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2007年1月31日 (水)

222事変と子を産む機械。

最近このニュースはすごい波紋ですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070131-00000071-mai-pol

産む機械。

ポイントはやっぱり「機械」の部分なのでしょうか?
常日ごろ、
言葉という、強烈な力をもちつつも危ういものを扱う自分にとっては
言葉には絶対使っちゃいけないものがあるというよりも

使う人を極端に選ぶものと
無難なものがある気がします。

昔代々木の予備校に行ってた時分、
とあるイケメン天才先生が赤のクラゲ柄のシャツを着ていて
それを買ったいきさつについて
「これを着こなせるのは俺しかいないと思いました。」
と、いったんです。

で、実際痩せ型でシュッとした存在感のある彼が着こなすそのストレンジなシャツは
本当にはまって見えました。ちなみにアルマーニでした。

ニガー、という言葉があります。
アフリカンアメリカンには絶対に使っちゃいけないという言葉です。

しかし、彼ら自身が自ら使う「ニガー」には
悪魔に魂を売ったRJの伝説ではありませんが
他の追随を許さないcoolさがあります。

彼らだからこそ、説得力があって使える言葉の強さ。
それは差別用語を撤廃せんと躍起になることよりも
ネガティブさを克服したある種の完成形を見ます。

話はそれますが
普通の男の人に飲み会で、とある女の子が
「オトコなんて所詮、セックスマシーンでしょ?」といったら
やっぱ問題ですよ。
だけど、ジェームスブラウンがいえばゲロッパになるわけ。

なにが言いたいかといえば、私はその「産む機械」って言葉を
ライブのMCでつかいたいなって思ったっつーだけなんですが。

「たとえ、ここで俺が男前っていわれてもよ、
 所詮俺の身体は根源正せばマタニティーマシーンなんだよ。
 正常に働かすためにはさ、やっぱ愛って名前の潤滑油がほしくねえ?」

ほら、どうよ?
クールじゃない?

物事は換骨奪胎してなんぼでしょ?
世界の出来事は俺のために使われなくっちゃ。
少なくとも俺の世界にとってさ。

そんな私は222事変(オープニングパーティー)でオリジナルを
やる気がうせています。
APIAのライブはオリジナル専門だからたまには変わったことをしたいのですよ。

NIRVANAのカヴァーをやりたい。

RAPE MEとかどうよ?
あの明るく抜けた木の板間でくぐもった声でアコギで
女の私がRAPE MEって歌いだす。

たまらん。

しかし

コードがわからん。
TAB譜のごちゃっとした感じと英語の羅列が私を苦しめます。
ああ.....前途多難。

BEAMS JAPAN (新宿のBEAMS 6F)
オープニングパーティーはただ酒呑み放題の2時間コース
ささっと唄って帰るから皆さん遊びに来てよ。

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770という切り札。

「人を好きになってしまったみたいで、
会えないと思うと寂しさで作品が手につかないんだけど
どうしたらいいかね?」

と、いまどき中学生だってしないような質問をぶつけるので
友人が電話の向こうであきれてばかりいて

と、同時に
意外とVivienneは女の子らしい、という変な評価で
株が上がっています。

結局結論が、さびしいときはさびしいと飽きるまで叫ぶに限る、
という原始的なところに落ち着いたので、そのために私は最近
ギターばっかもっていて、作品に反比例して演奏技術があがっています。

とはいえ、そうは言ってばかりいられないので
久々に住所録をいじってDMの配送作業にはいりました。
さくさくやるべき作業だったのに
アットホームにライブ写真が載ったりし始めたVivienneコミュに感動したり
前回の美虎娘娘時代のメールから住所頂いた方を抜粋して登録してたら
懐かしくなってついマイミク申請しなおしたりして、
いつの間にかやたらマイミクが増えて一日が終わりました

.......おおう。

なんかだってね、意外に再申請したらみんな喜んでくれたりするんだもん。
ただ人によっては今更申し訳ないから挨拶だけしなおした人もいて
案外そういう人がマイミク申請待ってたりするから不思議だと思ったり。

皆、前回の混乱をリアルタイムで観ていたせいか
そっとしておこうとしているみたいです。
私は、申請される分には基本大歓迎なんですけど。

と、いうか、絶縁状をたたきつけたはずの人が
こっそり観てるらしくて、そっちのほうがよっぽど卑怯だなあと
思ったりもするわけで。
気になって追うなら、なぜわざわざ深手を負わせるような言動をしたのかな?
向こうにとってみたら、まだ愛しているので姿だけでも追いたい、
なのかもしれませんが、私的には死体を確認されているような気分がしますな。

自分の思い通りの何かであってほしくて
それがかなわないから相手を動揺させてでもなんとかしようとしたんだと思うけど、
それは心のトラウマとか傷を持った人の克服すべき甘えであって
完結する場所ではないと私は思います。

人を変える前に自分が変わらなければ。
主人公が魅力的でない物語は物語として成立しないと仮定したら
なおさら人生の主人公である自分を磨かない限り
自分のシナリオはおもしろくは出来ないのです。

さてDMのこり770枚の束を前にして、
さてこれを何処におこうかと思案する次第です。
ライブハウスアピアさんが配布に全面協力してくれていますが
やはりその一箇所だけでは申し訳ない。

できれば、信頼できる人に託したい、そう思うわけです。
さてそれをどう見つける?
とりあえず、こういうときは自分を変えます。

自分の人生のシナリオをより強化するため
私が変えた思考はこうです。

「いい作品」といわれることで納得するのはもうやめる。

いい作品、いいライブなんてじつはあふれ返ってる。
「よかったよ」って言葉は案外口に出る。

だけど、自分だけの宝物にしたいといわれるのもまだ甘い。

欲しいのはたった一つ、
誰かに伝えずにはおれない何かであること
伝えずには居れない何かをつくること。

それさえ出来れば、あとはどっからだって這い上がれると思うのです。
投下する場所さえ間違えなければ。

つまり一言でいうならそれは、躍らせる、ということなんだけど
そのことが魅力的だと思うのはその行為が上手いとか下手という価値観から
絶妙に離れていると思えるからです。

起爆できない作品に意味はない、
射抜けない作品に価値はない、

頑張ったからいいじゃんなんて慰めはほしくない。
日本にいたら頑張ってるやつなんて腐るほどいるんすよ。

人を一人も躍らせることが出来ないまま人生を終えたら
たとえそれが自立してようが人として愛されようが
私の人生は敗北です。

一生ゴク潰しでも、たった一度でも展示やライブに来た人間を
誰かに伝えるために走らせられるほうがいい。

さておいらの展示はどうなるのか、
不気味にあせりのない自分のポテンシャルとの自問自答がはじまっています。

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2007年1月28日 (日)

