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2007年3月25日 (日)

人は人を変えられないでも悔しくてたまらなかった。

Dscf2827
私が自分にすがってしまう人たちに憂いてしまうのにはわけがある。
20歳のときに今の私を形成するコアになる事件がおこったのだよ。
その時私は、最初に付き合った男にある日突然棄てられて
半狂乱だった私に声をかけてくれたスピリチュアルさんがいたのさ。

友達のママさんだったんだけど、
私は彼女とのかかわりで奇跡的に安定剤漬けのカラダを
プレーンに戻すことができたのね。

彼女の存在に頼りきった私は
そして彼女の言葉やかかわりで自分を立て直した私は
当然のように彼女を崇拝したわけですよ。
「弟子にしてください。」
と伝えた私を、弟子じゃなくて仲間になってと
彼女は優しくいなした。

今の私みたいに。

でも同時に私は、男について語るときだけ
彼女の言葉が深く陰に入るのを見過ごせないでいたんだわ。
客観というより、彼女の傷がうなるようなトーン。

いい、本当の愛なら彼がどんなに離れても愛しぬくもんよ?
そういいながら、なんか声が怒りに満ちてるの。

でもさ私は彼女の言葉を自分の弱さを隠すオブラートにして
飲み込み続けた。で、もう私を愛していない、というか
日々離れていく心を意識しながら肌を重ねたっすよ。
いわゆるセクフレといっても過言ではないでしょうな。
私はそん時でも深く愛してしまっていたわけですが。

その男がある日、友達になったモデルさんと関係したと
告げたのは家でやったホームパーティーの席でさ
このあと彼女の家に行くんだと言われたときに
もうどうしようもない気分になったんだよね。

なんで、新しい女の家にいくのにその前に
わざわざうちに来たんだ?と。
彼は明らかに自分が嫌われたくない人だったんだよね、
自分で自分を愛せないから、一人でもトモダチ的な行動を
とらないと安心できなかったんだとおもう。

私はもうダメだ、とおもったのよ。
この男、絶対にダメな人だって。
離れて新しい恋愛をするんだと決めた。

だけど彼女は怒ったんだよね
「その程度であきらめるのは本当の愛じゃないわ!!」って
私はでもこの言葉にものすごく違和感を覚えたんだよ、
で、あ、これは私を見てるんじゃない
彼女の価値観の言葉だとおもった。

だから彼女とも離れて、男も忘れた。
そうしたらとたんにまぶしい春が私を包みました、って話なんだけど。

その男の子は結局、私の次の彼女にも同じ、というか
私以上に辛くてきつい棄て方をしたんだよね。
今でも私はそれを男の引継ぎの最大の失敗だと思ってるんだけど。

今なら彼女の感情の動きが分かる。
彼女と知り合ってすぐ、彼女が過去に男の人に受けた
辛い傷の話を打ち明けてくれたことがあった。
たぶんその傷は彼女の中で未消化だったんだよね。

だから男というキーワードでその傷がうずくと
主観が言葉を走らせたんだと思う。

今なら、霊媒の人と話すとき
「その人の主観というか個人的な経験から発せられたことば」と
「みえない見えるものを読んで伝えられたことば」の違いを
分けて聞けるけど
あのときの私は出来なかったのよ。

あの主観をみわけられなかったがために
ポジティブを逃した10ヶ月、
実は私は一人、自分の理想的な男の子との出会いを逃したんだよね。
出会ってたけど、私はそれをきちんと恋愛に出来なかった。

あれは確実にもう一つのポジティブな人生の分岐点だったと思う。
その人と恋愛に至れたか至れなかったかって。
今の自分の人生を高速道路にたとえたら、確実に反対車線くらいの
感覚で寄り添って走ってる。

