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2007年1月 8日 (月)

ベイビーとその父。

正月明けのパイメイは私のデモに入っていた
女武士道という曲を何故かすっかり気に入ったらしく正月休みを利用して
会津藩の女武士についての本や武士道に関する書籍を
よみあさったという。

そんな彼の今年の目標は
「時代に反抗してローテクに生きる」とのことで
「俺も自分の武士道を貫くんだ」と張り切っていた。

最近のパイメイは
パイメイというよりDMCのシゲおじちゃんと化しつつある。

と、同時に
一回もまだ間違えずに弾けた事のない曲が一人の人の人生に
露骨に影響している様をみて、音楽というものの破壊力に
今さらながらに感心した。

その後。
母とほぼ同内容のメールを父に送った。

一時間ほどして、
父からメールが届いた。
その時私は、ただ黙々とギターを拭いていた。

そこにははっきりした文体で
「自分を守ることは何よりも大事だ、そして自分に限界が来たら
 きちんと吐き出すこと。」と書かれてあった。

そして
「小さいときにつらい思い出を作って申し訳ない」
と書かれていた。
28年にしてはじめて言葉にされた謝罪だった。

それを求めた、わけでもなく
必要であると思ったわけでもなく
かといって
あきらめたわけでもなく

でもただ、心の何かが解けていくことがわかった。

「コドモが元気で幸せでいてくれることが何よりも大事だ
 そして聞き流してくれればいいよ、私たちは私たちでのんびりやっていくから」

と二つ目のメールで書かれているのをみて
自分に対してホームドラマでしか見たことがなかった
親の愛情なるものを具体的に認識して
結局ギターを拭きながらダラダラと泣き崩れた。


父は、不器用だったのだ。


ただ、かっとなって言い返しただけだったのかもしれない。
この流れいった歳月が私を変えたように
父も変わったのかもしれない。

と、同時に
パイメイは避けようとしてるけど
ハイテクだからこそ聞きだせる本音ってのもあるんだなと
思った。

勿論、
人と人が直接会話して得られるインパクト以上に勝てるものはないけど、
でもそれをしようとするあまりに負担になって先延ばしにして
そしてついには永遠に機会を失ってしまっていたなにかを寸止めして
ちょっとだけ前進させてくれる力をこの機械的な文字列は持っている。

逃げ出すくらいなら、ちょっとだけでも前に進んだほうがイイに決まってる。

この家族を守るのだ、という幼い日に心のこぶしを握って
決めた心の任務がゆっくりと終わるのがわかった。
自分の中心にいる子供がただのコドモに帰っていく。

と、同時に
「ざまあみろ」
と思った。
泣いているのに同時にニヤッとして
「ざまあみろ」
と思った。

ざまあみろ、逃げ腰スピリチュアリズム。

俺は御上に解決してくれと言わなかったし
親父の本心をカードでもみなかった。
占われるチャンスは何度も転がってたけど頼まなかった。

自分の本心を伝えること、そしてそれを素直に伝えたことは
御上が私にそうしなさいと伝えたことではなく
自分の意思でしたことだ。

ちょっと自分を褒めようと心から思った。

心の重荷が深くてもつらくても
解決できる可能性を信じ続けることから人は逃げてはいけないのだ。

たとえその重荷が自分に辛すぎて人にこぼすとしても
そこで満足したり、それを解決法としてはいけない。
いつかは自分でその問題を解決することをあきらめないこと
どうしたらいい?と問い続けること。
自分の本心でも、御上でも。
最終決断をする権利を、自分以外の何者にも委ねないことは何よりも大切だ。
決断する権利を失ったとき、人の心は本当に堕落にむけて転がり始める。

人に本心をつたえなければどうしようもならないなら
手段がどうであれそこから逃げてはいけないのだ。

カードや名前を見て、もしくは流れに向けて意識を飛ばして
人の心をみるのは簡単だ。

でもそれらは
実際に本人に尋ねたときに聞く本音のインパクトを超えられない。
それがどんなに正答率が高かったとしても。

それは作品と価格の関係に似ている。

12万の作品は、12万で売れるまでは本当にその価値は発生しない。
たとえどんなに他のひとがその作品をみて、
「この作品は12万の値がつくだけの価値があるよ」
といってもだ。

「12万で買われる価値があると思う」、は
「12万で買われた!」という事実以上の説得力を持てない。
まるでスパーリングが実際の試合の興奮に勝てないみたいに。

だから人は時に魂が受けるべき正しいインパクトを求めて
占い師に読んでもらった人の心をわざわざ確認にいったりするのかも
しれない。

そして同時に、わかっている自分の本心をわざわざ言語化して
もらうために占い師に会いに来る。
只の思いではなく、言葉として発せられた事実とするために。

だとしたら私は
人が自分の力でアクションを起こす事を決定的に
後押しする鑑定者でありたいとこの一件をとおしてつくづく思った。

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