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2007年7月 8日 (日)

もう誰も助けない。

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「信じるものは救われる」と、いうことは「信じないものは救わない」のか御上という人は?僕の人生(特に霊媒以降)はこのテーゼへのあくなき挑戦であったと思います。別に見えるとか見えないとか信じなくてもいいよ、むしろ嫌ってもいいよ。でも僕が愛する限りあなたを何とか自覚できない範囲においても必ず何とかしてみせるそんな思いで接した幾数人、しかし届かぬどころかキチガイ扱いされたりして心の傷は開くばかり。

 でね、飽きました。そして学びました。信じるということは回路がつながっていない、ということであり、つまりは回路がつながっていない相手に何を施そうとしても届かないということなのだと。ちょっと前に通った気功武術を思い出しました。その武術、相手の気と自分の気をつないで相手の身体に触れずして倒すという極意だったのですが、「じゃあ相手が気を完全に消したらどーなんのよ?」と僕思ってましてん。そしたら師範代曰く「相手が気を出さなかったら数発殴って出させる」のだって。何とかしてつながらなければ意味がない。だから人は議論するし歌うし作るしファックするんでしょうな。そして僕たちの身体はとても小さく期限があるものなので気長に待つのもしんどかったりするのです。

 僕だって堪忍袋に緒はありますよ。いつか過ちに気づいて「ごめんなさい」といいに来てほしいですよ。特に僕、信長ですから。啼かないなら斬り捨ててしまいたい。それが出来ないなら家康。腹に一物抱えて成り上がらんとギリギリする。人生に必要なのは秀吉的要素かもですよ。明るく楽しくね、アプローチ変えて試行錯誤するのです。あ、違う?信長の心を抑えて秀吉的アプローチで時間を稼ぐのを家康が待つのと同じくらいやることでしょうか?あ、なんか訳わかんないね。楽しんでおかなければということなんですが。人生攻撃的にすすんでも気反らしは上手にって奴かな。でもね、人の表現とか言葉はバカに出来なくて、それらは時限爆弾的に相手に届くことがある。その価値は絶対的に美しいものでいわば御上の耐久性がないかわりに人に備わった資質なのかもしれません。

 そしてタイトル。僕ね、久々にこの前御上にお伺いたてましてん。「お役目って何でしょう?」御上に聞きました。「人を本来の人の道に返すことだ、その観点でいえばお前は怠けている」と。僕が見える人になる寸前、役行者はいいました。「その力を公表して生きろ」と。だから公表したらたまたま「見て下さい」という人がたくさん来て自分もそれしか出来なかったから観続けた。だけど、鑑定し続けることがお役目だとは言わなかった。だけどそれに引っ張られまくったのはそれが目に見える効果を出したから。正直、自分が作った作品や歌が人にどんだけの価値を提示してるかなんてはっきりとは分からなかった。だから鑑定後にすっきりした顔の人に「ありがとう」と言われるインパクトにものすごく甘えて生きたくなるのです。でも本当の意味で見えたものを使える人は自分で自分の人生を切り開こうと挑む人だけなのです。僕は僕の言葉でのみ生きたい人を生成した点では罪人でしょう。何故なら、生きることが修行ということの正しい解釈は、経験を自力で消化して自分の言葉で語ること、そしてそれを残すことに他ならないからです。人を助けたら自分もその相手に同じくらいのインパクトで救われたくなる。でもそれが叶わないから身を持ち崩すのです。自分が人に対する過度な期待で。でも、人を助けなければ、自分も人に期待しないかわりに自分で自分を助けようとするイーブンな立場に立つわけです。そして多分、僕はこれでちょうど良くなるのではないでしょうか。何故なら、僕はお人よしだから。憧れが呼ぶ最高の薬が希望であるなら僕はそっちに行きたい。最高の仲間と最高なイーブンで生きていきたい。でも正しいことかはわからない。葛藤は続きます。うむー。

写真は近所の消防署。最近火事ばかりの様子。僕と同じ余裕のなさは火の車。
本当に燃やしたいのは恋の炎なんですけどー?

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