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2007年6月29日 (金)

初めて向き合ったベンジーの音をかりて昨日の続きを書く。何故なら僕はショートしているから。

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 皆昨日のブログに何かを感じたようで何らかの感想を個人的に送ってきてくれた。嬉しかったけど何ともいえない気持ちになった。なんというか大半が自分の話とか技術論に終始していた。なんとなく、自分が過去にされた感想の書き方を模倣していたり、自分が言われたいことを言っていた。だったら最初から「君の日記に触発されて私は自分のことを書きたくなりました。」といってくれと思う。喩えるなら….そうだな、私は昨日「僕は猫なんだけど拾った魚をくわえて逃げようとしたがうまく行かなかった。」と日記に書いたら、皆サザエサンに出てくるようなどら猫が小魚咥えてた絵を想像して「そんなに小心者なら魚なんか咥えるなよ」と言ったり「咥え方が悪いんじゃないか?」と伝えてきたけど、実際の僕が咥えていたのは鯛であって問題にしていたのは自分の顎の耐性だった、みたいなそんな感じだった。残念ながら(これは自分にとってもなんだけど)僕は君が思っている以上に自己洞察に長けた人間で、だから君が僕に向けた観察眼が僕よりも鈍い状態で言葉として届けられてしまうものにどうしても苛立ってしまうのだ。あと、あなたの全てを大好きだけど仕事があるからライブにいけないって言うだろ?でもそれだって虚実だよ。君が今体験したいベスト5に僕のライブに行く、という行為が入っていないだけなんだ。だったら自分のことでいっぱいだから余裕が出来るまで待ってといおうぜ、ライアーライアー、素晴らしきライアーたち。僕は君たちに憧れられるのが大好きだ。そしてファンだといわれるのも大好きだ。でも精神的に近くで接するのにはちょっとコツがいる。

 最近、たくさんの怯えに接する。君に離れられたら困る、というような。でも僕は基本、自分が居なくても成立する社会を目指して生きている。何故なら僕は誰よりも全うして絶命したい人間だから。僕が定期的に連絡を取らなくなるのは落ち込んだからじゃなくて思考が廻りすぎてショートするからなのだ。大量の情報処理で活性化しすぎる脳が肉体疲労のシグナルを感知し忘れてバランスを崩したり、通常の情報処理量を軽くオーバーするからなのだ。だから僕はSEX&DRUG&ROCK’NROLLを好む。どれも思考を一時停止させてくれるから。20歳のときに安定剤を莫迦呑みしたのはラリると眠くなって思考停止状態に入れたからで、ROCKBEATと轟音に身を任せれば思考が止まるから。エッチは言わずもがなでしょうが。ただ薬は絶ってしまったので格闘技になった。いかに己のダメージを軽減して相手を倒すかに集中すれば思考はシンプルに、アドレナリンは頭を真っ白にしてくれる。だから同時に僕は莫迦正直な人と聴き上手、というか質問上手な人を近くに置くことを好む。自分に嘘ついたり自己洞察が足りない人は常にそれを差し引いて接しなきゃいけないから気が休まらないし、新しい発見が望めないから。自分で気づいてることを鬼の首取ったみたいに指摘されても苛立つし、こっちがセラピストになるだけだ。

 だから昨日はハルさんに会いに行った。最近の彼は僕を客と思えんと言って代金の受け取りを拒否するので¥300を握らせるのにとても苦労する。彼はいった「俺はもう彩ちゃんの詞に心酔してるんだ。技術なんか後からついてくるのに最近は作家の世界に入ってみる前に技術ばかり指摘する奴ばかりさ。そんな言葉にいちいち立ち止まるなんて未熟だぞ、自分で未熟さに気づいてるなら後は理想に向かって己の道を行けよ。」そういって笑った。何でか彼の写真を撮りたくなり撮らせてもらった。そして壊れた携帯を変えた。殆どデータが無くなった。これでまた0だ。とりあえず、自分が離れたら動揺するかも、という観点で接してた人と離れよう。僕の精神をクリアーにして納得する作品を世界に一つでも多く残すのだ。偏った自己愛といって笑うならそうしておくれ。僕は一向に構わないから。

あえてピンボケ写真。焦点をあわせるなら、リアルな彼に会って合わせるべきだ。

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2007年6月28日 (木)

色モノキャラでいいなんて本気で思えるわけがないじゃないか、今畜生。

昨日のライブの日の昼のことです。やっとこさっとこ三週間分の洗濯に明け暮れていた私は頭上から久々に亡き祖母の声を聴きました。「そんなに肩に力をいれちゃダメだよ、身体は一つしかないのだから。」と。その声を忘れたくないと思った私はとっさにノートに言葉を書きとめた上で、洗濯機のボタンを押しつつ母に電話をしました。ここ数日母も愚痴がたまっていたとかで若干うれしそうにしゃべり始めた母は、やれ父がマンションの話をしたとかテニスがどうとか話すのですが、その最後に「家族は離れていてもいろんな形であなたのことを思っているのだからそれを忘れないでね。」といったのでした。


だから本当に久しぶりに祖母を題材にした歌を歌いたいと思ったのですが、なんせパワーコードのモードに自分を戻せなかった私はいろいろ演出を考えた結果、結局伴奏をつけずに唄いきることにしたのでした。ライト一本浴びて伴奏も口で唄って身体を震わせて空間に伸びていく自分の声と気の何たるかを感じながらステージを始めました。もどかしい手に苛立ち、全力を追いかけて時間をすすめ、最後には立てなくなるまでやるんだけど、どうしてもむなしくなるのです。暖かい仲間に囲まれているのに。


それは精算の時にはっきりとした言葉になりました。「色モノで終わりたくないの。それがどうしようもなく腹立たしく苛立たしくてならない」と。マーシはいつも優しいのだけど、少し私の言葉の出だしに驚いているようでした。そして少し考えてから「言いたいことは分かるよ、多分それはキックさんのパフォーマンスに余裕がないからじゃないかな」と言いました。最近、とてもよく「あまりうまくならないでね」と言われます。成立するかしないかの危うさでたゆたう私のステージはステージに立った人間の初期の気持ちを思い出させ奮い立たせる部分で扇動的であり、テンションの高さはプリミティブすぎるが故にアングラかつマニアックな芸風に収まっています。早い話が女江頭250です。ピンポイントで欲しい存在であるからプロデュースする人間には受けるけど、又観たいと一般の人に言わせることができない。「なんかあの人面白かったよね、変だったよね?」で帰られる立ち位置。それがステージで痛いほど伝わってくる。それがその色モノポジションを今は全うしてたち続けよう、という自分と本当に居たいのはここではない、という自分の気持ちを真っ二つに引き裂くのです。これでは19歳の私みたいな傷心に届かないと。


私は、コール&レスポンスがしたいのです。しかもそれはじっと引き込んでいく類のものではなくてライブで合唱する類のレスポンス。だから自分は歌詞にAh-とかを多用して誰でも覚える詩を書いているんです。そしてこれは明らかにバンドでやるべき方法論であって、ゆえに私のステージは奇妙なのです。だから合唱にたどり着けなくても最低限「何かやりたくなった」という形で煽動しようと躍起になる。ぼーっと突っ立って観てんじゃねえよ、走れ、動け、そして言ってくれ、Vivienne★のステージはやばいぞと。ステージに世界なんか作りたくはない。客を力強く彼らの世界に帰すんだ。飽きて出すんじゃなくて今すぐ何かをやるために中座していくなら笑って見送れる。ステージで燃焼しても翌日にはフラストレーションで胸が一杯になるのは自身への怒りかもしれません。最近、安息と平穏と感情と疲労の認識の調整と治療の為に男を求めることを考えてみたり。誰でもいい訳じゃないけどそうとも言ってられなくね?すると貞操観念が邪魔だがどうしたら無くなる?手始めにオープンに口説いてきた奴に連絡して体を貸してもらうか?とか考えていたところ携帯が壊れました。御上が行く手を阻んでいるようです。こんなこと書くと出会い系からアクセスされそうだね。したらブログ閉鎖かな。手始めにIPアドレスと一緒に全文さらして公開処刑してやるよ、なんちゃって☆

