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2006年11月 9日 (木)

六九狂木版CEO、引越し業者を撃破する。

今日もいい天気でござんした。
こんな晴れた良き日に、我が六九狂CEOことマサヒロ氏が
契約した引越し業者を粉砕しました。

「あやちゃ~ん。」というささやきから始まった電話が、
次の瞬間から武勇伝です。

「今日は朝から電話してやっと捕まったんだけどさ、理屈ばっかごねるからさ
 俺はそこでこういったわけだよ(以下省略)」

昨日の夜から張り切って荷造りの予定だったんですよ。だけど
なんでだか、体が止まるし、しまいにはとっとと眠くなったので
おかしいなあと思ってたんですが、
祖父の電話を受けて「なるほどな」と思ってました。

明日祖父の信頼する業者が見積もりに来てくださるとかで
彼も母を連れて立会いにきてくれるようです。
もう「明日、行くから!いくからな!あ、昼飯食うなよ!一緒に食べるんじゃ!!」

心なしかすげえうれしそう。

その後、母からのごめんねえという言葉で始まった電話によると
祖父は今日は張り切って早起き。
どう考えてもこの時間から会社やってねえだろ?的時間から何回も会社に電話し
休日だった営業担当を呼び出しバトッたらしいです。

「隣でいてさ、どんどんテンションがあがるのよ。まあ、これでおばあちゃんの
法事でまた一つ俺のしてやったり伝説が出来て、気力充実よ。
あなたおじいちゃん孝行したわねえ。」
と母。

実は私もそんな気がしてます。
「誰かに必要とされてる」という実感が人を元気にしてしまうということは確かですから。
個人主義が成熟しきってないこの国では特に。

鑑定の結果、「アタシを支える」ということに生きがいを見出そうとした人を
私自身何人も斬り倒しましたし。
人は誰かにぶらさがりたい、と遠藤周作原作の映画でも言ってますし。

去年というかこの一年、発見したことの一つに
自分が支持されないと自分の表現に価値を見出せないタイプの人が
結構いることに驚きました。

バンドでファンの子にメールを返せないことで
その人が離れていくんじゃないかという恐怖で目が泳ぐ子とか。
詩人として活動してた時の私はまさにその典型例で
それがすべて崩壊したときにショックで詩人としての声を失いました。

だから木版画家としての自分は
自分の好きなものを作る、ということから少しづつ表現者としての自分を
作り直しました。

よく表現するということの過程の一つに
自分をすべてさらけ出してこそ本物、と考えることがありますが
それはまだ甘いよな、と私は思います。
その心理の裏には、
自分というすべてを他人に受け入れてもらって安心したいという欲求が
見え隠れしている気がしてならないからです。

もし私の文章や表現がそういう風に感じさせているとするならば
それは意図したものではなく単純に私がぶっちゃけ気質であり
隠し事が出来ないからです。

そのかわり、私はこうやってフィットする言葉を捜して
自分の心理を読みながら移ろい行く感情を整理して把握したいと考えています。
何故こうやって文章をあげているのかというならば
現実的に60人前後の人が私の文章を毎回読んでいるという具体的な事実が
数値として出ているというのもありますし、
どっかで人は人と影響しあうということを無邪気に信じてもいるからです。
信じてるのであって求めているのではない。

だから仮に読者が0であっても私はきっと書くことをやめないでしょう。
なぜならこうしてカタチに残すことは第一に自分のためだからです。

自分のためにしていたことがどういうわけだか誰かの心を動かした、
というちょっと予測を超えた瞬間に私は自分の表現者としての喜びと価値をみます。
そこにこそやりがいを感じる。
その境地を知ってやっと、表現者としての求道の長い旅がはじまる気がしています。
だからいつも作品を作って、それを発表する前にはいつも自問自答します。

かりにこの作品の支持者がゼロでも、お前大丈夫か?と。
大丈夫、だって私はこれが好きだもの。
そういえるのを確認してから私はハンコを押すのです。

ファンは大事にしたいと思ってます。
でも、残酷かもしれませんがファンは仲間とは違います。
彼らは自分にとって必要なものをとりにくる人たちだからです。
私という人間と作ったものから自分にとって必要なものをとり
そしてそれが満たされれば離れます。

私が彼らのニーズを想定して準備できることは
出来るだけ私という人間を克明に記録として残し続けることと
彼らが飽きて自分から離れたときに、その自由を保障できるだけの
心の余裕を自分に保ち続けるという二点です。

それを一言で言うならば、
立ち続ける、ということかもしれません。

だからこれから本格的に始動する音楽にしても
私は積極的な誘致はしないし、アンケートを用意するのもまだやめようと思っています。
でないと、自分の表現を見に来ているのか、仲間だからくるのかが
わからなくなるからです。

HPとこのブログのアドレス、それからメルマガの存在を知らせれば充分かと。
それと告知と。

ただ仲間に関しては出来る限りで少しずつ自腹を切って招待したいと考えています。
少なくとも一回は。
だって私のする何かを観てほしいと考えるのは私のエゴであるのだから。
なぜなら彼らは私という人間が好きで付き合ってるわけで
ゆえに私の表現するものを必ずしもみたいわけではないからです。
でも予算は毎回少ないので順番になりますけど....ね。

祖父の電話の数時間後、最近懇意にしている人からメールを頂きました。
粉砕の経過を伝えると
「お爺に感謝だよ、女一人の引越しは舐められるんだから。」
とのこと。

舐められるのはマ○コだけで充分なんだけどな、全くもう。

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