池袋サンシャインシティ12:35、マックで経験した俺の本当の気持ち。

誰のものにもなれない存在のオリジナリティを維持しているのをわかっていながら
同時に誰かにすごく束縛されたいと願う生存の相反する心理の果て
たまりかねた俺は人差し指の第二関節をかじりながらマックに向かう旅にでた。

チキントマトのバリューセットのポテトを口の中に三つ折にしたまま
無言で放り込む俺の隣、ティーンエイジャーの女の子の財布にはたくさんの文字が
マジックでしめされていて、よく読むと歌の歌詞みたいだった。

あいがなんとかいっている
それがどうとかかいてある

少しだけポテトをかじるペースを緩めて
数日におこった心のゆれを思った。

ことばには出来ないけど確かにくっきりと存在するもの
言葉になっているけど存在の薄いもの

その相反する二つをくっつけたくて俺は気分に合った現実をたべている、
そんな気分になったまま、バーガーからトマトだけを唇でひきぬいて食いちぎった。

必然なんて所詮、押し殺せない空腹くらいにありきたりなこと
食べるものを選ぶのは俺らの気まぐれ。

昨日ふらふらとさまよった六本木ヒルズの「笑い展」を思い出した。
ヴィデオの作品のカベに数ヶ国語で概要の説明が手書きで書かれていた
誰かの作品をみたとき、言葉を尽くさねばならないほどの大きな不安を
感じ取り目をそらした。

実はテキストを書くのは得意だ。
なぜかこのことが自分に経済的利益をもたらしたことは一度もないんだけど。
大学時代に何処までも自分の作品を語りつくせる私を
気持ちが悪いと誰かが言った。

でも時間が経過するにつれ
作品をテキストで補足するのが馬鹿馬鹿しくなった。
テキストをかいて絶対に守らなきゃいけないほどの不安がなくなった。
まわせばいいんだと思ってる。

見て何かを感じた奴が自分の中のまわされた思考回路の中で
であったことのない自分に恋して踊ればいいんだと。
テキストは奴らがそれぞれに書くべきだ。

現代美術のなかで強烈なポジティブを凌駕する勢いで台頭する不安の確定より
言語を超越するくだらなくアングラなポジティブに俺は自分を賭けてる。

でもそんな自分は家を求める純粋な希望から
視線を0.5度ほどずらして生きてきた気がする。
お菓子の家が幻だったとき
パンの道が小鳥に食べつくされてしまった絶望に打ちひしがれて飢え死にする
恐怖から逃れるために家なんかないと言ってきた。

お菓子の家が幻想で道しるべのパンが食われたら
地面にはいつくばって木の実でも草でも土でも食べればいいのに
そのみっともなさから逃げてきたんだとも思える。

たぶんウサギを捕まえて、友達に「まずい」といわれながらも
「かあちゃんウサギ料理上手だった。」とかってデタラメでとんちんかんで
でも明るく笑うそんなダウンバイローみたいな切り替えをこれからは
求められているような。



........たぶん、どうしようもなく恋をしている。
感情的に引き返すことができないくらいに。

みっともなくて嫌になる。

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みるに見かねてVivienneコミュができる。

Vivienne.A.Kondo
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1795063

ミクシイユーザーさんしか入れないコミュですいません。
昨日の日記で一念発起した友人が作ってくれました。
ライブとかBuster Chatとかそのへんも含めた感じです。

彼女にとってはじめてのコミュ制作だったそうで
ずっと一人だとつまんないから一ヶ月たっても盛り上がんなかったら
削除していいか?という条件に口頭ですがオッケーしての立ち上げです。

あと、参加者が100人いったら一時加入してご挨拶しろと
いわれました。一応契約上、管理人には絶対服従です。
あと、彼女は私に熱烈なファンがあらわれてきっちりトピ立てや
更新をするようになったら身をひくそうですよ。

木版画家こんどうあやコミュがけっこうきっちりめなのと
私が一時入ってたことで馴れ合い度が増しちゃって皆が沈黙しちゃたので
今回は馬鹿なトピックをつくってもらって介入は控えることにしました。

Vivienne語録とか、そういうねたっぽいトピです。

Vivienneと疎遠になったひとなどですね、
忌憚なく感想などかいていただければ。

.......しかし。

なんか最近とまってるんだよね、私。
どーしちゃったんだろう。

なんか鬱だわ。

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2007年1月27日 (土)

イチモツ論争。

電話番として勤務している私の会社では私と所長が背中越しに
向かい合って日々会話を交わしています。

たとえば、こんなの。

「ああ!もう疲れたよ俺!!」

「どっきーーーーんΣ(*。*;ノ)ノ 」

「仕事多くてやんなっちゃうよもう。」

「しょ、所長、大丈夫、大丈夫ですってば。」

「......うん。」

なんて感じなので、最近私は
これって電話番というよりむしろ..........癒しっ子?
.....という疑問が隠せなくなりました。

ちなみに所長は私が木版画家で弾き語りをしていることも知ってますが、
たぶん、というか絶対つじあやのかなにかと間違っています。
少なくとも、ライブ中にGO TO VAK!とかコールされるとか
シド meets  琵琶法師とかいわれてるなんて思ってないはずです。

ちなみに最近皆さん
「あんた、なんか入ってるよ。」といってくれますが、
トイレの花子さんじゃありませんからあしからず。

さて、そんな所長と遊園地の話になったとです。

所長曰く
「男はたいてい遊園地のジェットコースターが苦手だ。」
という仮説を論じはじめました。

「あ、なんかそれ知り合いも言ってました。」
と、私。

「なんかね、あの、独特な浮遊感がダメなんだよ。
 小さいうちはいいんだけどさ、男として成長していくうちにどうもね....」

「(^ー^* )フフ♪おもしろいですね。」と、ハミングな私。

しかし、何故か背中越しに納得してない所長の雰囲気が消えません。



........5分後。




「変な話なんだけどさ!!」
と沈黙やぶって所長

「あ、あい」

「男には股間にぶら下がってるものがあるでしょう!それが横行ったり
上行ったりすると収まりどころが悪くてどうしようもなくなっちゃうんだあ!!」

「は、はひい!; ̄ロ ̄)!!」

なんか、伝えきれなかった核心の大本を語ったことですっきりしたのか
所長はもう何も言わなくなりました。(てかいわなくていいだろうそんなこと)

所長には静かな金曜日が戻ったのですが

私のもんもんはこっからスタートさんだよ!!!!