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2007年6月27日 (水)

明日の詳細/いたづらに自分の権利を主張するアーティストにはなりたくないのです。

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6/27(水) タイトル『浅草ジェット&ポルカ』
OPEN   18:00
START 18:30
前売  \1,500+1drinkオーダー(\500)
当日  \1,800+1drinkオーダー(\500)


18:00  OPEN
18:30  START

1) 18:30-19:00 THE PLUMPS
2) 19:10-19:40 Lambretta
3) 19:50-20:20 梟(一羽)
4) 20:30-21:00 スキャナーズ
5) 21:10-21:40 Vivienne★Kick

浅草KURAWOOD

〒111-0043 東京都台東区駒形1-3-8ベッコアメ浅草ビルB1
TEL : 03-5827-1234 info@kurawood.jp
http://www.kurawood.jp/
 



明日お越しくださる皆様、上記情報ご参照ください。さて僕はといえば、月曜日のコンディションと相談の上、ヴァセリンズのカバーをさらに増やしたいなという気分になっています。たった2コードで進行するシンプルな曲です。と、同時にとある箱を去ることを考えなければならなくなった本当の理由がカバー曲をやりたくなったからだという心の声に気づきました。僕ね、カバーにはモラルが問われるのであって絶対禁止項目ではないと思うのです。少なくとも彼・彼女がその出所を敬意をもって公表する限りにおいては。

 版画において僕のサイトでは一応画像の権利はこんどうあやに属する、という一文を英語(ここはカッコつけ)でのっけてるものの、画像自体の右クリック禁止とかの処置はとってません。故にMixiなどでも私の版画をTop画像にしてる方たちが散見されるわけで、ちょっとみつけると思わずあしあとなんかをつけちゃう訳ですが特にそれをとやかくいうのは野暮だと思ってます。これ、セッションのときにヒロキの兄さんと盛り上がったポイントなんだけど、自分が音楽にはまった時にずいぶんとテープやらCD-Rで友達から音源を分けてもらって友情とか音にはまるきっかけなどの恩恵を受けておきながら、自分が人に何らかの影響を与える段になってそれを禁止するのはフェアじゃないと思うんです。そこに画像も音源も大差はないと考えます。それでも本音をいえば音源に関しては正直怖くはあったんだ。それは版画のキャリアに比べて音楽は始まったばっかりで、そんなヒヨコな自分がもし自分の曲を元ネタに誰かがそれをアレンジしてその人の曲として発表したらショックで続けられなくなっちゃうんじゃないかと弱い私は思ったから。幸いまだそのような事態には遭遇してないけど、やはり将来的には権利云々いうよりもそういうパクリを笑って楽しめる人間になりたいなと思います。パクる数人の存在におびえるよりも、自分のつくったものが与えるポジティブな影響を信じたいのです。

 僕ね、アートには絶対革新と継承が同時に必要だと思うの。それは音楽でも映画でも何でも同じ事で、「語り継ぐ、歌い継ぐ」ってことも大切だと思うんだよね。そしてそのパートっていうのはステージの上でなされて価値を持つことも当たり前にあって、あるアーティストが誰かのカバーをやったらそのファンは彼・彼女を通じてその元ネタのアーティストを知るわけで、ある程度の表現が出尽くした今、ステージに立つ人間がたくさん生まれた音の中で埋もれかかったマスターピースを掘り起こして再構築して見せるありかたはますます重要だと思ってる。僕は最近さらにカート・コバーンが好きになったんだけど、それは彼が一人のロック好き少年だったという基本をさらに知ったからでもあるんです。MTVのアンプラグドでも彼は三曲以上の数の誰かの曲を演奏してて、中には実際のアーティストを呼んでやった曲もあってその時に彼らを紹介して「大好きなんだ」といった彼の顔が本当に忘れられないんですわ。そして思うの。大事なのはパクらないこと以上に、オリジナルをその人らしいやり方で超えることなんじゃないかって。ボブ・ディランさえも言っております「誰もが自分で唄を書く必要はない。そんな決まりはない。他人の唄も時々は歌う必要があると思うね。」と。もう暫く、自分の唄を歌いながら「Vivienne★もその唄が好きなんだ?僕も好きだよ。」といって話しかけてくれる人との会話を楽しみたいと思うよ。そしていつか、「これはVivienne★の曲なんだけど」と言われながら誰かに歌われたいね。でもね、と、同時に「僕よりこの曲をカッコよく歌えるわけが無いよ」って笑うのさ。誰にも超えられない唄を作る気構えが無いからパクリにおびえるんだよ。なんちゃって、相変わらず発言だけは強気です。以上!


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2007年6月26日 (火)

自分という価値をさらに信じてもいいでしょうか。

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58kgという大台にのっても風呂上がりに体を眺め回す癖を持ってた私ですが気づいたらなんか痩せて見えたんです。体重計にのっかったところ、なんと54kg台になってました。六月中は一日も何の予定も入っていない日が無く、毎日出払っていたのですが、今日あたりはさすがに朝から吐き気が消えなくて目をつぶると楽になるこの感じは過労ではないかとちょっと思ってもいます。で、そんな私にもう一個変化があったようで、それはギターの弾き方みたいです。LAでもアジア人の女の子がこんなにパワフルにギターを弾くのは珍しいと言われたのですが、今日もカットーというライブハウスでオープンマイクに出たところ「ギターに弾かれてない女」とか「正直上手くないのにかっこいい」とか数人に言われ、さすがに5人くらいに立て続けに言われてくると私も謙遜を棄てて真面目に信じてみようという気持ちになりました。で、調子に乗って7/28(土)にライブまで入れてしまいました。

イベント終了後、マスターと二人でお話をしたのですが、その時に自分の霊媒話やライブハウスとの行き違い、それから集客努力という問題などが話題に上りました。その時に彼が言ったことではっとしたことがあったんです。彼は言いました。「Vivienne★チャンは来てね!来てね!という呼び込みはしたくないんだよね?その気持ちはわかる、でも僕がアーティストを観て思うのは来てね!か何も言わなくなっちゃう人が大半で、でも自分は観てほしいという意思をきちんと示す人が少ない気がするんだよ。集客は僕にとっても大きな問題だけど、そこにヒントがあるんじゃないかな?」と。これを私流の言い方に改めると「来てね」を言わなくても「来てほしい」もしくは「来てほしいと思ってる」はしっかり意思表示すべしと言うことになるのですが成る程。正しいなと思いました。自分は告知はすれども「来てほしいと思ってる」は確かに伝えてこなかったと思うのです。伝えないばかりかMCで「どうせこないだろ?」とか言ったりしてむしろ威嚇をしていました。それで帰り際にマイクを殴ったりしたら尚更です。反省しました。反省したからこれを読んでくれてるあなたに伝えます。ライブに客が来ても来なくても、私は伝えたいことを唄うしその時の全力をアホみたいに出しますが、でも観てほしいし来てほしいのです。

私のリアルに触れてほしいのです。そして「こんなに酷い演奏でも伝えようと必死になってる馬鹿な女がいるから俺も何かやってみよう。」という気持ちを持ち帰ってほしいのです。

