« 帰ってきた、帰ってきたよ。(コメント欄開放) | トップページ | 宿業に沈む。 »

2006年12月 6日 (水)

一生ニートでも構わないと思う。

と、いう覚悟を決めた。
自転車に乗りながら。
とはいっても来週から電話番の仕事をするんだけども。

自転車に乗るのは二年ぶりくらいであって
小型自転車特有のハンドルの甘さにガクブルしながら
立ち漕ぎもままならないまま12月の池袋を走り抜けた。
成田から実家に帰国したついでに父から自転車を戴いたのだ。

テスト運転で風を切りながら
相変わらずシスコでも作品のウケはよかったなと思う。
自宅に帰ったこともあって自分の資産価値をフレッシュネスでコーヒーを
飲みながら計算した。

私の作品の販売額で最高額を記録したのはed/20の作品が12万で売れたときであって
つまりそれを買った人は私の版画に12万x20(全部摺った時のお値段)=240万
の価値を認めたことになる。

その作品は確か展示前にあせって三日で作ったのでつまりその人は私の日常に
240万÷3=80万の価値を信じたことになるのだ。ひょえー。
そんなことを今更気づいた。

その頃の私はテレフォンオペレーターの仕事で相当におちこぼれであって
最高に自分をダメだと思っていたので皮肉なもんだなあと思う。

今日もお昼ご飯を食べながら祖父であるCEOがいかに私の作家生活を
支えるかという夢を語るのを口角を上げながら聴いてみる。
いくらなんでもそれは無理っしょ?と内心思いながらも彼の幸せそうな顔を
素直に見つめる。

他人がどうやっかもうが、非難しようが少なくとも
私は作品に専念したほうがはるかにたくさんの人を喜ばせている。

誰もが、作品に専念したからといってNYで売れるわけではなく
誰もが、作品に専念したからといってシスコで展示が出来るわけではなく
誰もが、作品に専念したら買われる作品が作れるわけではないならば、

やはり私はこの世界に一点でも多くの作品を残すことが
ものすごく大きな意味で仕事なのではないかと思った。
それはなんていうか、義務とか使命とかに近い何か。

このことを本気で認めるのに、28年という歳月がかかってしまったのは
おそらく、私が自分の人生のすべてを人からの尊敬と賞賛に値する美談に
したかったという欲望に他ならないと考える。

でもそれは、土台無理なことなのだ。

そして、たくさんの人に愛されても、たった一人であっても状況はかわらないという
認識が私にさらなる覚悟を促した。
どちらにせよ、私を救える人は誰もいないのだ。

制作に殉ずることの代償は
私が一生かけて自分を追い詰めて問い詰めながら作品を作ることと
結婚願望の放棄だと考える。

なぜならば、結婚とは男との社会生活の支え合いであって
作った作品が必ずしも生きているうちに確実な金銭的価値を生じない私は
今同時進行でそれを望んだら軸がぶれてしまうのだ。

でも行くしかもう道はない。
なぜならば私には表現すること以外にまともに出来ることがないのだから。

昔テレビの収録で小倉優子りんに
「ロックってなんですか?」とまじめな顔で聞かれたことがある。

その時は答えられなかったけど、今なら言える。
私にとってロックとは喪失の美学なのだ。
たくさんの可能性を棄て続けて最後に残ったものにかける、
いつもそうしてきた、そしてこれからもそうだろう。

そしてこれは同時に
私にとっての女武士道でもある。

|

« 帰ってきた、帰ってきたよ。(コメント欄開放) | トップページ | 宿業に沈む。 »