なぜなら、
私の脳裏にはしっかりと新たな仮説が刻まれたからです。

「ジェットコースターで所在を意識しなければならないほどの所長のイチモツって
...........よっぽどデカいんじゃ?」

しかし、
「それって所長のイチモツがでかいってことじゃないんですか?」

とクールに聞いたところで、そのあとのフォローが浮かびません。

たとえば酒の入った席であれば
「Vivienneさー、俺最近眠れないんだよ~。」
「じゃあ抜けばいいじゃん。

とかいえますけど(いってますけど)、ここは酒の入ってないオフィスです。
で、しかも背中越しに5分以上前の話題で
「きっと所長でかいんですよ。」とかいったら

A「きっと近藤さんは僕と寝てたしかめたいんじゃなかろうか。」
B「近藤さんはかなり淫乱なのではないだろうか?」

とかこの辺の疑問をもたれるのを避けられません。
Bは年頃の淑女としては否定もできないところではありますが
聞きたいのは物理的感覚の興味であって
単身赴任で上京してる所長を誘惑するつもりはなかとです。


で、.......聞けませんでしたっ!!!


あー悔しい。
悔しすぎて事務所でハイトーンボイスでお茶くみ女をしている自分のキャラを
若干恨みました。

でもって気になって考えすぎて昨日はメイクも落とさずに寝ました。

このブログの読者の紳士諸君、
ホントのところどうですか?

Vivienne姐さんの日曜日の円滑な制作のために人肌、じゃなかった
一肌脱いでくれる漢なコメントをお待ちしております。

ちなみに、オトコ断ちして30歳までに100人ライブって目標ぬるいので
29歳のうちに100人ライブに改めようかと思ってます。
このほうが厳しかろう。

とりあえずはミクシイに版画家こんどうあやコミュじゃなくて
Vivienneコミュもたちあがるまで頑張ろう☆

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2007年1月24日 (水)

このブログの読者さん、お元気ですか?

史上最悪な困ったチャン、Vivienne☆です。

みなさまお元気でしょうか?

最近なかなか日記かけないんですけど
相変わらずかわんないアクセスに驚きを隠せませぬ。

でね、ちょっと質問。
このブログ読んでるみなさんってどんな方なのかしら?
コメント欄二・三日あけるんでよかったらコメント書き込んでくださいな。

私もできたらお返事します。
疲れてなきゃですけど(笑)。

これは純粋な興味でございます。
カキコしたからってウイルスはこないです。

まあ、ミクシユーザーさんいらっしゃったらこの機会に
マイミクしちゃおっかな♡

では面倒でない方カキコどうぞ。

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2007年1月21日 (日)

クリントなパイメイ、マギーな俺。

最初の言葉は「どうも。」だった。
彼いわく、屋台を通り過ぎる私の笑顔が素敵だったんだそうだ。

挨拶の関係を破ったのは
「今日は楽器を弾かないの?」の一言だった。
まだ私のギターが仇討ち六弦だった頃にこうして私たちは親しくなった。

彼には娘がいる。
私と年が近いくらいの。
でも会えてないらしい。
なんとなく私に娘の影をみてるのかもしれない。

はじめてのデモを聴かせたのは彼だ。
スタジオのろくでもない録音をCDに焼き、
曲順をふって彼に渡して練習に行った。

たこ焼きを買いに立ち寄った帰り道は、
まるでラブレターの返事を貰うみたいにぎこちなかった。
六個のたこ焼きをつめて受け取るまで一言も触れない彼に
「まだ聴いてないのか.....」と思いながら屋台を通過するその時
背中越しに彼が言った。

「録音レベルが」
「!?」

「録音レベルが小さすぎるんだよ、ミキサーいじってボリューム最大にあげな。」
「聴いてたんですか!」
よく耳をすますとラジカセから聞こえるのは私の声だった。
店に引き返すと彼が言った

「いいか、アーティストには根本でモデルケースになる奴がいる、
 キミの場合はおそらくジャニスだ。彼女の歌い方にはかわいいさと激しさの落差が
 あるんだ、だからそれを聴きこみな。そしてオープンコードを覚えるんだよ、
 朝陽のあたる家って曲がある、アレがいいと思うぜ」

「パイメイ!」

とてもたこ焼きやと客というシチュエーションにそぐわない
そんな会話で、僕らの関係はちっとばかし師弟愛にめざめた。

そして、17日。
はじめて彼を呼んだ。

おすすめの朝陽を浴びる家を全く練習せず
我流ですすめた女武士道を彼がどう認知するのか
私としてはちっと不安ではあったが
結果は前回の日記のとおり。

彼は笑顔とたった一言でぎゅっと握手してくれた。
「頑張ったな。」
私は、笑顔でうなづいた。

なんとなくミリオンダラーベイビーを思い出した。

お礼参りのたこ焼き買いにいくと
彼がおもむろに感想をのべた。
で、エレキをやめてアコギに持ち替えピアノを立って弾けという。

この辺が
MY WAYといえばフランク・シナトラな彼と
シドヴィシャスのわたしの大きな違いがある。

でも、レイチャールズの衝撃みたいに心に届いた
という言葉は嬉しかった。

どんなに意見が違っても
言うことを守らなくても彼は私にとっては心の師匠だ。
なぜなら彼は、表現からこころを汲み取ってくれるから。

彼の言葉で忘れられない言葉がある。

「善意を疑うんだぜ。」

「いつだって善意を疑い続ける旅なんだよ、表現は。
 それは辛いことだがアヤチャンはできるかね?」

それを聞いた翌日、私は彼の好きなピースを買ってさらに教えをこいた

「善意とはなにか?
 キミにとっての善とは必ずしも誰かにとっても善なのか、
 それを問い続けるということだよ。」
それなら出来ると思ったのを私は今でも覚えてる。

いつも、ギリギリになるまで待っている。
今からやろうということが善でも悪でもなく
自分にとってどうしようもないの一点に集約されるまで。

どうしようもないんだ、
どう思われても
どんな結果になっても

言わなきゃどうしようもないんだ
唄わなきゃどうしようもないんだ

その一点に経験と人生と感情と思いの全てをぶつけていく。

おとといのライブで、栄東さんという人が
「音楽と自分の密着度」という言葉をつかっていたが
私にとって音楽とは生き様の露出に他ならない。

アピアのスタッフさんは私を「来るべきしてきた女」といった。
次は2/16(金)だ。

もしあなたが何かを感じ取りに来てくれるなら私は待ってるよ。
全力疾走でお迎えするぜ。

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2007年1月18日 (木)

残り二曲で5弦がぶちきれる。(画像込み)

P1170121

















Photograph By Yoshito Iwakura http://lezarakus.nobody.jp/

ロックンロールは転がり続けることだと人は言う。
でも前に行かなきゃ意味がないだろ?

ロックンロールを前に転がすためには明確な意思がいるんだぜ。

これをよんでるアンタはこれから這い上がりたい私みたいな人かもしんない、
ひょっとしたらすごくエライ人かもしれない。

でもおんなじように私は問う
アンタは誰に何をどんな風に伝えたいんだよ?