と、同時に暫く「ゲストで入れるから来て」という一言を封印することにしました。この前のKURAWOODの時にアーティストさんとの会話を中断してザ☆スタンシオンさんのライブを観たんですね。いてもたってもいられなくなっちゃって。で、タテのりしながら思ったんです、「自分はこのライブで時間を過ごすことに15000円前後の価値を信じてる、だから有意義かつ充分に時間を過ごすのだ」と。だから出演するしその記録をMDVIDEOに残すのだと。で、同時にはっとしたんです。だったら近藤、お前が15000円の価値を信じているのに客にその10分の1である入場料の価値すら信じられないライブをやってどうする?もうそんな段階じゃないだろうと。その代わり、自分はその価値を信じてくれたお礼の気持ちとしてドリンク奢ろう、そう思いました。一段を引くな下がるな、恩義で返せ。暫くはそれで行きます。その代わり、私もゲストにしないでいいよ。やっぱりドリンクか誰かを紹介して頂戴。あなたの客でも友人でも対バンさんでも箱の人でもいいからさ。私があなたの音楽に投資した価値を信じさせて頂戴、あなたの音楽と素敵なハプニングで。とりあえずは27日、私は蔵前でそれをやってみせるから。

写真はタイフェスティバルにて落書きしたパンちゃん。
密かにおきにいり。

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2007年6月24日 (日)

俺の背中に...

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「羽根」

僕の背中に羽根が生えて
君の寝顔を見つめるなら
このまま僕は身体棄てて
ずっと傍に居ても好いよ

AH-----------------

君の背中に羽根が生えて
気儘に空を飛びたいなら
今すぐ僕は両手広げ
イカロスみたく朽ちても良いよ

AH-----------------

君は僕の羽根
君は僕の夢
君の行く手阻むのなら
僕は砕けるさ

AH-----------------

君の孤独に終りが無くて
感触だけを求めるなら
僕の体をバラして抱いて
犠牲の価値を試して云いよ

AH-----------------

「自分が生きている中でもっとも辛いことは
        人が本当に自分を必要としているときに自分がそばにいないことだ。」

ということを思春期には本気で考えているような大変に偽善な子供であった僕は、それから10年くらい経って人の転機ばかりに関わるような霊媒を職業とする人間になった。10代の真剣な願いが今いくつも実際の出来事として現実化していることを思うと、時々自分はその頃に純粋にとばした願いのレールの上をまっすぐ歩いてしまっただけな様な気がして10代怖え、思春期マジ怖えなどと一人言してしまう。

与えるという価値観は自分が愛されるために必要なアクションだったと真面目に考えていたことは今ならわかる訳なんだけど、その癖は今も抜けていないようだ。ただその頃よりも賢くなったと思うのは自分の善意に人が気づかなくても一向に構わないという自己満足で事を成し、Give&Takeの感覚が自分と近く一致する人と深く関わるようになったということくらいだろうか。助言はよくされる。「あなたが思うほど、人はあなたを思ってはいないのだ、だからそんなに人間に入れ込んではいけない。」と。ありがたいけどじゃかあしい。気の済むまで人を思うのは僕の趣味だ。僕は人を思うことで自分を見つめている、もしくは人を思うことと自分を生きることのバランスを取る研究にとりつかれている。僕はこの前、僕は自分を生きながら人を思い続けるのだと心に決めた。何故かこのことを王子(前回の日記で紹介した湯浅君の愛称)のオープニングと阿佐ヶ谷でのトランペットジャズライブを掛け持ちした夜の結果として思った。走ってやっとたどり着いた名曲喫茶のドアをあけたら堀尾さんがトランペットを吹く姿が目に飛び込んできて、その次に常連さんたちがそれぞれに椅子に腰掛けて聞いている姿を確認した時にしみじみと思ったのだ。理由なんて特に無いが、多分LAとか色々な経験が蓄積されてそう思ったんだと思う。もしくは途中下車駅を間違えて高円寺を走り回ったせいで脳がシェイクされてそんなことを思ったのかもしれない。

この歌詞は元々ベタなラヴソングとして作り始めた。僕は恋愛ばかり歌う歌唄いになることに積極的ではないんだけど、つい最近自分の中に沸き起こった「ラブソングを馬鹿にしてはいけないのではないか?」という仮説がこの歌詞を書き進める後押しをした。政治的イデオロギーをネタにしても、そこに感覚的なリアリティがなければ説得力をもたないカッコつけに終わると最近の僕は思うわけで、でも考えたら現代は目の前の「君」に伝えるという基本が気持ち良いくらい抜け落ちている気がするから、だからこそ、濃密な時間を過ごし精神的な距離の近い人である「君」に対しての唄をリアリティをこめて唄いたいと思ったのだ。でも自分の予想に反して唄えば唄うほど、この唄の「君」の領域はどんどんと広がっていってしまった。寝顔をみつめたい「君」は誰かにとっては愛おしい娘であり、傍に居たいけど居ることができない友人へと対象が変わっていった。こういう曲を「作らされた」とか「唄わされた」とかいうのだろう。そして僕は自分に対して「ちっ」とか思いながらこの歌を歌い続けるのだろう。ベタなラブソングばかり生成し続けるにはちょっとばかり僕はキャラが曲がっているのだ。そして次のトリのライブでもこれを唄うんだろうな、そんな気がする。

KURAWOODの次回のライブは今週水曜日です、おそらく21時近くに入場しても間に合うと思います。代金は1500円。僕のリアルに君が触れてくれたらきっととても嬉しいと思うから。







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2007年6月23日 (土)

六九狂木版に甚大な影響を与えた男、日本凱旋展示中。

Yuasa_pop

湯浅克俊 個展
「世界は光で満ちている」
2007年6月23日~8月28日

シボネ 青山
青山ベルコモンズ B1 港区北青山2-14-6
Tel. 03-3475-8017
営業時間 11:00~21:00 不定休
http://www.cibone.com


その男、遠く英国より電子郵便を用ひて.....

俺が自分撮りプロフ写真をくまぇりチックだと毒づき
擦り切れかけた下着じゃなくてワンナナクールを着用せよとURLを送り
個展おめでとうと言ったかと思えば
ブロマイド的な作品を誰が買うんだよ?とまたも一突きし
「オヤジのお友達が買ったんじゃボケ!!」と俺にPCから叫ばせた奴は

百人あまりの油絵科の生徒の中で
類まれなセンスをもち
端正な顔立ちにポールスミスの服を着用して登校するという駄目押し振りで
入学当初から人気者。
大学二年で失恋とかのもろもろで発狂した俺の悪目立ちとは
180度ポジションが違う存在でした。

学内での最初のグループ展をしたのも奴と一緒で
暗い部屋で怪しい展示をしようぜともちかけたらきっと食いつく、
という目論見にしっかりのった時の驚愕ぶりは未だに忘れられず

予備校時代の赤い唇に精一杯目を見開いて大きく見せようと頑張った俺の証明写真をみて
「奇面フラッシュだ!!」といってひっくり返るほど笑ったのも奴でした。
それ以降、奴がつけた失敗化粧という称号を挽回するためにナチュラルメイクを覚えた俺。
ゴミをゴミ箱に棄てんのがめんどくなると渡してきたりする理不尽ぶりなのに
自分の親をすごく大事にしていたりして