必然を成立させる道は一個ではないんよ。
私はそれを確信してる。
なんか必然ってさ、太陽は東からのぼって西に沈むとか
植物は光合成する、とかそんくらいシンプルなものなんだよ。
それは○歳のいつごろ誰にあってこんなことをおもう、みたいなことまで
厳密にすべてを決めてるとは思えない。

未来を変えられるって信じることって実はかなりハードなんよ。
自分の今のありかた一個で未来がよくも悪くもなるってことを
憂うくらいなら
全ては必然、生まれてくる前に決めたシナリオでドラマなんだって
いったほうが楽になる。

今の人は弱いんだと思うぜよ。
自分で自分の人生をいききるってことに自信をもって
向き合えないんだと思うんだ。

必然ってやつをたてに人生を語るのは大人の論理だよ。
自分の人生も半分以上を超えたひとがそこまでの人生を
全否定するのは酷だから、そうやって納得させたいんだと思う。
全員とはいわないよ、ただそういう人もいるだろうって思うんだ。

「しってる?人生に起こる全てって必然なんだって」って
伝聞で語るひとは特にそんな感じがするよ。

自分の人生に起こったことは一本のラインみたいに導かれてた
気がするっていうのは、人に言われるんじゃなくて自分でいわなきゃ
カッコわるいんよ。

離婚とか冤罪とか、自殺未遂で悩む人と何度か向き合ったけど
そのたびに「あなたのその苦しみは選んだ必然ですよ」なんて
言えるか阿呆、って私はいつも思ったよ。

それに私は憂いてる、行き過ぎた必然思想は
「あの紛争地域に生きる人間は、生まれる前に戦争を経験して
 生死の境を体験したいという人生を選んでる、だから爆撃していい」
とかいう教祖を作りかねないとも思う。極論だけど。

大体、ジョーストラマーが50歳で心不全で死ぬのが必然だったなんて
悲しすぎて認められないよ。

少なくとも、私はVivienne☆KIDSにはそれを言わせたくない。
これからどんな未来になるかって前向きな希望を
思考の浅い「決まりごと」感で摘み取られたくないんだわ。

不確定な未来のストーリーから一個を自分の意思でえらびとること
そして選んだそれを後悔しないで振り返れること、
不確定なものを受け入れる強さと、起きたことを自分の意思で肯定できる強さ
そのバランスをたもってこの世に存在し続けるの、
自分の心臓が止まってしまうその日まで。

でもそれを肯定する力は自分の人生を自分の言葉で語ることでしか
なしえない。
だからこそ自信という言葉があるの。
信じると言う字は人にいうという言葉で出来てる、
故に自分を人に言えるということが自信になるわけさ。

自分を強くする呪文は、少なくとも経験という宝石は
自分で自分の人生経験を意識して作り出さなきゃ光らないの。

それでこそ、人生とは魂の修行であるという価値観が成立しないとおもうのよ。
それは永遠に自信を付け続ける旅だともいえるわけ

だから私はその人にもそういうきらきらしたものを伝えたいのに
私の言葉をたべて、「今日あやさんがこういったああいった」って
言葉ばかりで毎日を生きてしまう人を生成してることが悔しくてたまらない。
だから余計に、私は私の言葉や存在に盲目になって
それで生きようとする人のフィルターを必死で壊そうとし続けてしまうんだよね。
そして私は、時に汚い言葉と激しい言動で
ときどきそんななたを拒絶せざるを得なかったのです。

あたしの言葉で胡坐をかいて生きることは結局
あなたが生きるのとは違うってことに気づいて欲しい。
20歳の私のような蹉跌を踏ませたくないと願うことは
私のおごりなのでしょうか?

でも人は人を変えられないと分かっていながら
変えようとしてるのと同じだと一方で最近気づきもしたんだよね。
彼らに必死になるあまり
私は私を助けたくて手をさしのべてくれている人たちも
無視し続けていたんだと。これは深すぎる私のアンバランスでした。

俺28歳、まだまだ青いス。
さて、横浜のギャラリーにいきます。





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