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今日はリハーサルの段階でギターのトーンをあげろと言われましたが
トーンの場所がさっぱりわからなくて戸惑っていると
オーナーに「ギターの四つのつまみくらい覚えてからこい!」と
怒られました。

しかたないのでPAのお姉さんは私がどこをずらしても元に戻せるように
全部全開にしてくれました。
すばらしい解決法です。

今日はお客さんがお客さんを呼んでくれたりして20人入りました。

で、ライブ。
実は調子が悪かったんです。
てか練習不足って言ったほうがいいですか?
曲の順番が決まらない
今までちゃんと演奏できた曲でも変な方向に指が動いてしまう。

これはどうしたことよ?と思いながらも
直前までこの状況でも出来る曲を選んで組みなおし。

それが功を奏したのか結構順調だったのに......




........弦が切れた。




おいらのキメの一曲が途中で変になったなあ....と思ったら
弦切れてんだもん。アタオタしてたらバンド経験者では先輩のるっぱちゃんが
すかざず助けてくれました。

もーしょうがないので アカペラでラストの一曲を唄ってやりました。
で、画像がその衝撃のシーンです。
歌詞を覚えるはずが、歌詞プリント入力中にみてたサンプル動画サイトに
はまってしまってすっかりダメダメだったので紙貼ってます。

はーしかし、
この曲「金がほしい、金をくれ」と連呼する曲だったんですが、
一番メッセージがストレートな曲だったので
ノイズでとばしたかったんですが結局一番主張してしまいました。
かっちょわる~。

しかし、帰りの精算でイトウさんがいいましてん。
「次のVivienneの対バン、みんなかっこいいよ、
 Vivienneもかっこいいしね。」
いやあ.....といいながらも嬉しかった。

そして彼はさらにまっすぐな目で言ってくれた。
「頑張ってよ、
 俺、Vivienneのことすごく応援してるんだから。」

自分が本気で続けていきたいことの価値を信じて応援してくれる、
そんな人がいることの深い喜びは言葉にするのがホント難しいけどうれしい。

今日はパイメイも来てくれてたんですが
私が挨拶すると、ただ無言で握手してくれました。
熱いよ、熱い。

そして帰りはウルトラのイクルファミリーと
タクシーコースでゆるゆる飲みながら、音楽などについて熱く語ったのでした。

で、その熱血な語りの結論が一番上の言葉になったりしてます。

人が頑張れといってくれる私のポテンシャルの価値を私は今自覚できていて
そしてその応援をプラスに流せる自信はやっぱり一年間強制休眠した
たまものでもあると私は思うの。

いつも辛くて逃げたくなると
カッターを伸ばして首に当てて問い続けた。
「どうした?死にたいんだろ?だったら右でも左でもいいからひいてみろ。」
そして動かない手を確認して、じゃあこのまままだ生きて行こうぜと
ギリギリの会話を自分とし続けたからこそ信じられる自分の価値。

そしてPCあけたらK沢講師正式着任しないかという打診の?!のメールが!?

.........俺の時代が来てます、もう勝手に信じます。

近藤彩第○章、
Vivienne A Kondoのページが今まさにおもしろくなろうとしてます。







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2007年1月16日 (火)

明日はライブという名のお遊戯会。

明日はアピアの定例ライブです。
とはいえ今月はよく倒れたし微熱をだしたし
酔って吐いたのでほとんど練習してないのに

新しい曲を空間で試してみたい、
という欲求があって結局練習してもそれやんないから
無駄だったジャンとかそんな感じです。

記念すべきことは
全てのきっかけになった拾い物ギター御上壱号が帰ってきたことです。
明日つかってみよっかなと思ってます。
ハコ、アコギ専門ですけど。

別に新曲発表して客を沸かせたいとかそういうわけでは
なかったのですが
結果的にほとんど前回と違う曲な感じです。
気分を追うと。

さて、大声だし過ぎないように弾こ。

1/17(水)18:30~
渋谷アピア 前売り2500円、当日2800円
私に明日の午後3時までにいくといった人は前売り。
それかハコに03-3464-9590

http://apia-net.com

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2007年1月14日 (日)

我が人生のハードコア。

しばらく日記を休んだのは、
今回の生理期間の体調不良の余波と呑みすぎです。
久々にやられました。

呑みすぎたのは現代美術のアーティストさんのスタジオにいって呑んだからです。
人の家はおろかスタジオなんてほとんど行かないのですが
なんかね、作家さんのスタジオって希望のにおいがします。

ここであの作品ができているって感覚は
想像の根本っていうか、内側からなにかを感じ取った気分になるんですよね
ちょっとしたトクベツな感覚というか。

サンフランシスコのMOMAにいって再確認したんですが
アンセルムキーファーの作品が改めて強く好きです。
かれの言葉も土くれもメタルも全部ひっくるめて展開するおっきい画面は
いつも厳しいのに希望のにおいがするんです。

希望ということはいつも私の表現の根本をなしています。
それを目指している感覚があるから
ネガティブな自分を吐き出せる。
そこに到達したいという走る気持ちが、その過程でそがれ落ちていく
ものを具体的に描写することを許してくれる。

でも、同時進行でそれを自覚すればするほど
自分が現代美術という領域からどんどん離れていくのを感じます。
少なくとも私はこの領域で生きていこうとする立ち居地意識を
棄てるのではないだろうか。

大きい作品を作ること、いやそれだけがすべてではないのですが
自分の作品に高い値段がついてその価値を認めてもらうってこと
その場合の客層とかが今の自分の実感から遠いのです。

たぶん私は自分のファンという人、友人
そしてキッズを愛しすぎているのだと思います。

彼らの手にいかに届くか
彼らのすぐ近くで存在するにはどうしたらいいのかな?
そればっかり考えています。
おそらくそれは、自分が過去に引きこもってしまった5日間の中で
CDと雑誌のなかのかっこいい人たちの中に希望を見て
精神的に生き延びたという経験が強く刻まれているからだと思います。

私は賞に応募することがほとんどありません
と、いうのも昔応募して落選した展覧会の入賞作家展をみたときに
その作品たちが著しく審査員の作品に似ていたのを見て
失望したからだと思います。
賞歴は、大きな武器になると知りながら、
一部の人間の価値観の中で自分の優劣が決められることが
どうしても納得いかないのです。

そう認識してしまうと、もう賞の審査をうけるということが
へりくだるということとしか思えない。

でも逆に同じ審査員がいながらアカデミーとかグラミーなんかが好きなのは
たぶん大衆に提示されたセールスという具体的な結果があるからでしょう。

私が東京で展示しても
それは一部の人間しかみないものであるかもしれませんが
自分が望んで納得できる環境で出来る点でマシです。

PUNK attitudeというDVDの最後のほうで
インターネットっていうのは最強にPUNKだといった人がいました。
自分たちの手で自分たちの世界をつくれるという点で。