夜遅くまで制作してなんとなく会話した日々を超え
何故かおんなじ版画コースへ。
しかも同じ木版へ。

版画工房内で三人ほどいた「アヤ」という名前とか漢字をもつ人を区別するために
俺に「キック」という名前をつけたのも奴で
写真製版にリムーバーが効くとかPCでの版下の処理だとか
紙のコーヒー染めとか会田誠とか大竹伸朗とか
そういうのを秘密とかなく教えてくれた奴が俺に与えた影響は数知れず
ひょっとしたら油絵による描画をあきらめて写真製版による木版画へ移行する
引導を与えたのも奴の手厳しいデッサンの狂いの指摘だったかもしれず

精神的なピンチで励ましあうとか
そういうことは皆無なほどないけど
帰国するたびに連絡もらってあったりとか
たった6人しかこなかった初めてのオープニングパーティーに顔出してくれたりとか
お互いに罵倒しあうのをどっかで愉しみにしているようでありながら
ただ立ち位置を信頼しているのは確かで

日本に奴が帰ってきたら
展示場所とかいろいろ紹介しようとか思ってたのが
ついに先越されてしまった気分なんだけど
どっかスタンド直撃のホームラン打たれたみたいに気持ちがよいから
もう自分は思い残しなくサブカルに突き進める気もしてて

やることが無いから
せめて奴が自分に与えた影響を讃えて毒づいて素直に語るしかないと思うのです。

皆さんに紹介します、
六九狂木版誕生に多大な影響を与えた男の展示です。

今日ちょっとだけオープニングにいったんだけど

工房で木版画を始めた頃
「俺この前鎌倉で偶然木版画と思えない木版画にあったんだよ
 あんなのツクリタイと思った。」と嬉しそうに語ってたり
「細い丸刀がなくて特注だよ」といってた一個一個の全てが形になってるようで
感慨にふけってしまいました。

その他の作品はこちら
http://
www.katsutoshiyuasa.com

日本で生の作品を観られる機会はそうありません。
足を運んではいかがでしょうか?

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Dscf4664

で、このシルエットが作者。
あえたらラッキーかもよ?
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2007年6月22日 (金)

会見で聞かれてもいない破局宣言をするそんなシンジが好きなのです。

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昨日は桑沢で生徒の採点をしたあとライブでした。昨日のライブはLAから水揚げしたギター娘で行ったのですが、不幸にも内臓チューナーの使い方を把握しておらず、「ん?ひょっとしたらチューニング狂ってるかもしんねえな」という予感がしたままステージに登場、案の定酷い音がしてきました。弾くたびに不協和音がぬめりのようにまとわりついて相当の苦痛。一旦わかってしまった至らなさを改善できていない事実に直面するのはかなりしんどい。そしてカードを切るのです。いつも使ってたチューナーは家だし、できるのは二択。戸惑いながらステージ上でギターいじるか、もしくは自分の声とパフォーマンスの力を信じてそっちのボルテージを上げて客の集中を自分に向けるか。迷わず後者を選択した自分は5曲の予定をリハ通りの4曲に変えてMCを増やしました。と、いうのも不協和音に逃げ腰になる客の反応を直視しながら、自己嫌悪と戦うのは4が限界だと感じたからです。とはいえ自分は4割程度しか力が出せなかった気がして、最後のドロップをおえたところで悔しさからマイクを殴ってギターを投げ捨ててしまいました。

そんな自分のステージをミュージシャンの小形さんがこっそり見に来てくれてました。しかも、近藤先生と話しかけられたという理由で生徒と間違うといううっかりぶりでした。彼と鍛高譚の水割りを飲みながら後半バンドの音をサカナに様々なことを語らったのですが、その中で「悲しいなら悲しいと言えばいいし、寂しいなら寂しいといえばいいのだ」という自分の至らなさを素直に口に出すことの大切さが何度か出てきたんですわ。駄目な自分を知ったときに観ないようにするかそれに向き合うか、向き合った結果また逃げるか嫌悪して落ち込むかそれを許すか。自分の特技をさらに伸ばすよりも、自分の欠点を改善する努力をしたほうが人間的にはトータルで成長するっていうのは近所のやり手接骨院の院長の弁ですが、自分の場合は欠点を直す、というよりもむしろその欠点が欠点ではなくメリットとして受け入れられる環境や状況をさがしてそこに身をおく努力をします。丸くなるよりもエッジがほしいのです。いい人なんだよね、という評価はじつは曖昧でそれよりもVivienne★はこういう人間だ、といわれるほうがニヤニヤできる。死ねば所詮皆魂。丸くてつかみどころのないものになってしまうのです。だったら体という一個一個違う器があるうちはその機能を生かしたエッジを存分に楽しみたい。喩えるなら何がいいのかな…今日朝のワイドショーでヤベッチの会見中とばっちり食うメチャイケメンバーというトピックスをやってて、そこで武田さんが「僕も実は昨年9月に女性と破局しまして…」と聞かれてもないことをわざわざバラしているあの感じ。うん、だからシンジが好きよ。不器用を隠すのも取り繕うでもなく存在してるあの感じが。

 自分の欠点に落ち込まない人はないのです。でもその後で大抵の人はそれを隠そうとする。欠点が露呈しない人間であるほうが安定した人間関係を築け、社会でいきていけるしそういうもんだと信じてる。でも、悲しみも怒りも嫉妬も弱さも涙も感情として必要だから搭載されているスペックなんだから、隠してはいけないよ。大事なのは流し方だけなんだから。少なくともそれを直視して呟くくらいはできるはずなんだ。そうしたら同じように呟きたかった誰かの言葉を出してあげることが出来るはず。「私も!」っていえるんだよ。実は至らない人間で居るほうが共感捉えて楽に生きられるのさ。はっきりいって、人間性を高めたところで敵は消えないよ?むしろ直視できない輩の嫉妬と反発で攻撃は増すばかり。でも同じように闘う人と手を取り合えるからやってける。もううんざりさ、自分の弱さを隠すために馴れ合う言葉を吐きあう人間関係なんか。楽じゃないけど自分、今がもっとも幸せな気がしてる。

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2007年6月21日 (木)

SUNDAY I WANNA SOON DIE.

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37丁目の交差点で俺はバスに乗り
いつもの席にセカンドバックを放り投げた
でたらめな唄をうたいながら
流れていくガードレールを眺めている僕を
どうでもよさそうに観てる君が好きだ

「いつまでも一緒にいようね」といわれるよりも
「いつまでも一緒に居たよね?」といわれたいんだ
「いつまでも一緒にいようね」といわれるよりも
「いつまでも一緒に居たよね?」といわれたいんだ

君が呼ぶ愛の数の名は15、
どこまでもきっと遠くにいこうぜ

SUNDAY I WANNA SOON DIE
SUNDAY I WANNA SOON DIE
SUNDAY I WANNA SOON DIE
SUNDAY I WANNA SOON DIE

君と僕が呼ぶ愛のうた
SUNDAY I WANNA SOON DIE




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2007年6月19日 (火)

集客努力をしないアーティストは「本物」ではないのか?

