« ついに飛ばされる。 | トップページ | 俺たちは路上のロックンロール。 »

2006年11月 5日 (日)

ウンコと孤立とCGAllen

Dscf1775_5総師範曰く、
「武という字はホコを止めるという成り立ちで出来ている。ゆえに、戦いとは相手を制することではなく敵を愛するという境地ではないのか?」
というようなことをおっしゃった言葉に感動したその夜に

C.GAllen氏がDVDで
ファンに向かってライブの演奏中に脱糞したウンコを投げつける映像をみながら風呂上りの髪を乾かしておりました。私のバランス感覚というものはそんな感じです。

この人はNYのMurder Junkeysってバンドのボーカルさんで、もう故人です。

DVDはインタビューと同時に
彼がほぼ全裸で熱唱し、客を引っつかんでは本気で殴り
ポエトリーしながら身体を自傷。投げたウンコで客は逃走、
最後はなくなった時の死体映像というてんこ盛りドキュメンタリーなのですが

最初のほうは
「凶暴な外見に似合わずかわいいナニしてんなあ、オイ」
とかいって見てた私も、あんまりに全裸映像だからすっかりチンコ慣れしてしまい

彼という人間のパンク表現を眺めるうちにいろいろなことを学び取ったのですが

その中でもでかいインパクトだったのが
「人はよっぽどのことがない限り何やってもヒトリにはならないんだろうな。」
ということでした。

ただこれには
ただし、自分から孤立を望まない限りは
という注釈がつくんですけどね。

私が最初にお騒がせ事件簿を冒したときは12歳で
「私は死にたいです、自殺します」
といったのがばれて学級会沙汰になったんですけど
その時もそれ以降も、自分がヒトリだーって思うときって
本当に九割がた何らかの理由でヒトリになってるんですけど
最後の一割だけは自分から現実にシャッター下ろしてた気がするんですよ。

AちゃんもBちゃんもCちゃんも私を無視、そういえばDちゃんも目が合わない、みたいな。
で、この場合「そういえばDちゃん」以降のくだりは自分で決め付けてるというか
絶望感に隙間なく浸るためにどうしても最後の一押しが必要で、自分からそう仕向けた
というような心の作用があった気がするし、展示でもBuster Chatでもやっぱり
私は一人よって人はそういう傾向があった気がします。

キャストアウェイじゃないですけど、
もし無人島でたった一人で漂着しても、
人とコミュニケートしたいって欲求に素直な人は獣でもバレーボールでも
オトモダチを作り出す気がするんですよね。

で、このCGアレン氏はケツに突っ込んだバナナを
「ハングリー?」とかいいながら人に投げたりとか
ガラスに頭突っ込んで流血とかしてましたけど
それでも
「C-G-!!」とかって絶叫して近づくファンには頭を抑えて
「お前俺のチンコ舐めるか?」
みたいなことを言っていて
何がいいたいかってつまり、人とコミュニケーションすることには絶望して
なかったんじゃないかって気がするんですよね。

私もこの一年、本当に人に説明不可能な領域に突っ込んだんですけど
その日々で自分を貫く、少なくとも自分の最善を尽くすって視点をもてたのは
本当に大きな財産だったと思います。
「自分から心をとざさない限りは、少なくとも精神は孤立しない」
自分で言うのもなんだけど、これを知ったことで私の精神はタフになった気がする。

予備校時代に愛した数学の先生曰く、
「人は数学みたいに割り切れない、しかし、だからこそゼロにはならない。
およそ割り算や引き算みたいなことが起こっても人はそれでも歩み寄ってくれる」

んー。

おおよそ、女子のブログとは思えない画像から始まって〆は甘酸っぱい感じだな。

毒の沼地に足を突っ込んでも、その状態を冷静に把握できさえすれば
案外薬効成分も発見できるものらしい。

|

« ついに飛ばされる。 | トップページ | 俺たちは路上のロックンロール。 »