自分が来てくれたらいいなと思う人に50円の誠意で葉書を送り
本当に必要だと思う人は検索して自力で調べてよと吐き棄て、
そして私は自分の作品がMAXのテンションを維持した状態で
世の中に出るようにケアしながら
その作品が人を惹き付けるチカラをつよく信じるのみです。

ホンモノなら、
たぶん、人に教えずにはいられないはずだ
ホンモノなら
人をひきつけるはずだ。

非難であろうが、賞賛であろうが
人を躍らせればこっちの勝ちです。

人は所詮作家の本質はわからん。
語れば語るほど、知れば知るほど自分の中でのその作家の
立ち居地のポジションが明確になるだけなんだからさ。

毎日、毎日、言い聞かせます。
朝起きて、顔洗って、道を歩いて、そんな瞬間の刹那に、

「俺はVivienne.A.Kondoという領域において
最強の女霊媒だぜ、ただ思い出せてる領域が完全じゃないだけで。
そして自分に対する追い詰め方は誰にも負けやしないんだ。
だからどっからはじめたって上り詰めることが出来るんだ、
それを狂信的に信じて
時に有言実行というリスクを使ってでもヴォルテージを上げ続けてやる。

そのためなら過去の経験でも
信頼にたる人間が与えてくれたものでも何でも貪欲に使い続けるんだ。
少しでも前に行くために。ただそのために。」

それがマサヒロCEOという不世出のクレイ爺の末裔としての血族意識であり
私のハードコアなんだと思ってます。

スリップノッドとかではなく
もしくは本番上等のハードコアポルノではなく

自分の中心という核を鍛え上げて立ち続けるそういうハードコア。
だからこそ私は
モハメドアリみたくノエルギャラガーみたく
ハッタリ続ける人生を選んだんです。


はっきり言って負けやしねえよ。

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お笑い、センス、そしてOZMA。

二月最初の展示に誘ってくれたリタ・ジェイさんのお笑いライブに
行ってきました。

実弾生活というドラマ仕立てのショートコント集?以来
お笑いというものを経験するのが二回目だったのですが
おもしろいですね。

スピードとリズムとテンポの万華鏡というか
間合いと展開はルービックキューブのようだなあとオモイマシタ。
一つの言葉、一つの態度、一つの行動、
一瞬に同時に引き起こされるいくつかの事象から一個の要素を
選び出して、自分の中にある過去のデータの何かと共通点を
見つけてジョイントして現実世界に言葉やアクションでひきづり出す
それの繰り返し。

ネタの前フリの状況説明は長すぎても省略しすぎてもいけない
けど同時進行でお客さんも意識する。
観られてるけど、頼らない、つまり
決してみのもんたみたいにお客さんの一人に話しかけて巻き込まず
観られているのを意識しながらも自分たちだけのトークで展開し続ける
という状況の切迫感。

お笑いも結局センスなんだと思いました。
オーバーアクションすればいいわけではなく
間をとればいい訳ではない。
客層の認知とか感覚を読み続けるという瞬間的な緻密さは
何度も触れなければ、サブリミナル的な感覚で忘れ去ってしまうところであります。

ちっとこの辺であのネタについて書いてみるか。
DJ OZMAさんです。
その日、私は格闘家の背負う業に酔いたくてK-1しか観ておらず
問題の年越し大目玉映像は翌日に
律儀な記録家である母のヴィデオストックから拝見しました。

目からうろこが落ちました。

と、いうのも
リリーフランキー氏の「日本の皆さんサヨウナラ」という映画エッセーを
読んだときに彼が、映画内での女優の乳首の露出加減についてあんまりに
言及するので、公共におけるエロの基準は乳首なのかなという
仮説をたてて検証の機会を待っていたんですよ。

最初の映像自体は、やるな、さすが翔やん、
と思ってました。

実際の女性の裸は電波に流せない、
という公共ルールを、では裸っぽいなんかに切り替えるという
視点のずらし具合に彼のセンスを見た気がしたんですよ。

でも抗議が起きたということは
やはり問題は「生の裸体ではなくて乳首だった」、
という仮説の立証になったと思い私はすっきりしてたんです。

でも、どんどんエスカレートするにつけ疑問が出てきました。
なんで厳重注意なの?
電話って、たった1000件だよ?一億以上いる人間のうちの1000人だけだよ?
なーんて私はおもっちゃってました。

その前の年の紅白での氣志團が他の歌手のバック演出などに参加して
積極的な盛り上げに徹していた姿を見てた分、ちょっと不憫にもなったくらいです。
彼の功績はそこまで今回の1パフォーマンスで帳消しになるものなのか?と。

もう夕方六時にテレビ東京で
まいっちんぐマチコ先生の再放送を観られない時代になってるみたいですね。
あのベルサイユの薔薇の再放送でさえ、
後半オスカルとアンドレの裸のセックスシーンを何度も流していた時代
私たちは猛烈な勢いでテレビを消す親から
セックスが今はタブーらしい、と認識しながらも、
でも一方で休み時間にクラスの男子が盛り上がる
エッチシーン話に参加して給食たべるというおおらかな
小学生時代をすごした私は疑問です。

何が変わったんですかね?

岡村さんも高野連となにやらあったようですが
ついに逆遺憾を示した彼の報道を見て
時代はなんつーか俺たちのものを俺たちの基準で作る
というレジスタンスの時に差し掛かってる気がしてます。

だからこそ、
小劇場で展開されるトークライブの間に
ちょこっと垣間見える彼らの熱さが
たまらなく私は欲しいと思うのかもしれません。
.........楽しくなってきました。

と、いうわけで、第三回を楽しみに待っています。

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2007年1月 9日 (火)

すべてはKIDSのために、KIDSは未来のために。

ここ二年、大きなストレスは
ルーズなくせに生真面目という性格をうまく共存できないことだ。

人のメールとか送るものも最近は特にきちんと送れた試しがない。
例のごとく、ギターももう5日以上まともに触ってないんじゃなかろうか。

まさしく、信用をまもるとかなくすこと以上に
適したタイミングでなにかを送るという価値の方が先行している。

技術力をあげるよりも精神性を鍛えるほうが優先され
本当に切迫したときしか本気で何かをやらない。

自分の意思でそうしたわけじゃないけど
なんかそうなっちゃっている。

今日はそんなことも取り留めなく「すらくかん」さんと話してきた。
なんとなく夢を語りながら
こういうときは霊媒ではなく、霊媒に理解はあるけど
きちんと人として生きている人と話すのが一番だ。