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「はっきり言って0とか1とかしか客を呼べないアーティストは箱として二度と呼びたくないし辞めれば?って思いますよ。」という言葉を聞いたときに正直僕は久々にひっくり返りそうになりました。ただしこれには、一ヶ月以上前からライブが決定しておりしかも今回はフリー同然のイベント価格であるという前提条件はあります。とはいえ、僕は一ヶ月前に決定してるライブでもやはり集客は二進法だもんで衝撃度は変わらないわけです。さすが日本が誇るライブハウスLOFTよ。

 今日実は帰国早々Naked Loftのオープンマイクに一か八かの飛び入り参加をしたんです。なぜならこれがLOFTの新人発掘のオーディションになってるというし、説明を読んだ限りきちんとオープンマイクの趣旨が通ってる気がしたのです。どうせ新しい箱を求めるなら高飛びしてチャレンジしたいと思ったし、タイミング的にもロス帰りでテンション高かったしね。で、冒頭の言葉は企画者と参加者のアフタートークの中で出たものです。僕ね、オーディションてやつは表現者の才能とか可能性を見るんだと思ってたけど、箱側にはこれに「集客努力でみるやる気」という視点があったんです。本当に人に聞いてもらおうと動くことがこれで真剣に生きて生きたいという気持ちの証明になるという考え方、そしてそのやる気=本物という考え。でも私はここが致命的に欠けてるの。

 僕はライブ告知がメールで流れてくるのも電話もらうのも嫌いです。何故ならいきたい時に気持ちが自然に騒ぐのが本物だと思うし、それを察知する勘をつきあい感情で汚したくないのです。それに知り合ったバンドマンが集客のために付き合いでメール打ったり、異性と関係したり返信するのが遅れて慌てふためくのを本気で軽蔑してきたし。だから僕はその代わり自分の精神を磨いて鍛え上げて表現の純度を上げる努力をしてるつもり。表現で客のハートを破壊する位揺さぶってこそ本物だと思って。それと人間性を高めること、僕が頻繁にブログをあげるのは趣味でもあるけど、同時に人となりを伝えて来たい人間かどうかを判断してもらいたいと願ってきた。こいつに会いたい、生で観たいと思わせられるような魅力をつける努力を自分に課し続けるために。それに私は過剰にサービス精神が暴走するから、たとえば自分は弾きたくないのに、自分が呼んで応じてくれた友達が満足するように意に沿わないセットリストを組みそうになって葛藤し、気疲れを引き起こすような無駄な事態を招きたくなかった。だから僕は人が「ライブに行きたい」というのを本気で信じるのは本当にライブに来てくれた後だし、同様に「またみたい」も本当にもう一回ライブにくるまでは社交辞令だと考えてしまう。行動がすべての観察眼。

こうやって書いていくと自分の人としての弱さがよくわかる。これはスジが通っているようでいて、単に期待を背負いたくないというだけかもしれない。そして企画者さんの言葉も一利あると思った。僕は自分の下手ライブにお金を払って観に来てくれる人に申し訳ないと思うほうだし、ついで言うと作品に高い値段をつけるのも気が引けてしまってきた。でも、ライブ中の自分を盛り上げるために集客し、お金を払って満足して帰れる様なショーを考えることはやりすぎて自分を失わなければポジティブなんだと思う。遊びでやってる音楽ではない、ここは確かだ。これが無ければ人としてのバランスを崩してしまう。そして集客に必死になることでそのバランスが壊れていくような気がしてならない自分もいる。媚びるのは嫌だ、付き合いみたいな客ばかりが増える中で音楽やるくらいならギターを破壊して死を選ぶよ。でもたくさんの人に唄を聞いてほしいしライブに来てほしい、僕はここにどんな答えを出すのだろう?久々に迷いが生まれてる。

写真はライブ前のパン助。心なしかワクワク?

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2007年6月17日 (日)

バカロック、LA遠征から無事帰国する。

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後ろに見える首二つはコーラス隊ではありません、
お店のマネキンです。
なんとか無事に帰りました、やれやれ。

LAでは賞賛あり誹謗中傷あり、コラボ意気投合あり
鑑定依頼あり色々でした。
このままいけば秋にファッションショーでギター片手に
二の腕ボンレスハムスター女がウォークするかもしれません。

ちなみに
最終日は朝の三時まで鑑定、五時就寝八時起床で
空港から午前中には出発、午後成田着みたいなスケジュールで
(皆さんに分かりやすく話すと今朝3時ごろLA出発して5時に帰宅)
このまま明日朝八時半には出勤します。

滞在日記書きたいけど帰ってからもネタ増え続けるからね。
まあ、ぼちぼちまた書くでしょう。
父の日なのにお父さん、電話の一本もなくてすいません。

とりあえず皆さんにご挨拶ってことで。



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2007年6月12日 (火)

東京バカロック、海を越える(LA展示告知)

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一発目。もう画像作品が売れたそうですが
Little TokyoにあるGallery POPKILLER 2ndにてグループ展が
始まっております。

6/9(土)-6/24(日) 11:00am-11:00pm
RECEPTION PARTY 6/15(金) 8:00pm
343 E.2nd st.LA, CA90012
Tel:213-625-1372

こちらは先日展示した牙狼画廊との共同企画。
春に一匹狼のグループ展を企画した際にオーナーから
声明文が送られてきてアメリカでも展示やったるかならなという内容があって
ドヒャ!まじかい!!
と思ったのですがさすが有言実行です。素晴らしい。
もちろんスポークンワードかましてきますよ。
きまってるじゃん。

でもってもう一件
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Photo_2
カランコロンー下駄アート展ー
6/14(木)スタート!!

MELT GALLERY
7522 Sunset Blvd. Los Angeles, CA, 90046.
Tel:323-851-7233

Opening reception 6/14 7:00pm-11:00pm
僕はそのあとの二次会でスポークンワード予定。
もう展示についてインタビューとかされてますよ
http://www.frank151.com/2007/06/11/karan-koron/#more-820

オーナーがLAの中古ギターショップに連れて行ってくださるので
ひょっとしたら買ったギター片手になんかやるかも!!
といったら「男らしい」と返事が。
もうVivienne★=OTOKOMAEはセットか(笑)

ちなみに首謀者GALOちゃんはこんな人
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Galo “Make” Canote(ガロ“メイク”カノテ)

米ロサンジェルス生まれ、36歳。 ラテン系アメリカ人。グラフィティー・アーティスト。
世界的に有名な、グラフィティー界の先駆者で、日本でもその名を馳せる。最近ではキュレーターとしての活躍も目立ってきたが、内心では納得のいかない事も多かったという。 「世の中には、文化や言語、アイコン、音楽、アイデンティティー、、、そしてアートの形についても間違った認識が多すぎるんだ。大体の場合、その間違ったメッセージは、ステレオタイプの人間によって生み出され、その上奴らは認められてしまう。」と、ガロ氏。 「このカラン・コロンでは、本当の意味での日本の美しさと伝統を大切にし、そしてそれを世間に教えていきたいんだ。もちろん僕独自の視点も加えてね。」

春に日本に来たときは
工藤静香とか衣笠とか真似して笑い取りまくってしまいに自分で飽きてましたが
すごい人でしょー?

ちなみに我らがオーナーはここでもパフォーマンス。
たぶん こんな風にすごいのが観られます。
Photo
Vivienne★はこんなです(ひどい顔.....)
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LA在住の皆さんは足をお運びください。
日本の皆さんはこんな感じで。
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ではでは又後日、時差ぼけがなおるであろう来週の水曜日あたりに。

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2007年6月11日 (月)

バカロック、己を確かめ賭けを超える。

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 今日はBusterChatの日でして、しかも相手がジャクソン師匠の御関係者だったので相手だけでなく自分の緊張も解きながら丁重に鏡になってきました。うれしかったのはこの方が自分の3000円という鑑定価格の意図を理解して尊重してくださった事にくわえてスピリチュアルを現実に上手に活かそうとするリアリストだったので結局5時間くらい頑張っちゃいました。「あなたの鑑定は安すぎるわ、倍額とってもまだ安いくらいよ」といってくれたばかりか夕飯もカフェ代もご馳走になっちゃたし。

 僕にとって3000円っていうのは別に自信が無くてこの設定にしているわけじゃない。むしろ僕占い師に「近藤さんは私より見えるんだから帰りなさい!」とか説得されたり鑑定を拒否されてるくらいですから本気度には自信がある。言わばこれはハシゴしてみた映画代の値段でもあって、国内盤のCDの値段でもあって、ちょい高ライブにドリンク代こめた値段とニアイコールでもあります。これらは僕のもとに届けられた人生を変えたものたちの値段なんです。畜生!!金返せって叫んだものにもそれなりの意味があったし、同時にスゲエよかったものは一生の心の支えになるほど感動というお宝に化けてくれたし。庶民的な価格の中で手に入れた本人が付加価値をつけるのが健全な気がするんですよ。だから今はまだそこで自分を勝負したい。でもそういう自分のイデオロギーを超えて生活の安定をもって親を安心させたいとか、自分の健康を守るための時間を充分に割かなきゃいけなくなったら将来的には価格を上げざるを得ないのかな…とも思います。残念ながらこの安さが逆に信用を奪っていたりして(笑)。そうね、辻占いでもやるかね、辻占!!で、人が来ないときは4曲くらい演奏して人集めるの。どうよこれ?

