明日からのバイトに備えて実家から帰宅。
まずは買い物。この町は便利だ。しかし買いすぎた.........
しばらくは松屋と自炊でのりきろう。
吐き気と疲労と倦怠感を帳消しにせんと頑張る。
逃げ出すように帰ってしまったかもしれない実家には連絡をいれられない。
元旦の父との口論は私の自立だとか家族のもろもろ。
父はいう、「お前の生き方は甘えとか逃げとしか思えん」
私は言う「もう六年も頑張った、作ることに専念させてくれ」
たった六年だろうと父は言う。
たったの六年。
職場に勤めては辞めの繰り返し。
私は頑張りたいと願う、偏頭痛がおこる、腹痛が起こる、
友人に相談する、そして医者にかかる。
そばアレルギーを発症する、そして全身を昼夜問わず蕁麻疹が襲う。
あまりの症状に注射を打つほどに肌が壊れる。
アロマキャンドルからマッサージとかいろいろ試した。
でも、もう体がダメだといってるんだと認めたいと思った。
会社でも、頑張っても出来の悪い部類にしか入れないのだから。
でも版画は真逆だ。
版画は、人が嬉しそうに観てる顔を眺められる
国をこえてそれが出来るらしいこともわかった。
ファンという人の声をきいて親も喜んでる。
なにより、
徹夜をしても私の体が長引く症状とかを患うことはない。
だから、一族の財産を食いつぶしても全部作品に変えて生きようとおもった。
墓の前で土下座して、駅前のマトリョーシカのおばはんみたいに
ルンペンになっても、あの日々があったなら後悔はしないといえるために
毎日を生きようと決意した矢先だった。
父の作家以外の収入源を作れと言う言動は
「もっと身体を壊してでもやれ」
というように受け取る寸前の自分がいて、なんとか
思考を深めないように窓の外に視線を泳がせた。
物静かな父の怒りは
婿養子としてこの家にやってきた自分のいたたたまれなさや
やりきれなさの矛先のようにも思われた。
確かに祖父は、何気ない言動で家族について語るときに
父をはずしてしまうことがおおい。
傷つかないわけがないのだ。何も思わないわけがない。
強力な個性を持つ祖父に愛される孫として
家族全員それぞれの誰にも話せない思いを聞く人間として
この状況をどうしたらいいのかと考えるほど
何故か私は実家で寝て過ごすようになり熱まで出てしまう。
わかっているのだ、私で伝言ゲームをするのではなく
家族同士が直接ぶつかって意見を言わなきゃいけないのだ。
でも私はどうしてもかずがいのポジションにたってしまう。
あえてそうしようとしたわけではなく
私には話してとか公言して歩いたわけでもなく
ただ勝手にそうなるのだ。
12歳のころから、私がこころで繰り返していた口癖は
「わたしさえ黙っていれば
私さえ耐えればすべてがうまくいくのだ」
だったけど、10代の終わりに全部壊れてそれまでの痛みを
だれかれ構わずぶちまけたり、ガスガス腕を切って気がついたら
キチガイとよばれてしまった。
クールダウンした父と二人でむきあってドリアを食べた。
お前もつらかったかも知れないけど、俺は正しいことをしたつもりだ。
なんとなくそんな思いを感じ取る。
けどまだ素直にそれを言ってあげられない。
いっとき父の薬の量が増えたとき、
私は隣の部屋にいたからとても心配した。
なぜなら私はこの人の遺伝子と血を半分受け継ぐ娘なのだ。
私に出来ることは、彼がなにか話したらどんなにつらくても
聞くことだと思っててそれしか出来なかった。
結果的に父と祖母が衝突した日に
私は祖母に腕をつかまれてこういわれた
「おい、お前言ってこいよ、お前は父さんとツーカーなんだろうが」
いたたまれなくなってはじめての家出を敢行した。
18歳だった。
お前が間に入ったから夫婦仲がこじれた
お前はお父さんの味方になりすぎるんだ
お前が繊細すぎるんだよ。
そんなことは当時を振り返って
そして時折、未だに言われる。
誰一人として
聞き役になってくれてありがとうとか
いてくれてよかったとか言う人はいない。
私はただ、たまたま話しやすいポジションにいてただ話をきいたに
過ぎないだけで、別に感謝を求めたいわけではなくて
皆それぞれに幸せになっていてほしいと願うだけなんだけど
私はやっぱり、破壊者らしいのだ。
祖父母になにか買ってもらうと
嬉しいと言う前になんとなく父の顔が浮かんで
この家は普通でないぞって声が心に響いて
私は後悔ばかりした、私はダメになるんだとせめてばかりいた。
小さい頃から定まらない二つの価値観の間をたゆたって
いた気がする。
だから今私は猛烈になにかおごってもらったり
もしくはプレゼントされたら心からありがとうといいたいわけで
今更私はそんなトレーニングをしている。
たった一週間たらずの実家の滞在で
熱が出て伏せがちになって、しまいには吐き気がして
この家で過ごして痛かった記憶ばかりがものすごい勢いで
回転して思い出せれていく中でもう一人の自分がカウントをする
「おお、お前せっかくのポジティブ思考がどんどん逆戻りだな
スゲエな.....てかどのタイミングで連れ出そう?なんの負担を減らさせよう?」
そんな言葉が口をつくまでになってしまう。
最後にはたった一つの幻想にたどり着く
誰もが意識をとめずにいつも通り過ごすささやかなある日に
ピストルで頭をぶち抜いて、真っ白になる自分で
それがたぶん私の最後だという甘美な幻想。
どーーーーーーしてもここに帰ってくる。
この幻想のやりぬいた感じを前にしては
家族に囲まれて幸せな最後とか、そんな来るとかわかんないなんかに
置き換えることなんて出来ないのだ。
そして曲がりなりにもアーティストとして存在してる以上、
前者みたいな最後を深層心理で望まれてるのも感じとる。
・・・・・・うっかり自分にとってピストルとは何の象徴なのか思い出して
ちっと発見気分になってしまった。
こんなことはどこの家でもあることらしく
10代は少しでも問題のある家みたいに思われたくない一心で
だれにも話さないで抱え込んできたことを
いい年こいてブログに書かざるを得ないようになるような
秘密を墓場に持っていけない自分がふがいなく
また同時に、繊細すぎるらしい性質が情けなく
家族になにもしてあげられない自分がダメな奴に思える。
そしていつもふらふらになって帰宅する。
霊媒になった自分は亡き祖母に何か聞くコトだってできるんだろうけど
「お前が実家に帰らないのが悪いんだよ!」と怒られそうで聞けない。
ただなんとなく今日仏壇で手を合わせたとき
「すまないね」って声を聞いた気もしたけど。
かつてジョニーは笑いながら言った。
「彩は実家から帰るといつもストレスで不機嫌だよね。」
正直もう、どうしたらいいのかわからないのだ。
どうしても一人暮らしの自分の生活に帰る途中の電車の中で
勝手に涙が出てきてしまうのだ。
そして繰り返すネガティブな思考回路を人に話していいのか
誰に話せばいいのか
どう処理すればいいのかさっぱりわからなくなるのだ。
それでも
結果がどうなるかがわかっていても
どんだけ精神的にダメージを食らうとしても
それでも
心配して会いたがってるだろうなと親を思えば帰らずにはいられない。
こんだけ人様にネガティブな印象をつけるような文章を公に書いても
それでも人に紹介せずにはいられない。
どうにも出来ないし、自分の介入が悪だといわれるとしても
何が出来るか思わずにはいられない。
結局私は家族を愛しているんだと、思う。