自分のスペックを武器にして社会にどう切り込むかという戦略を
お互いを鏡にして語るのはとても楽しい。

現代を生きるアーティストは、
金銭的にも成功するのも大事だと思ってきたけど
飽きたのであきらめた。

今はどうやって一つでも多く
自分の納得いく作品を残すかということばかり考えている。

今の未来の姿のゼロ地点は
親の墓の前で土下座して謝る自分である。
「一財すべてなくなりました、申し訳ない、
でも作品は納得いくまで残しました。」
といえるために今どうしたらいいのか。

親父と喧嘩になったのは
父がこの考えを悲観的だといって理解しなかったからだ。
でも、成功、とか繁栄で考えるよりもこっちのほうが思考がシンプルで
疲れない。
だから精神的にかかるいらない負担は極端に避けることにした。

どんなに著名だったり成功できる可能性がある人でも
人間的に信用できない人はもう付き合うのはやめることにした。
宣伝活動もものすごく控えている。

ホンモノを作れたなら人が騒ぐはずなのだ。
それがないなら所詮誰が何を褒めても駄作だと思う。

ただ必要だという人に必要な形でちゃんとそれが届いているかに
気を配ることは大切だと思うけど。

それと、どんなに神の領域に触れようが流れの存在を知ろうが
人としてあがくのをあきらめない、と決めた。
鬼をみたら鬼を殺し、仏をみたら仏を殺すのだと誰かも言っている。

ただとても難しいと思うのは
作品作りということが、野球みたいに一年に何本ホームランを打つとかいう
具体的な価値ではかれないことだ。

でも私はそれらが希望というカタチで残ることは望む。
「俺でもできるかも知れない」とか
「あんなふうになりたい」とか
そういう距離感でたたずむもの。

と、同時に
おんなじようにやったのにVivienneみたいにはどーしてもできない、
という完成度。

でも結局のところ、
私は自分が唯一無二で「あること」と
唯一無二で「ありつづけること」とその感覚を感じ続けること以外の
何物にも興味がない。

俺はVivienne Aliceというポジションにおける最強の女霊媒だぜ?
他の追随なんか許さねえよ、と
言い続けるために今日も意志力を鍛え続けている。

すべてはKIDSのために、KIDSは未来のために。
本当の自己愛を知っている人は未来を夢見る価値を知っていると思う。

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2007年1月 8日 (月)

ベイビーとその父。

正月明けのパイメイは私のデモに入っていた
女武士道という曲を何故かすっかり気に入ったらしく正月休みを利用して
会津藩の女武士についての本や武士道に関する書籍を
よみあさったという。

そんな彼の今年の目標は
「時代に反抗してローテクに生きる」とのことで
「俺も自分の武士道を貫くんだ」と張り切っていた。

最近のパイメイは
パイメイというよりDMCのシゲおじちゃんと化しつつある。

と、同時に
一回もまだ間違えずに弾けた事のない曲が一人の人の人生に
露骨に影響している様をみて、音楽というものの破壊力に
今さらながらに感心した。

その後。
母とほぼ同内容のメールを父に送った。

一時間ほどして、
父からメールが届いた。
その時私は、ただ黙々とギターを拭いていた。

そこにははっきりした文体で
「自分を守ることは何よりも大事だ、そして自分に限界が来たら
 きちんと吐き出すこと。」と書かれてあった。

そして
「小さいときにつらい思い出を作って申し訳ない」
と書かれていた。
28年にしてはじめて言葉にされた謝罪だった。

それを求めた、わけでもなく
必要であると思ったわけでもなく
かといって
あきらめたわけでもなく

でもただ、心の何かが解けていくことがわかった。

「コドモが元気で幸せでいてくれることが何よりも大事だ
 そして聞き流してくれればいいよ、私たちは私たちでのんびりやっていくから」

と二つ目のメールで書かれているのをみて
自分に対してホームドラマでしか見たことがなかった
親の愛情なるものを具体的に認識して
結局ギターを拭きながらダラダラと泣き崩れた。


父は、不器用だったのだ。


ただ、かっとなって言い返しただけだったのかもしれない。
この流れいった歳月が私を変えたように
父も変わったのかもしれない。

と、同時に
パイメイは避けようとしてるけど
ハイテクだからこそ聞きだせる本音ってのもあるんだなと
思った。

勿論、
人と人が直接会話して得られるインパクト以上に勝てるものはないけど、
でもそれをしようとするあまりに負担になって先延ばしにして
そしてついには永遠に機会を失ってしまっていたなにかを寸止めして
ちょっとだけ前進させてくれる力をこの機械的な文字列は持っている。

逃げ出すくらいなら、ちょっとだけでも前に進んだほうがイイに決まってる。

この家族を守るのだ、という幼い日に心のこぶしを握って
決めた心の任務がゆっくりと終わるのがわかった。
自分の中心にいる子供がただのコドモに帰っていく。

と、同時に
「ざまあみろ」
と思った。
泣いているのに同時にニヤッとして
「ざまあみろ」
と思った。

ざまあみろ、逃げ腰スピリチュアリズム。

俺は御上に解決してくれと言わなかったし
親父の本心をカードでもみなかった。
占われるチャンスは何度も転がってたけど頼まなかった。

自分の本心を伝えること、そしてそれを素直に伝えたことは
御上が私にそうしなさいと伝えたことではなく
自分の意思でしたことだ。

ちょっと自分を褒めようと心から思った。

心の重荷が深くてもつらくても
解決できる可能性を信じ続けることから人は逃げてはいけないのだ。

たとえその重荷が自分に辛すぎて人にこぼすとしても
そこで満足したり、それを解決法としてはいけない。
いつかは自分でその問題を解決することをあきらめないこと
どうしたらいい?と問い続けること。
自分の本心でも、御上でも。
最終決断をする権利を、自分以外の何者にも委ねないことは何よりも大切だ。
決断する権利を失ったとき、人の心は本当に堕落にむけて転がり始める。

人に本心をつたえなければどうしようもならないなら
手段がどうであれそこから逃げてはいけないのだ。

カードや名前を見て、もしくは流れに向けて意識を飛ばして
人の心をみるのは簡単だ。

でもそれらは
実際に本人に尋ねたときに聞く本音のインパクトを超えられない。
それがどんなに正答率が高かったとしても。

それは作品と価格の関係に似ている。

12万の作品は、12万で売れるまでは本当にその価値は発生しない。
たとえどんなに他のひとがその作品をみて、
「この作品は12万の値がつくだけの価値があるよ」
といってもだ。

「12万で買われる価値があると思う」、は
「12万で買われた!」という事実以上の説得力を持てない。
まるでスパーリングが実際の試合の興奮に勝てないみたいに。

だから人は時に魂が受けるべき正しいインパクトを求めて
占い師に読んでもらった人の心をわざわざ確認にいったりするのかも
しれない。

そして同時に、わかっている自分の本心をわざわざ言語化して
もらうために占い師に会いに来る。
只の思いではなく、言葉として発せられた事実とするために。

だとしたら私は
人が自分の力でアクションを起こす事を決定的に
後押しする鑑定者でありたいとこの一件をとおしてつくづく思った。

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2007年1月 5日 (金)

今日ほど、

自分がロボトミーであったらよかったと思った日はない。

考えた結果、出勤前に母にメールをおくった。
実家にいるとき、
実はもうすぐ祖父の誕生日で、8と8が並ぶ歳になるので
珍しく母が誕生日に何かしたいと嬉しそうにいっていたのだった。

帰ってくる?

