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2007年1月 9日 (火)

すべてはKIDSのために、KIDSは未来のために。

ここ二年、大きなストレスは
ルーズなくせに生真面目という性格をうまく共存できないことだ。

人のメールとか送るものも最近は特にきちんと送れた試しがない。
例のごとく、ギターももう5日以上まともに触ってないんじゃなかろうか。

まさしく、信用をまもるとかなくすこと以上に
適したタイミングでなにかを送るという価値の方が先行している。

技術力をあげるよりも精神性を鍛えるほうが優先され
本当に切迫したときしか本気で何かをやらない。

自分の意思でそうしたわけじゃないけど
なんかそうなっちゃっている。

今日はそんなことも取り留めなく「すらくかん」さんと話してきた。
なんとなく夢を語りながら
こういうときは霊媒ではなく、霊媒に理解はあるけど
きちんと人として生きている人と話すのが一番だ。

自分のスペックを武器にして社会にどう切り込むかという戦略を
お互いを鏡にして語るのはとても楽しい。

現代を生きるアーティストは、
金銭的にも成功するのも大事だと思ってきたけど
飽きたのであきらめた。

今はどうやって一つでも多く
自分の納得いく作品を残すかということばかり考えている。

今の未来の姿のゼロ地点は
親の墓の前で土下座して謝る自分である。
「一財すべてなくなりました、申し訳ない、
でも作品は納得いくまで残しました。」
といえるために今どうしたらいいのか。

親父と喧嘩になったのは
父がこの考えを悲観的だといって理解しなかったからだ。
でも、成功、とか繁栄で考えるよりもこっちのほうが思考がシンプルで
疲れない。
だから精神的にかかるいらない負担は極端に避けることにした。

どんなに著名だったり成功できる可能性がある人でも
人間的に信用できない人はもう付き合うのはやめることにした。
宣伝活動もものすごく控えている。

ホンモノを作れたなら人が騒ぐはずなのだ。
それがないなら所詮誰が何を褒めても駄作だと思う。

ただ必要だという人に必要な形でちゃんとそれが届いているかに
気を配ることは大切だと思うけど。

それと、どんなに神の領域に触れようが流れの存在を知ろうが
人としてあがくのをあきらめない、と決めた。
鬼をみたら鬼を殺し、仏をみたら仏を殺すのだと誰かも言っている。

ただとても難しいと思うのは
作品作りということが、野球みたいに一年に何本ホームランを打つとかいう
具体的な価値ではかれないことだ。

でも私はそれらが希望というカタチで残ることは望む。
「俺でもできるかも知れない」とか
「あんなふうになりたい」とか
そういう距離感でたたずむもの。

と、同時に
おんなじようにやったのにVivienneみたいにはどーしてもできない、
という完成度。

でも結局のところ、
私は自分が唯一無二で「あること」と
唯一無二で「ありつづけること」とその感覚を感じ続けること以外の
何物にも興味がない。

俺はVivienne Aliceというポジションにおける最強の女霊媒だぜ?
他の追随なんか許さねえよ、と
言い続けるために今日も意志力を鍛え続けている。

すべてはKIDSのために、KIDSは未来のために。
本当の自己愛を知っている人は未来を夢見る価値を知っていると思う。

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