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2006年9月14日 (木)

俺とロックに何が出来る?

うちのマンションの一番奥の部屋のおばさんが
顔をあわせるたびに遊びに来いと誘うから、お茶を片手に遊びにいくと
とある学会の勉強会だった。

うまそうな料理が並び、箸をすすめられたけど手はつけられなかった。
何故かその行為はこの人たちのどうしようもない期待感と失望を与える気がしたからだ。

一ついえることは
病気だったり気が弱ったときに自分の支えになったり救われたりするものを
人は無条件に愛してしまうということだ。
それは自分が鑑定した上で得た教訓であり実感でもある。

そして私には彼らからそれを奪う権利も否定する権利も持ち合わせてはいない。
私に出来ることは賛同か拒否だけだ。

神や仏は裏切らない。
もっといえば宗教的教句や概念は裏切らない。
だから一生ハマルこともできるだろう。

だがしかし、
私は自分と表現に限ってはギブス以上の何かになりたいとは思っていない。
そしてそれ以上になってはいけないと思っている。
私に対して依存や崇拝の気配が読み取れた時点で
私は自分がはめたギブスを叩き壊す準備を始める。

たまらなく、苦痛だ。

人が私の言葉でしか自分を語れなくなるのをみるのは。

人には自分でしか語れないすばらしい言葉の種を自分自身が
持っているというのに。

そしてここが彼女たちの信仰のきっかけと決定的に違うと思うんだけど

私の御上は困ったことに
私が木版画家としてのキャリアを順調に築いていた最中に表れて、
身体を熱で焼いてしまったのだ。
しかも「私には見えると人に言え」と迫って。

私はただ見えるし、感じる。
そして物事が彼らの言ったとおりになる
ただそれだけだ。

大体、そもそも存在が立証されていないというだけで
もし自分が存在を否定されたり拒絶されたらスゲエさびしいし悲しいから
彼らと素直に接している、それだけだ。

間違っちゃいけないのは
サイキックな能力をもつ人間であることと
サイキックなビジョンが指ししめす神であれイリュージョンであれ
それを認めて信じさせるということは違う
ということだ。

御上を信じてくれないと
自分の見えるとか感じるチカラでその人に何も出来ない
というのなら

その人は自分のイリュージョンに食われているか依存しているのであって
人としての自分をきちんと育てていないのだ。

これから少しづつ、
どんだけ時間がかかってもいいから
自分が対峙する人が自分の足で歩いていけるように言葉をかけるには
どうしたらいいか考えていくつもりだ。

依存させるという簡単な方法で
人の意識に入り込むことを拒否するとしたら
俺とロックに何が出来る?

もしくは

俺という存在と言葉とアートに何が出来るんだ?

私の御上は厳しい。
自分で考えなきゃいけないことには一言も言葉をかけてくれない。

私は一生問い続けるだろう、この部分に対して。
そんな気がしている。

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コメント

・・・ですね。って何がだ(笑)
今回から名前短縮しました。ヨロシクDEATH!
自分が今、”本当の意味での自立”を目指して動き出しつつあるので、
改めて、振り返ったわ。
(世間一般で言われている「自立」とはちと違う意味合いだということは、
姉さんにはきっと分かって頂けることでしょう)

投稿: スラ | 2006年9月15日 (金) 01時44分

大変難しい問題ですよ、しかしやらねば。

投稿: みと。 | 2006年9月15日 (金) 10時42分

ええ・・・ですね。

投稿: スラ | 2006年9月16日 (土) 02時19分

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