と聞く母に「余裕があれば。」とだけ話した私は
今日その回答をした。

キャパをこえて思い出したくなかったことまで思い出してしまったこと
結果として実家にむかわなければと思えば思うほど
吐き気が未だおさまらないこと、だから多分無理であるということを
簡潔に打った。私はストレスから自分を護る道をとった。

母から留守電が入った。

か細い声で何度も「ごめんなさい」と言っていた。
只ふがいなく情けなく、通勤途中の晴れた空の下で涙を拭きながら歩いた。

つらさをわかってくれてありがとう、
というのではなく

どちらかといえば
聞き役という役割から逃げてしまってごめんなさい、
という感情に近かった。

帰宅途中で年始のたこ焼きを食べながら
パイメイにもしかられた
それは女武士道にしては己の殺し方が足りないと。

母の笑顔と、
彼女はどうしているか?という思いと
このあと彼女が自分の感情のこぼし場所を永遠に失うのではないかという
思いと恐怖と後悔で胸が痛んだ。

自分の体調とか精神とかそういうことを守ろうとした自分の意思を
憎んでしまった。こんなものなきゃいいのにとも思った。

もし、
私がロボトミーであったなら、

もうこれ以上はとかって何度も中途半端な拒絶を起こすことなく
飲み込めるギリまで言葉を飲み込んだ限界で破裂できるのにな、
とおもった。

私のこの立ち位置はひょっとしたら
家族が自分たちでぶつかって対話する機会を奪っているかもしれない
もしくは我の強い家族を崩壊からギリギリで護っているのか、
どっちであるか100%の回答はない。

ただ今は自分の自我が邪魔でかつ
私が徹底した聞き役であればいいのにそれがしきれなかった弱さに
うなだれる心理の方が勝っていて、
この秩序が護られて50代の両親と80代の祖父の人生が肯定できるなら
自己犠牲を払えたほうがよっぽどいいじゃないかという心理のほうが言葉に出来る。

なぜなら私の才能とか六力云々よりも「血族」という関係は
具体的にカタチをもってここに存在してるからだ。

10代後半から20代前半は
これ以上お互いの都合で私の意志を殺さないでくれと叫んでいた私が
自分をいかに呈して親の人生を幸せだったと言わせる手伝いができるのか
ということで悩んでいるのが不思議だ。

私は最後には曲がりなりにも親に
いい人生だったと言って欲しいのだ。

こういうとき本当のことというのは
白と黒のどっちかの100%とかグレイゾーンとか
そういうものではなく、ただどちらに実感があるのかという
シンプルさに立ち返るのだなとつくづく思う。

本という字は
木を斧で倒して加工した結果できる書物そのものと同時に
斧を木に当てた瞬間の深い手ごたえをあらわしてホンモノという意味を成すと
思えば、漢字のいかに深いかということに感じ入る。

うなだれて思いを口にする私をパイメイは笑いながら
「どっちもどれもそうじゃねえ?と俺は笑うよ」と言った。
「こうやって悩んでる彩ちゃんもまたよいのだよ」と付け足して。

確かに、

悩まない人間は好きではない。
だから宗教家とスピリチュアルを自称する輩が嫌いだ。
人は感謝は神に預けても悩みと苦痛は人に相談しても
神に預けてはいけないと思うから。
ひとに相談して助け合うのは人という字の根源的な形であるし
自分で発見したり解決した苦しみ以上にホンモノの言葉を生み出すものは
ないと思う。

しかし、
体が露骨にむしばまれるのはどうかと思えど。
新年は明確な答えもないまま只過ぎる。

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2007年1月 4日 (木)

トラウマにバックブローを食らう。

明日からのバイトに備えて実家から帰宅。
まずは買い物。この町は便利だ。しかし買いすぎた.........
しばらくは松屋と自炊でのりきろう。

吐き気と疲労と倦怠感を帳消しにせんと頑張る。
逃げ出すように帰ってしまったかもしれない実家には連絡をいれられない。

元旦の父との口論は私の自立だとか家族のもろもろ。
父はいう、「お前の生き方は甘えとか逃げとしか思えん」
私は言う「もう六年も頑張った、作ることに専念させてくれ」
たった六年だろうと父は言う。
たったの六年。
職場に勤めては辞めの繰り返し。
私は頑張りたいと願う、偏頭痛がおこる、腹痛が起こる、
友人に相談する、そして医者にかかる。
そばアレルギーを発症する、そして全身を昼夜問わず蕁麻疹が襲う。
あまりの症状に注射を打つほどに肌が壊れる。
アロマキャンドルからマッサージとかいろいろ試した。
でも、もう体がダメだといってるんだと認めたいと思った。
会社でも、頑張っても出来の悪い部類にしか入れないのだから。

でも版画は真逆だ。
版画は、人が嬉しそうに観てる顔を眺められる
国をこえてそれが出来るらしいこともわかった。
ファンという人の声をきいて親も喜んでる。
なにより、
徹夜をしても私の体が長引く症状とかを患うことはない。

だから、一族の財産を食いつぶしても全部作品に変えて生きようとおもった。
墓の前で土下座して、駅前のマトリョーシカのおばはんみたいに
ルンペンになっても、あの日々があったなら後悔はしないといえるために
毎日を生きようと決意した矢先だった。

父の作家以外の収入源を作れと言う言動は
「もっと身体を壊してでもやれ」
というように受け取る寸前の自分がいて、なんとか
思考を深めないように窓の外に視線を泳がせた。

物静かな父の怒りは
婿養子としてこの家にやってきた自分のいたたたまれなさや
やりきれなさの矛先のようにも思われた。
確かに祖父は、何気ない言動で家族について語るときに
父をはずしてしまうことがおおい。
傷つかないわけがないのだ。何も思わないわけがない。

強力な個性を持つ祖父に愛される孫として
家族全員それぞれの誰にも話せない思いを聞く人間として
この状況をどうしたらいいのかと考えるほど
何故か私は実家で寝て過ごすようになり熱まで出てしまう。

