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2007年1月28日 (日)

池袋サンシャインシティ12:35、マックで経験した俺の本当の気持ち。

誰のものにもなれない存在のオリジナリティを維持しているのをわかっていながら
同時に誰かにすごく束縛されたいと願う生存の相反する心理の果て
たまりかねた俺は人差し指の第二関節をかじりながらマックに向かう旅にでた。

チキントマトのバリューセットのポテトを口の中に三つ折にしたまま
無言で放り込む俺の隣、ティーンエイジャーの女の子の財布にはたくさんの文字が
マジックでしめされていて、よく読むと歌の歌詞みたいだった。

あいがなんとかいっている
それがどうとかかいてある

少しだけポテトをかじるペースを緩めて
数日におこった心のゆれを思った。

ことばには出来ないけど確かにくっきりと存在するもの
言葉になっているけど存在の薄いもの

その相反する二つをくっつけたくて俺は気分に合った現実をたべている、
そんな気分になったまま、バーガーからトマトだけを唇でひきぬいて食いちぎった。

必然なんて所詮、押し殺せない空腹くらいにありきたりなこと
食べるものを選ぶのは俺らの気まぐれ。

昨日ふらふらとさまよった六本木ヒルズの「笑い展」を思い出した。
ヴィデオの作品のカベに数ヶ国語で概要の説明が手書きで書かれていた
誰かの作品をみたとき、言葉を尽くさねばならないほどの大きな不安を
感じ取り目をそらした。

実はテキストを書くのは得意だ。
なぜかこのことが自分に経済的利益をもたらしたことは一度もないんだけど。
大学時代に何処までも自分の作品を語りつくせる私を
気持ちが悪いと誰かが言った。

でも時間が経過するにつれ
作品をテキストで補足するのが馬鹿馬鹿しくなった。
テキストをかいて絶対に守らなきゃいけないほどの不安がなくなった。
まわせばいいんだと思ってる。

見て何かを感じた奴が自分の中のまわされた思考回路の中で
であったことのない自分に恋して踊ればいいんだと。
テキストは奴らがそれぞれに書くべきだ。

現代美術のなかで強烈なポジティブを凌駕する勢いで台頭する不安の確定より
言語を超越するくだらなくアングラなポジティブに俺は自分を賭けてる。

でもそんな自分は家を求める純粋な希望から
視線を0.5度ほどずらして生きてきた気がする。
お菓子の家が幻だったとき
パンの道が小鳥に食べつくされてしまった絶望に打ちひしがれて飢え死にする
恐怖から逃れるために家なんかないと言ってきた。

お菓子の家が幻想で道しるべのパンが食われたら
地面にはいつくばって木の実でも草でも土でも食べればいいのに
そのみっともなさから逃げてきたんだとも思える。

たぶんウサギを捕まえて、友達に「まずい」といわれながらも
「かあちゃんウサギ料理上手だった。」とかってデタラメでとんちんかんで
でも明るく笑うそんなダウンバイローみたいな切り替えをこれからは
求められているような。



........たぶん、どうしようもなく恋をしている。
感情的に引き返すことができないくらいに。

みっともなくて嫌になる。

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