客予想です。で、そこで試作カレーの争奪戦及び、ドリンク争奪戦!!本当は通常休みのところを店長はじめ店員さんまで出てきてくれてビールの注ぎ方指導をしてくれます。
15Lの生ビールを好きなだけですよ?しかもサワーにいたっては三種類を準備!!近藤の自腹ッチョですよ。マジであつのなつさを友情で乗り切りたい!!
見所4:人
この展示によんでくれたアキコさんとは冬のサンフランシスコで出会いました。自分が展示したグループ展のパーティーに彼女がいて「霊媒なんです」、と自己紹介したのがきっかけで軽く鑑定したんですね。そしたら彼女が覚えていて声をかけてくれたというマジカル。彼女はあちこちの飲食店兼ギャラリーのお店やたくさんのアーティストとつながりがあって、彼女も絵を描きながら展示プロジェクトなどでさらにアーティストの輪を広げています。もしこのブログを読んでいる人で彼女に紹介してほしい人がいたら紹介します。他の参加者さんとも顔合わせしましたが、皆ポジティブないい感じ!でね、店長ですよ。宮尾店長は熱い!彼の経営哲学や人を見る視点に共通項を感じることが多々あって、彼の天性の勘と自分のシックスセンスの共通点をすり合わせて話すだけで何時間でも話せそう。僕ね今経営者と話すのがすごく好きなんです。彼らは世界とか社会に影響する手段をまっすぐに考えるから。少なくとも才能の価値を成立させるために自分の欠点を正当化しない。ポジティブになりますぜ。
最後に:
今回は結局DM出すのやめました。ネットと個人的な電話のみの告知です。最近決心したんです。過去のファンに戻っておいでを言っても仕方ない、今の僕と本気で関わろうとしてくれて自分も本気で関わりたい人と新しい出会いを求めながら前に進もうと。楽しい暑気払いをしてくれる仲間をハグしたいよお、やっぱ。だから是非会いにきてね♪イイコトしようぜ。
2007年8月 3日 (金)
幸せの響きは僕には逃げ水
逃げ水
Vivienne★
僕らは遠くへ唄をうたっている
かすかな希望を風の中に託して
僕らは遠くへ唄をうたっている
太陽に照らされ汗落ちる枕木
太陽の光は枕木照らして
列車の音知る前にしずくが召される
遠くへ遠くへ遠くへ遠くへ遠くへ遠くへ遠くへ遠くへ
生き抜く理想も意味さえ求めず
誰かを揺らすと信じて奏でていた
与えたことより奪われる意識で
欲しかったものさえわかりもしないまま
感謝と希望を与えたと言われて
求められるままに己を浸した
使命という名の偽りの満足
変わりに得たのはひざを抱え込んだ孤独
全ては嘘
全ては嘘で
全ては嘘
全ては嘘だ
嘘で嘘で嘘で嘘だ
嘘で嘘で嘘で嘘だ
悲しみが通り抜ける場所へ
誰にも邪魔されない明日へ
僕だけがたどり着ける場所へ
誰にも邪魔されない希望へ
流れよこの唄 ただ日々を救いたまえ
流れよこの唄 我と日々を救いたまえ
与えてばかりの幸せは逃げ水
与えてばかりじゃ 幸せは逃げ水
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8/5(日) 17:00-20:00
居酒屋はるだんじ オープニングレセプション
ミニライブ 前座:Vivienne★Kick
真打:loach http://harireco.exblog.jp/
入場料500円 おつまみ、生ビールサーバーで飲み放題
場所地図などhttp://gourmet.yahoo.co.jp/0006794205/U0002144930/
夏の盛りに愛する仲間とビール飲んで騒ぎたいし
作品をみてほしいし
ちょっと上達したギターを聴いてほしいし
loachさんのふぁんになってほしいし
店長の宮尾さんから一流って何かしってほしいし
展示のチャンスもつかんで欲しい
大事なものを分け合って騒ぎたいのです。いいよね?
