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2007年4月26日 (木)

お願いスピリチュアル?

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今日はまたまた曲が降りてきたので、部分を丁寧にノートに書き記していたら10分くらいで完成しました。タイトルは「お願いスピリチュアル」。実はここ二ヵ月、どうしてもずっと頭から離れなかった歌詞が一つあったの、それは「僕らの知らぬ過去が見えるというその絶対的な力で/僕らが未来を進む道を邪魔したりしないで」っていうんだけどさ、どーよ、この自虐ぶり?僕はむしろこんな唄歌うな!!って言う側の人間だよ。

でもね、どうしても言葉が僕にこれを唄えと要求してる気がするんだわ。なんていうか、版画彫ってるとたまに版のほうから「早く私を彫り出して!」て呼ばれてる感じと言うか、自分が作ってるというより、版の側から要求されてるって感じがする作品に出くわすんだけどそれに似てるんだよね。

オーラの泉がゴールデンになったでしょ?知ってたんだけど、もう特に知りたいことがないから見ないつもりでいたの。だけど、どうしても最後のほうだけ引っ張られるようにリモコンを押してしまったのさ。そしたらテロップが流れてた「前世やオーラは科学で証明されたものではありません……」云々カンヌンだったんだけど、なんかね、あーあって思った。あーあ、江原さん、本当にいいの?傷ついてないの?って。だって江原さんの自伝とも言える「江原啓之物語」は最後を「僕は霊能を非科学ではなく未科学だと思っています」で結んでいるのね。だけどなんとなくこのテロップは彼の「未科学」というスタンスとニュアンスがずれている気がした。美輪さんのおうちにみて欲しいという一般の人が現れたり、「オーラの泉」を語る悪徳商法が出回ったりしてるのもニュースで読んだ。だから少しでも混乱を抑えるためにこういう対応を取らざるを得なくなったんだとは思う。でも混乱は副産物でしょうよ。

前世やオーラを知りたい気持ちは、もちろん「私は誰かよく知りたい」んだろうけど、そのもっとウラにはそれを納得することで現実の不条理から逃げたい」という心理が働いてる気がしてならない。そして昨今のスピリチュアルブームを支えているのはこの心理であるのではとも思う。この逃げたいを越えてスピリチュアルを自分の人生に落とし込むキャパを精神に持つことがどれだけ大変なことか。たいていの人はここでひっかかって依存者になったりする。「私の辛かったことや、うまく行かないあれこれを何かのせいだって誰かにはっきり言って欲しいのよ。でもね、僕に言わせてもらえば、自分で知るべきタイミングで答えを見つけるまで、「答えの見えない状態」を抱えることはとても大事だと思うんだ。その期間から逃げたら、人は自分の言葉で経験や人生を語るチャンスを一個失ってしまうの。でもそのもやもやを背負い続ける苦痛がどんだけつらいかってのもわかる。でも、だからこそ人は抱え切れなくなっても平気なように愚痴るし、酒飲みに行くし甘えあうんだと思う。そうやって疑問かかえて倒れそうな自分を支えあうんだと思う。人はね、自分で自分を救うんだ。そしてそれを達成するために守って守られる。そうやってお互いの弱さを支えているわけよ。うん多分そう、きっとそう。だから私は見えない世界に流される混乱に立ち向かう魔法の言葉として「未来を邪魔しないで」という言葉を生み出さざるを得なくなったのです、このFuckin’Beautiful Worldへ。

故に僕は、ある人の悩みという奴に時々とても冷たい。「あ、この人にこれの答えを今教えることは、この人がこの困難を乗り切ることで得られるお宝経験を永遠に奪うことになる」そんなことが見えると、いかに鑑定のお客が欲しくても「ごめんなさい」といってしまう。でもそのかわり、アホみたいに長い応援メールを送ってしまうのです。一人の近藤彩って人間として。「心の中ではがんばれって言っている」のはブルハ。でもそんな感じよ。

写真はK沢の授業帰りによったモンスーンカフェ。久々にトムヤンクンラーメンを食べたよ。

 

 

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