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2007年3月 9日 (金)

father、further。

Dscf2871

父親に認められたいと願うのです、
それはなんというか
もし仮に彼以外のひとが自分の生きかたを認めてくれたとしても
私は父が認めてくれないかぎりは
一生苦しみぬくと思うのです。

私は表現し続けるしか出来ない
そこに利害をできるだけさしはさまないように
一点でもいい作品を残そうとし
一財潰して土下座する自分のリスクと闘いながら生きることを願い

父は
安定した収入や結婚による社会的な地位の立脚を望んでいて
それは当然のことなんだけど

なんとなく、私は父の顔を見るたびに
「お前は俺の味方ではなかったのか?」
と問い詰められる気がしてしまうのです。

思えば彼は私が最初に守らなければならないと
幼心に認知した男だった気がします。
自分を構成している体の半分がどうしようもなく痛い。

だから私は今年の展示依頼やらライブ依頼やらを
練習する時間もないのに鬼のように受けまくっていて
きちんと向き合ったらカツカツなスケジュールに目をそむけています。

どういうわけか最近、

実家に帰るたびに父の言う
「世の中にはいろんな考え方があるが
 お父さんはお前の考えを正しいとおもえないよ」

という言葉が、何度も思い出されてどうしようもなくしんどい。

精神的な疲労と、肉体的な疲労をおしても
うたかたの泡のような期間であっても彼にみとめられたい。

いつか成功できるよとか
こころをプラスに保てとか
スピリチュアルな甘言、というか言葉はいくつも
思い浮かべても
この思いを払拭できないのであれば

真正面から向き合って潰すための戦いをするしかないと思うのです。

スピリチュアルに人がはまるのは
この世界が秒殺で答えを出すというのも大きいと思います。
その苦しみは前世のせい
この痛みは守護霊のせい
神様に願えば大丈夫.......

だけど娑婆が修行の場所であるならば
人は感情を動かして自力で結論を出さなければならんだろと
私は思うわけ。

自分の言葉を見つけるために
一定期間自分でいたみと悩みを抱えることは
人としての可能性の一個なんじゃないかとも思える。

NIRVANAのDVDいわく
「俺たちの真似ばっかしても俺たちにはなれないぜ。」

誰かの言葉ばっかむさぼって生きても
それはアンタの修行を生きたことにはならないんだぜ?

寿命をおえて天界とやらに還って
御上にかかと落としを食らう前に
僕たちは自分の言葉を見つけるための悪あがきに帰るべきだ。

しかし、ああ、畜生。
こんなにも心理が蝕まれてるのは何でだ?

あーあ、もう......死んぢゃえよ、俺。

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