 昨日は新宿LOFTのTOKYO JET NIGHTみて自分を確認してきました。ミドリのまり子嬢がスピーカーの最上段によじ登って客席にとびこんだり、ギターウルフのセイジ氏がいつものように客をステージに引っ張りあげてギター弾かせたり、シナロケのシーナさんまでもがボンテージ調のホットパンツでノリノリでスピーカーをまたいでいる姿を見て、やっぱり箱とのイデオロギーの違いであってしかも恥ずかしいくらい小さな出来事であると再認識しました。第一入って早々ステージ前に駆け込んでSPIKE観たときに、やっぱVivienne★Kickってのは近藤彩の一人バンドなんだよと確信したんだもん。

と、同時にまっすぐに願ってみようと思いました。メジャーに入ってたくさんの人にパフォーマンス観て貰うとか、LOFTでオープニングアクトやるとかその辺のことに真剣にリアクションしてみたいと思いました。世界をみたっていいんだと思う。そこをそうなれると信じて突き進んで、飽きればいいのであってさ。飽きて疲れて止めて方向転換すればいいんだなって思ったの。最初からそんなでかい事願ったら笑われるとかそういうの思わなくていいんだよ。そういう気持ちで自分のありかたを否定するのは僕も正直まだまだあるんだけど、傷つく準備が出来てないんだよね。断られたりして傷つくのが嫌、なんじゃなくて傷ついてもすぐに復活できるだけの体制を整える努力さえ怠ってるというか。今日鑑定した彼女に定食屋で言われたの「彩さんは多分嫉妬されやすいよ。」って。何でですかとたずねたら「多くの人が本当に自分のやりたいことに自分で蓋をしているから、まっすぐそれに向かう人を観たくないんだよ」だって。なんか気持ちのよいくらい納得した。

それから賭け、勝ったんですよ。JET NIGHTのチケ取りがてらサマソニっていれたらスムーズにチケットゲットできました。東京の二日通し券。だから20名ばかりの人にさようならしますね。さようなら、僕はポジティブに願うために恨みはらさでから脱却です。

写真は表参道近辺のゴミ捨て場。
ネガティブなど廃止なのです。

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2007年6月 9日 (土)

東京バカロック、せっかくピックアップしてくれた箱と対立して早くも二ヵ月休業を決める。

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たそがれのOH MY GIRL
「04_ohmygirl070511_1.mp3」をダウンロード

「タイムオーバーです、やめてください。」といわれた時、正直助かったと思った。体感的感覚の正しさとやっと止まらない衝動にストップがかかったからだ。でも帰りには僕は7月のライブを最後に8.9月のライブを休むと言った。嘘をついた。たぶんもう戻らない気がする。でも数ヶ月前からこの決断をするのはわかっていて、タイミングだけを待ってた。

 ライブで何をやったかって、まず30分枠で40分やって1ぺナ。突然拡声器を持ち出して2ぺナ、ステージ降りて客と対話して3ぺナ、返しのアンプに座って4ぺナ、さらにサイドの椅子に飛び乗り机に足掛けポエって5ぺナ、ロックを語って6ペナ。ステージ降りて客席に戻る途中でライブブースに入らないで外に出た客の数は6人はいた。こんなに人が避難してた回は初めてだ。

 MCが暴走したのは悪い。衝動が抑えきれなかった。駄目だしは続く。「なあ、Vivienne?ステージから降りるのはここではルール違反だよ。相談なく拡声器を持ち出すのも駄目だ」

「でも降りることでしか伝わらねえものがあるんです。」「それは君が未熟だからだよ。ステージに立って客を引き込んで降りたい衝動を我慢するのが鍛錬じゃないの?」「わかんないっすよ。」「なんで?ステージ上の人間は客より位置が高いんだ、お金を払っているんだよ、その対象がステージ降りてきて拡声器もって自己主張してカッコよかったらこっちは何も言えないだろ?」「高くなんかないですよ、同じ人間です。」「いや君が気づいてないだけだ。それに下手でもいいなんてMCはいい加減やめたらどう?そういう主張はブログとかで展開すればいいじゃない。」「….わかんないっす、わかんないですよ。」「じゃあ、拡声器もつのを良しとして、段取り組もうよ。ここで出してとかさそうすればライトだって回せるし、これは客にはわかんないでできるよ。」「….ごめんなさい。今回ははい、そうですとか気をつけますとかいえません、すいません。とりあえず来月は責任もって勤めますが以降二ヶ月は休ませてください。衝動を抑えるなんて今の自分にはできません。病気になります。」「病気になるなら尚更ライブを続けるべきじゃないのかな?」「。。。」二ヵ月休む、という宣言があっさり受け入れられずに1時間の議論になったのは、私にライブを止めさせたくなかったのかもしれないなとちょっと思った。彼は私が一杯一杯の日々であんなライブを展開したから一時的に気が立ってるんだと思っているのかもしれない。でも、私の譲歩はすでに限界だった。自分にとって表現とは何か、の核をおぼろげでも掴んだら

模倣(カバー)に真っ向からつっ込んでオリジナルを超え、そのことでオリジナルを称えるという一連の表現ポリシーを、箱が求める完全オリジナルでという鉄則にあわせて来たのは何よりこのハコが拙い自分の可能性と存在を強く信じて励ましてくれたからだ。だから表現要求を50%に抑え込んだし、その分を衝動に変換してきた。でもこれ以上の「抑えろ」を受け入れたら自分はもう自分を傷めるしかなくなる。それは双方にとって何の利益ももたらさない。僕の「病気になる」はライブするしないの問題ではなく「衝動を出し切ってライブし続ける」ということに他ならないのだから。拡声器の出番を決めようという言葉を思い出して私は思った「僕はステージでプロレスしたくはないんだ」。プロレス的エンターテナー精神はむしろ版画で行われている。自分を語ることにひと段落してゴク自然に「余分」がそぎ落とされていく境地にリアルであるためには、MAXまでの発散が必要なのだ。私はそのことを木版から学んだ。

 啖呵をきるのは想像以上に簡単で武勇伝も出来ただろう。でも私はなんとしても避けたかった。いっそまっすぐに「君はこのままならもうこのハコでは出来ない」と言われるか

「お互いの道を行こう」という結論にたどり着きたかった。僕は彼が人として好きだからだ。ハコの正しいは私にとっての正しいと同等の価値がある。だからこそ、ホームグラウンドを失っても出るべきは私だ。そんなことを思った。ひょっとしたら彼はこれを読むのかも。あの時わかんないの連呼の陰で思っていたのはこんなことです。