だからみんな来てくんなかったらさびしいってって今から胃がいたいのよ。
僕今さびしいって思いたくない月間です。
お願いっ!お願いっ!遊びに来て☆
2007年8月 2日 (木)
ビ○ターがライブを観に来ていた事実を今更知った俺28歳。
8/2-8/31までアメリカ西海岸ポートランドにあるCompound Galleryにて
Bliss Express Showに作品を6点陳列します。
2日がオープニングパーティーです。お近くの方は是非。
Compound Gallery is located at:107 NW 5th Avenue Portland, OR 97207
Open 7 days a week Mon-Sat 12:00-8:00pm Sunday 12:00-6:00pm
Phone 503.796.2733
Gallery サイト http://www.compoundgallery.com/gallery/2007/08/08.php
残念ながら私はこの展示には観にいけませんが、LAの時にはサイン会とか
あったんだよーマジでマジで。楽しかったな。これもいい展示になりそうです。
昨日は美虎先生の初出勤でして、今日はとある経緯からPinesのつよちんと電話で三時間もお話してた。何だろう、モチベーションがポジティブな人との会話って延々いつまでも続くよね。このつよちんというお兄さんは二月のある日、今でこそ笑い話だけど緊張しておどおど入った楽屋で「君、リハ聞いたけど…やる気ないよねー!?笑」という伝説的な一言を発して、僕のコンチキショウ魂に火をつけてしまい、浅草KURAWOODへの常連ブッキングへの道を開いた人なのだ。それからなんやかやと縁が続いて今日に至ってる。で、なんとなく話がその出会いのライブの話になったんですわ。
「あの時、Vivienne★観にビ○ターの関係者がきてたんだよねー。」
「え?なんですかそれ?」
「知らないの!!?」
「知らないですよ、初めて聴きましたもん!!」
衝撃再び!!確かあれはブッキングライブ初めて三ヶ月目だったはず…。KURAWOODの初ライブにどうしたらビ○ターが来るんだと思い、過去の日記などを紐解いたところ、僕はバレンタインデーにヒロキ兄さんとポエトリーのセッションして、その翌日にはその音源をブログにあげていたんだわ。で、なんとなくMixi経由で音楽関係者の足跡をみたような見ないような…とにかくブログの音源を聴いた人が来た、としか思えない。でもそのライブで声がかからなかったのは、多分期待はずれだったからなんだと思うけど、僕は当時パワーコードしか覚えてなかったばかりか最後には弾くの止めてアカペラで歌いだしたし、あの音源自体はほぼポエトリーだったのにポエほとんどやんなかったしとかそういうことを思い出して勝手に納得がいった。でも、僕は思った。今は多少コード覚えたし、ポエトリーも勘を取り戻してきた。今なら再チャレンジしてもいいのではないだろうか、と。
最近振ってしまったある人が三つに分けて丁寧にメールしてくれたサヨナラ文でこんなことを言っていた。「あなたの真面目さと純粋さが僕は好きです。でもその良い所は世の中ではないがしろにされて受け入れられることすら稀です。」と。その文章が喉を引っ掻いている小骨のように今でも肺の辺りを刺激する。よく刺さる言葉だと思った。同時に刺さっている本当の原因は僕が叫びたいからだとも思った。「違う!!」って。「受け入れられないはずはない、絶対に届くはずなのだと。俺にしか君のよさはわかんないみたいなこと、言ってるんじゃねえよ、俺は天然記念物ではないんだ、イリオモテヤマネコと一緒にすんな!!」と言いたい気持ちがわなわなと震えている。勿論、彼は僕のこんな怒りも解釈も望んでなかったと思うよ。でも結果的に彼のこの言葉は彼自身の恋愛の喪失と同時に僕にディレクションを示した。
この言葉を受けて以降、作品だけ残して未来に価値を問えばいい、という僕の思想が嘘になり始めてる。安吾さんも言ってる「俺が死んだ後の世界のことなんか知ったこっちゃねーよ」こんな意味のことを。下北沢のLOFTで録った音源がなかなかいい形で残っている。勝負曲三曲と最新のポエトリーリーディングが一つ。いい塩梅だ。しかも譜面台を見ながらやったから言葉がよく聞き取れる。版画をアンダーグラウンドでやってこう、と思ったのも画廊という流れを垣間見た経験が裏付けているのだから、音楽も同じ道をたどったっていいだろう。この前ナンバーズを外したのは賭ける対象が間違ってたからかもしれないな。本当の宝くじはこっちかもしれない。伝説へのチャレンジは自分で決めるものだ。デモテープを、送ってみようと思う。秋に愛した男の子と同じ名前の会社に。