わかっているのだ、私で伝言ゲームをするのではなく
家族同士が直接ぶつかって意見を言わなきゃいけないのだ。
でも私はどうしてもかずがいのポジションにたってしまう。

あえてそうしようとしたわけではなく
私には話してとか公言して歩いたわけでもなく
ただ勝手にそうなるのだ。

12歳のころから、私がこころで繰り返していた口癖は
「わたしさえ黙っていれば
 私さえ耐えればすべてがうまくいくのだ」
だったけど、10代の終わりに全部壊れてそれまでの痛みを
だれかれ構わずぶちまけたり、ガスガス腕を切って気がついたら
キチガイとよばれてしまった。

クールダウンした父と二人でむきあってドリアを食べた。
お前もつらかったかも知れないけど、俺は正しいことをしたつもりだ。
なんとなくそんな思いを感じ取る。
けどまだ素直にそれを言ってあげられない。

いっとき父の薬の量が増えたとき、
私は隣の部屋にいたからとても心配した。
なぜなら私はこの人の遺伝子と血を半分受け継ぐ娘なのだ。
私に出来ることは、彼がなにか話したらどんなにつらくても
聞くことだと思っててそれしか出来なかった。

結果的に父と祖母が衝突した日に
私は祖母に腕をつかまれてこういわれた
「おい、お前言ってこいよ、お前は父さんとツーカーなんだろうが」
いたたまれなくなってはじめての家出を敢行した。
18歳だった。

お前が間に入ったから夫婦仲がこじれた
お前はお父さんの味方になりすぎるんだ
お前が繊細すぎるんだよ。

そんなことは当時を振り返って
そして時折、未だに言われる。

誰一人として
聞き役になってくれてありがとうとか
いてくれてよかったとか言う人はいない。
私はただ、たまたま話しやすいポジションにいてただ話をきいたに
過ぎないだけで、別に感謝を求めたいわけではなくて
皆それぞれに幸せになっていてほしいと願うだけなんだけど
私はやっぱり、破壊者らしいのだ。

祖父母になにか買ってもらうと
嬉しいと言う前になんとなく父の顔が浮かんで
この家は普通でないぞって声が心に響いて
私は後悔ばかりした、私はダメになるんだとせめてばかりいた。
小さい頃から定まらない二つの価値観の間をたゆたって
いた気がする。

だから今私は猛烈になにかおごってもらったり
もしくはプレゼントされたら心からありがとうといいたいわけで
今更私はそんなトレーニングをしている。

たった一週間たらずの実家の滞在で
熱が出て伏せがちになって、しまいには吐き気がして
この家で過ごして痛かった記憶ばかりがものすごい勢いで
回転して思い出せれていく中でもう一人の自分がカウントをする
「おお、お前せっかくのポジティブ思考がどんどん逆戻りだな
スゲエな.....てかどのタイミングで連れ出そう?なんの負担を減らさせよう?」
そんな言葉が口をつくまでになってしまう。

最後にはたった一つの幻想にたどり着く
誰もが意識をとめずにいつも通り過ごすささやかなある日に
ピストルで頭をぶち抜いて、真っ白になる自分で
それがたぶん私の最後だという甘美な幻想。
どーーーーーーしてもここに帰ってくる。
この幻想のやりぬいた感じを前にしては
家族に囲まれて幸せな最後とか、そんな来るとかわかんないなんかに
置き換えることなんて出来ないのだ。
そして曲がりなりにもアーティストとして存在してる以上、
前者みたいな最後を深層心理で望まれてるのも感じとる。

・・・・・・うっかり自分にとってピストルとは何の象徴なのか思い出して
    ちっと発見気分になってしまった。

こんなことはどこの家でもあることらしく
10代は少しでも問題のある家みたいに思われたくない一心で
だれにも話さないで抱え込んできたことを
いい年こいてブログに書かざるを得ないようになるような
秘密を墓場に持っていけない自分がふがいなく
また同時に、繊細すぎるらしい性質が情けなく
家族になにもしてあげられない自分がダメな奴に思える。
そしていつもふらふらになって帰宅する。

霊媒になった自分は亡き祖母に何か聞くコトだってできるんだろうけど
「お前が実家に帰らないのが悪いんだよ!」と怒られそうで聞けない。
ただなんとなく今日仏壇で手を合わせたとき
「すまないね」って声を聞いた気もしたけど。

かつてジョニーは笑いながら言った。
「彩は実家から帰るといつもストレスで不機嫌だよね。」

正直もう、どうしたらいいのかわからないのだ。

どうしても一人暮らしの自分の生活に帰る途中の電車の中で
勝手に涙が出てきてしまうのだ。
そして繰り返すネガティブな思考回路を人に話していいのか
誰に話せばいいのか
どう処理すればいいのかさっぱりわからなくなるのだ。

それでも
結果がどうなるかがわかっていても
どんだけ精神的にダメージを食らうとしても

それでも
心配して会いたがってるだろうなと親を思えば帰らずにはいられない。
こんだけ人様にネガティブな印象をつけるような文章を公に書いても
それでも人に紹介せずにはいられない。
どうにも出来ないし、自分の介入が悪だといわれるとしても
何が出来るか思わずにはいられない。

結局私は家族を愛しているんだと、思う。

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2007年1月 2日 (火)

新春早々愚痴ですいません.......。

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あけましておめでとうございます。

.....とかいいながら、最初の日記を愚痴で始める不幸をお許しください。
実家から一時逃げ帰ってきました。

だって近藤家は大変なのよー(涙)。
人の意見聞かんし我が強いし~。
押し殺す人は壊れるし。

今回は決定的に聞き役に回るぞと意気込みながらも
壊れかかっております。
霊媒とは言えど、お家騒動を解決できないのは
ふつーに人間だなあと感じます。

かといって、
キムタクの新春スタートドラマほどのなんかがあるわけじゃありませんが。

元旦は父と映画に行きました。
常識に生きる苦労人である父と
「お前、将来のこと考えろよ!!」
「あたしだってそうなろうとしたわよ!!」的な車内大バトルの末
硫黄島からの手紙で今年一年分くらい泣いただろう的な涙を消耗して
しわしわになって帰ってきました。

いい映画です。
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/

しかし、こうやって全世界的に晒せるメディアに愚痴がかけて
個人的な人間関係ではどうもそれが出来ない私って若干変かも(笑)。

さて、画像は年賀状であります。

実際に年賀状受け取った方、
「ここで公表してんなよ!!」等キレてはいけません。
ワンポイントちがうでしょ?

そこんとこが私的な愛よ、うふふん♪

シドみたいだと言われても、殉教者にはならないよ。
さて、恐怖のサターンリターン超えてトンでいこうかね☆彡

相変わらずまっとうに生きられ「そうにない」
馬鹿女ですが
本当に今年もよろしく!!

あ、コメ欄解放します。
年賀状代わりのコメント書きたい方ご利用くださいませ。

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