 そして同時にこんなことが起こってた。この日のライブに桑沢の教え子が来てたの、三人も。彼らは私がライブおわりと同時に前に駆けつけてきた。「せんせい。」「こんな人いるんですね。」「なんで女に生まれちゃったんですか?!」課題でほとんど寝てないのに駆けつけてくれた歳若くて近い教え子君たち。その中の一人がほろ酔いで言った。「私、たくさんのライブをみてます。今日も上手い人は上手いなあって思ったけど、でも又観たいって思えたのは先生だけなんです。」「ア-ア、やっぱり僕はなんで女に生まれてきたんだろう笑」とか冗談言いながら、僕は彼女の笑顔を信じた。育ててくれたハコよりも。ひょっとしたら彼女は暴走する私じゃない、比較的まともに唄ってるほうを好きなのかもしれない。

でも私はこの自分のはみ出した部分が伝わったんだと信じた。だって私がそうだったから。

逸脱する衝動をあふれさしてステージから飛び込んだり、ドラムセットから飛び降りたりするロッカーに心を奪われてきた。幾度と無く大丈夫って言われてきた。言葉にできないで混乱する思いを歌詞に代弁してもらってその唄をくちづさんで来た。だから自分もそういうものを言葉にする人間でありたくて、思いを解放しても大丈夫だというがためにステージで暴れて、お前もやってみろよといわんばかりに不適に笑いたい。そして同じ人間だろ?といいたくてステージから降りる。「ステージ上でコミュニケーションとるんじゃなくて、ステージ降りた呑みとかで話せばいいじゃないか。」といわれたとき、自分は決定的な意図の相違を感じ取った。

 願わくば、たくさんの人に聴かれたい。人知れずなんて思えない。そしてもっというなら、Vivienne★の版画はこういう衝動の上に成り立っているんだねといわれたい。あまりにも今僕の周りは僕の一部だけが好きな人が多いから。まるでもち米みたいだ、一部ヅキなんて。版画は好きだけど音楽はいらない人、霊媒の部分だけでつながってる人、もしくはその部分だけ拒絶する人。音楽だけ、文章だけ、先生の私だけ、もしくは電話番の私だけ?彼らの中に自己存在に足りるだけの愛を求めたら僕は空中分解してしまう。だから僕は自分を唄で救いながら伝わることを望んでる。伝わることは二次的なものだ。メディスンを出し惜しみしたら何の効果も無いのと同じように全部を出し切れる表現と場所を求めてさまよう。だからどんなにわがままだと言われてもこの部分を変えることなんか出来ないのだ。

 本気で複数回来てくれた人は5人前後、またみたいといっただけで終わってる人が10人くらい、いつかライブにいく!という人も同じくらい。ファンコミュに至っては版画家と音楽の私の人気比率は51になってる。これをひっくり返す可能性のあるハコを探し出す旅にでなきゃいけない。どうなることやら。

 

 

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2007年6月 7日 (木)

賭け。

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電話番の仕事の昼休みにお昼ご飯を食べに行ったのですが、その食事のあとどうやら胃を動かしたことが原因の疲労がおこり、デスクで座り込んだままぐったりしてしまいました。これではいかん!と今月三本目のリポDを口に含みなんとか持ち直していますが、食事で胃を動かしたことが原因の疲労なんてこんなの初めてです。

このまま鑑定やらイベントやらお仕事をこなしてその後間髪入れずにLAに飛びたつので、イベントなどはキャンセルすべきなのかもしれませんがいやいや、このタイミングを逃してしまうと再会出来ない人な気がしてそこまで踏み切れません。ここまで私事で忙しくしているのは考えてみれば20歳の春以来、でもこの時の多忙の終焉はポエトリー会場での名付け親との喧嘩とその一件によるショック、そしてナイスタイミングでくっついた元彼くんとの恋愛によってやってきたのに比べ、今回はその兆しが見えない点でプラスに上回っているな、という感じがします。

身体は常に綱渡りの気分ではありますが、精神的にはいいこともあって、これまでずっとどっかに気にかかっていた20余名の身を切るように離れた人たちのことを忘れかけているんです。ちょうどタイムリーにイラストレーターの真珠子さんがMixiの日記で「私は怨念をパワーに替えるタイプ」と書いていましたが、まさに私もそのタイプであって傷んだ心を未来につけるオトシマエで乗り越えようと走っていたんですわ。でも、そんなものにいちいち引っかかっていたらスピードが落ちるというかもう前に進めません。たとえるなら逐一Tシャツが釘とか木塀のささくれにひっかっているのをとるのがもどかしくなってる感じ。誰かが「恨み言をいうのは暇な証拠」と言っていたのは本当かも。聞いた当時は「なにを!!」と思ったけれど。

今年のサマソニは絶対行くぞと思っていたのですがもう東京は券が売り切れなんですね。狙っているのは二日通し券だったんですが、実はこの日、毎年父が実家に帰省する日とうまい具合に重なっているんです。で、賭けをしてみることにしました。

かつての霊媒仲間であったタイガーリリーが私と離れる直前にいくつか予言をしたんです。で、その中に私がノンストップで有名人に駆け上がる前にあなたは父方と母方のお墓参りをするというのがあったんです。でも一方で私は自分でもがいて作ってきたもう一つの未来のラインとしてその延長上にロックフェスであるサマソニを見たんですね。正直、言語化できるほど明確で詳細な未来を私はみてはいないのですが、それでも時々このルートをいけばこういう未来が来るよっていう近未来のルートを映像や言葉で瞬間的に見ることがあるんです。どっちのビジョンを越えるのかは多分決まっていないはず。でも私に分かるのは、サマソニにいけたあとでやってくる未来は霊媒がたやすく予言したり見ることが不可能だった未知の未来であり、それは墓参りのあとで起こるミラクルを軽く越えてくる、という確信が凄くしてるんです。

だから今私は本気で信じてます。たぶん思わぬところから券が降ってくるんじゃないかって。そして本当にそうなった時、私は憎しみでもいいから私を想って忘れないでほしいと未だに願っているという彼女をはじめ、罵倒して離れておいて何かにつけてこっそりブログを読んだりしてるという全ての人を意識するのをやめて感情を手放そうと思っています。そしてたった一人のVivienne★こと近藤彩の生活と心の平穏を保ってクリーンにするために大事な時間と日々をより一層かけていきたいなと。本気で友情や関係を回復したい人は直接会いに来るはずだし、時期がそんな未来を運んでくると思うからね。自作自演で許しや和解を無理して演じないことは経験の知恵だと思うからさ。

写真は原美術館のレストラン。
パスタと一緒にとったときより何故か反応がよく見えるパン助。

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2007年6月 6日 (水)

Vivienne★さんたらトーキョーふれんどーパーク。

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ここ数日、展示やらライブやら鑑定やらが連動企画で起こってるっつーのに、それに反比例して自分の心と体が連動してない、ということに気づいたのは今月の頭くらいの出来事でした。やること目白押しでたくさんあるのに体が動きません。状況まさに東京不連動パーク。「これってあれだろー?きっとはやりのPetitウツってやつだろ、オイ」なんて思いながら、今月に入って二本目のタウリン1000mgのお世話になったVivienne★、思わず電話番の職場で所長に「所長~私プチウツかもしれないでええす♡」なんて軽いテンションで申告したところ、彼からも「僕も月曜日は最近ウツよ」なんて言葉が返ってきました。

 どうやら彼はブルーマンデー。午後一で気分転換のお散歩に出かけた彼を生暖かく見守ったところ、「近藤さん、いいものもらってきたよ。」と嬉しそうに一枚の紙切れを渡してくれました。そこにはデカデカと「うつは克服できる!!」と書かれ、セミナーの日程が...こ、これは巷にあふれる「ウツはひとりじゃない」的な貼り紙ではないか!!ガビーン!!

