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2007年6月22日 (金)

会見で聞かれてもいない破局宣言をするそんなシンジが好きなのです。

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昨日は桑沢で生徒の採点をしたあとライブでした。昨日のライブはLAから水揚げしたギター娘で行ったのですが、不幸にも内臓チューナーの使い方を把握しておらず、「ん?ひょっとしたらチューニング狂ってるかもしんねえな」という予感がしたままステージに登場、案の定酷い音がしてきました。弾くたびに不協和音がぬめりのようにまとわりついて相当の苦痛。一旦わかってしまった至らなさを改善できていない事実に直面するのはかなりしんどい。そしてカードを切るのです。いつも使ってたチューナーは家だし、できるのは二択。戸惑いながらステージ上でギターいじるか、もしくは自分の声とパフォーマンスの力を信じてそっちのボルテージを上げて客の集中を自分に向けるか。迷わず後者を選択した自分は5曲の予定をリハ通りの4曲に変えてMCを増やしました。と、いうのも不協和音に逃げ腰になる客の反応を直視しながら、自己嫌悪と戦うのは4が限界だと感じたからです。とはいえ自分は4割程度しか力が出せなかった気がして、最後のドロップをおえたところで悔しさからマイクを殴ってギターを投げ捨ててしまいました。

そんな自分のステージをミュージシャンの小形さんがこっそり見に来てくれてました。しかも、近藤先生と話しかけられたという理由で生徒と間違うといううっかりぶりでした。彼と鍛高譚の水割りを飲みながら後半バンドの音をサカナに様々なことを語らったのですが、その中で「悲しいなら悲しいと言えばいいし、寂しいなら寂しいといえばいいのだ」という自分の至らなさを素直に口に出すことの大切さが何度か出てきたんですわ。駄目な自分を知ったときに観ないようにするかそれに向き合うか、向き合った結果また逃げるか嫌悪して落ち込むかそれを許すか。自分の特技をさらに伸ばすよりも、自分の欠点を改善する努力をしたほうが人間的にはトータルで成長するっていうのは近所のやり手接骨院の院長の弁ですが、自分の場合は欠点を直す、というよりもむしろその欠点が欠点ではなくメリットとして受け入れられる環境や状況をさがしてそこに身をおく努力をします。丸くなるよりもエッジがほしいのです。いい人なんだよね、という評価はじつは曖昧でそれよりもVivienne★はこういう人間だ、といわれるほうがニヤニヤできる。死ねば所詮皆魂。丸くてつかみどころのないものになってしまうのです。だったら体という一個一個違う器があるうちはその機能を生かしたエッジを存分に楽しみたい。喩えるなら何がいいのかな…今日朝のワイドショーでヤベッチの会見中とばっちり食うメチャイケメンバーというトピックスをやってて、そこで武田さんが「僕も実は昨年9月に女性と破局しまして…」と聞かれてもないことをわざわざバラしているあの感じ。うん、だからシンジが好きよ。不器用を隠すのも取り繕うでもなく存在してるあの感じが。

 自分の欠点に落ち込まない人はないのです。でもその後で大抵の人はそれを隠そうとする。欠点が露呈しない人間であるほうが安定した人間関係を築け、社会でいきていけるしそういうもんだと信じてる。でも、悲しみも怒りも嫉妬も弱さも涙も感情として必要だから搭載されているスペックなんだから、隠してはいけないよ。大事なのは流し方だけなんだから。少なくともそれを直視して呟くくらいはできるはずなんだ。そうしたら同じように呟きたかった誰かの言葉を出してあげることが出来るはず。「私も!」っていえるんだよ。実は至らない人間で居るほうが共感捉えて楽に生きられるのさ。はっきりいって、人間性を高めたところで敵は消えないよ?むしろ直視できない輩の嫉妬と反発で攻撃は増すばかり。でも同じように闘う人と手を取り合えるからやってける。もううんざりさ、自分の弱さを隠すために馴れ合う言葉を吐きあう人間関係なんか。楽じゃないけど自分、今がもっとも幸せな気がしてる。

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