 と、まあ混沌としたコントじみた電話番ライフはさておき、このまま行くとやばいと思った私はヒンシュク覚悟でまず携帯やメールなどの交流経路を3日ほど一切たちました。まず、純粋に連絡取りたくなった友人たちに連絡し、スパにつかったり長めに寝たり、思いっきり気分転換するために本を3冊読んだりしました。三冊とも山咲千里の美人になるシリーズの本だったので、すっかり私は千里様信者になり、一緒にスパにいった友人に「霊媒とはいえ全く持って庶民的過ぎる」と呆れられました。しかし劇的な改善がみられなかったので、今日はなんと思い切って朝から走りました。心の風邪の引きはじめってつまり心と体の疲労感の不一致からくると思うんですよ。頭は明晰なのに体が動こうとしない状況への苛立ち、もしくはその逆で体が元気なのに思考が動かないことへの苛立ちが結果的に状況把握のために心を責めていく繰り返しの連鎖がウツにつながるというか。だから私はまずどっちかを遊ばせてバランスが戻るのを待ったのですが、もう強制終了をかける事にしたんです。運動は疲労をもっとも分かりやすく納得させますからね。そしたら効果絶大。爽快感もあいまってその後美術館に出かけたころには60%ほど回復していました。で、仕事を3つ仕上げて久々にブログ、と。しかし展示後半から食べるたびに動けなくなるほどの気持ちの悪さを抱えた胃は直りが遅くうどんばかりを食しています。

こうなった原因は思い当たる節はいくつもありまして、まず展示直前の忙しい最中にライブ二本、展示はじまっても桑沢の展示準備とカランコロン展のギフトに入れるステッカー類の梱包発送、それが終わったら画廊でもその他でも鑑定を13人くらいこなし、気づいたら間違ったままの展示最終日の訂正のビラの期日(つまり展示最終日)が近づき、焦ってその準備。今回は500人余りに発送したんだけど、まずA4サイズにプリントアウトしたステッカーをカッターで8枚に分断し、鑑定依頼とイラストカットなどの募集依頼をした紙もA4出力だったので二等分して500枚分切り続けました。そこに封筒の印字とシール貼り、封書のセロテープ止めの作業が加わり後半3日ほどはまともに布団に入れて居ない状態と要するにヤリスギだあね。少なくとも自分はそう思いました。これでやっと自分の限界とかペースを知ったのかもしれません。そして今、私は心身のバランスをいかに整えて走り続けるかを研究しとります。心身のバランスを欠いた時、自意識過剰で攻撃性の強い人間ほど絶対に自力で自己をコントロールしなきゃいかんのですよ。でないと自分の不条理を他人のせいにしてしまうからね。もしその時、殺傷能力のある言葉で接して御覧なさいよ?ね、無駄なトラウマは与えちゃいけないの。なんてね、ガンバるよ。

写真は友人宅のカメと対決するパン助。超おびえた空気を発したのでこの後すぐに
撤退。でもよく頑張った!!

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2007年6月 3日 (日)

ついにアピアでピックアップアーティストに選ばれる、クラウッドではイベントのトリになる。

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渋谷APIA  6/7(木)出番おそらく二番目19:30前後
前売り1300円 当日1500円
http://apia-net.com/index.html
Little Dead Flowers(vo,g/b/ds)、稲垣慎也(vo,g)、
ヴィヴィアン★キック(vo,g)、コイズミ(vo,g)

浅草KURAWOOD 6/20(水)出番おそらく一番目18:30
「紫アワビ」前売1500円 当日1800円 別途1ドリンク
http://www.kurawood.jp/main.html

6/27(水)出番トリ!時間は未経験だからわかりません。
「浅草JET&PORCA」前売1500円 当日1800円 別途1ドリンク

いやいや、展示会場が遠いのと、家に居てもカランコロン展の何がしかを送ったり最終日間違い訂正DMの残務処理に追われたりしてPCどころではありませんでした。お元気かしら皆さん。アピアのピックアップアーティスト、証拠はほれここに↓四角顔の女が。

http://apia-net.com/pickup/index.html

ねー?友川かずきさんとも一緒でしょ?ミチロウさんとも一緒でしょ?10/1の新宿LOFTのオーディションライブから始まって八ヶ月目、で、アピアの初ライブから7ヶ月目、15回目のライブでの快挙です。早いのかな、遅いのかな?よく分からんけど。

 前回のAPIAライブの直前の電車の中で思ったのね。「俺のライブを見に来る奴は誰もまともな演奏なんか望んじゃいない、奴らが望んでいるのはただハプニングだ」と。何が起こっても時間いっぱいやりとおす、欠点があっても至らなくても折れない人間の生き方みたいなものをただ表現し尽くせばいいのだ、とりあえず、ブッキングマネのイトーさんを怒らせよう、怒るまで暴れよう、だって前回ギター上手くなれなんて駄目だすんだもん

さあいくよ、くらいな感じで客席に二回ぐらい乗り込んでやりました。でもそうなると音声が入らないので次回のライブではもうちょっと考えます。上手な飛び込み方っていうんですか?そんなものを。そしたらトリのウラベさんが「いやーVivienne★の影響受けちゃった」なんて言ってくれるものだからお客さんキョトン。だってさ、僕のライブはほとんどいたづらマニアさんのお客と対バンさんだけだったんだもん。ライブ後、イトーさんも怒るどころか笑顔でさ、「いいよ!Vivienne★もういいよ!!俺Vivienne★には技術とか求めちゃいないからさ!!」とか熱く語ってくれた結果がPick upみたいです。会社で何気なく旅に出たネットサーフィンで見つけたときはたまげました。

 でもって僕は自分の立ち居地の一番目ってポジションを結構気に入りだしたのね。意義を見つけた。「俺の仕事はこの日のライブの共演者を盛り上げてイベントを良くしてステージをあっためる事だ」って。人をやる気にさせるのは得意分野だからさ、MCでも「俺は今夜の斬り込み隊長だ!!」って言うようになった。ああいいぜ、どこでもいつでもなんとでも呼べよ、声さえつくる時間をくれたら会場一個あっためてやるよってそんな自信を付けた自分にマーシからメールがきた。

 27日のジェット&ポルカは僕のブログのタイトルから来てるんだけどさ、まさかトリの依頼までくると思わんかった。自分がこれから企画するイベントでさえ一番手であり続けようとしたのにトリなんてどんな感じになるのか…。「なにゆえ?」と聞き返すと「タイトルどおりに頑張ってほしいから!」と短いけど確かに応援してくれるメール。だから受けることにした。人の期待は時に重いものだけど、自分が好きで突き詰めたものならパワーになるんだとこの時つくづく思った。

 正直、仕事だ用事だとかいって来られないのはある意味ほんとで、ある意味嘘だと知ってるから、事情を理解しながらも自分の表現力の至らなさと客足の悪さ、近藤彩を部分だけ愛してファンだという膨大な人々の偏った愛情を悔しかった。でも考えは変わった。私が悔しがるんじゃないよ、彼らが悔しがるのだよ、「あの時いつでもチケットが手に入って好きなだけライブがみられたのに!!」といって地団駄踏むんだよ。で、そんな彼らを僕はざまあみろって笑うんだよ。お前ら勝手な判断でステージの俺を舐めてかかってるうちに来年の今頃はサマソニとかでカエラポジションで歌ってるかもしれないぜ?こっちは近藤家の一財かけて全力疾走してるんだからさ。鬼さんこちらここまでキヤガレ。

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