昨日パイメイからラブレターをもらった。
「ライナーノート?」ときいたら違うよと笑う。
「いたづら心のラブレターさ。」と一言。
それから、
「ライナーノートってのはさ、その人のことを深く知ってはじめて紹介を
書くんだよ。でも考えてみればおじさんは彩ちゃんのことを何も知らんのさ」
とのたまう。
なんて正常な人間関係なんだろう。
この前、前々からお茶したいと言われていて
ずっと落ち着くまで待っていてくれた女の子が遊びにきてくれた。
ついうっかりの弱音も、目をぱちぱちしながら聞いてくれて
楽しい時間をすごした。
でも後日、ほぼ絶縁状態だった男の子からメールが来て
彼女に変なことをいうなという。
彼の話も少しでたから、何か失礼があったんじゃないかと思い、
彼女と双方に確認した。
程なくして彼がいうには
「あなたの日記やメールのコメントが強烈だから彼女を傷つけないように」
事前に釘をさした、ということだった。
謝られたし、会話も和やかに終わったが、
どうにも胸の痛みは消えない。
ごく人間的な感情が自分に去来している。
自業自得というには、私と彼は実際に会いすぎた。
日記とメールだけなら否定されても納得がいく事象だった。
誤解されるのは仕方ないと思う。
そういう態度をしているから。
ただあまりにも理想化して離れてとかそういう人を私はみすぎた。
時子の記憶を半分ほど否定しようかと悩んだとき
ここのところメールで海をまたいで連絡を取り合っている
霊媒の女性が平家の御子孫だということがわかった。
私がビジョンの悩みを口にすると、先祖の霊が興奮気味に
降霊してくれたといい、その手紙をメールしてくれた。
あたたかい内容だった。
そのメールを受け取った後、何故か首塚が頭をよぎったが
無視して仕事しようとしたら、PCがうまく動かない。
しまいにはブログが消えたので
「わかりました!行きます!行きますから雨やましてください!!」
と叫んだら大手町につく頃には雨がやんでいた。
あの世ですっと安らかにしていればいいのに
わざわざ生きている人をつかってメッセージをくれる見えない人たち
そしてそれを己の負担を省みずに伝えてくれる人。
私は思う、彼らは何一つ悪いことをしたわけじゃない。
ただ科学で証明されてないというだけでその気持ちを無視していいのか?
第一見えている人間が私にしてくれたことは必ずしも善か?と思う。
一月を契機に私の身体は何度も発熱した。
普通の風邪とちがって、全身が変に思いつめたようなだるさで
じんわりと熱を発した。
見えない友達には黙って、見える友達には
「組み換えかも......」とだけメールした。
返ってくる返事は「美虎さま、新しいステージですね」とか
そんなのばっかりだった。
最初に発熱したときも「馬鹿なこと言ってる」とかって無視されたり
何度かかかってきたタイガーリリーの電話に出たら
彼女はこういった「リチャードが私の大事なパンダを燃やそうとしたんだ」
それから30分間彼女は自分の話をした。
ようやく「それより彩だよ!」といったとき、私はたまりかねて叫んでいた
「御上ってなんだよ、ド畜生!!みんな俺が受け入れるのわかって祝いに来てやがる」
彼女はいった
「神仏に向かってド畜生って何?
ねえ、そのお役目私にくれないか?」
言葉にならなかった。その後、テトラを呼んでくれ、出してくれというので
彼に目配せすると彼は出て行った
それから10分後、彼女の家に着いたうちの狼は
「てめえらなんかくそっくらえ!」と叫んだらしい。
目が覚めたといって家に向かった彼女に
「本当はつらい....」とメールを打った私に彼女はいった
「私たちを試すな」
私は耐えただけだった。でも、謝った。
それから二ヵ月後、彼女から「都合のいいときだけ神様ぶるな」という
内容のメールが来て交流は途絶えた。
でも彼女は未だに私が好きだと日記にかくという。
そのとき、関わってた主婦の人がいた。
スピママとよんで関わってた。
彼女は心配の電話をよこしてくれたが
私が同じように弱さを出したら去った。
彼女を支えていたのは「こんどうあやの霊的な母として存在する」という
名誉であって、人と神的なものの間を危ういバランスで行き来するのが
私なのだとだんなに諭されたら「私もここでドロップアウトです」とメールしてきた。
体の発熱が収まりかけた頃
鑑定で知り合った女性が私の不調をしってメールをくれた
「あやちゃん大丈夫?いつでも飛んでくから、
御上でもなんでもね、苦しめるのは許さないんだから」
久々にひととして扱われた気がした。
うれしかったなあ.........
とにかくうれしかった........。
キックちゃんとは破綻しても作品は好きだから展示によんで
とか
才能と魂にほれています、だからまた仲直りしてくれとか
近づいて好きだ、神人だとかいった人が
自分の痛いとこつかれて憎悪して離れてでも戻りたいといって
そんなことの繰り返し。
私は精神のとりでが作ったスクリーンに映し出される
私の映像に野次飛ばしたり、感動したりとかしている人を
俯瞰しているような気分にさせられる、そういう人をみると。
こっけいに思ったり、あきれる。
でもそのことが同時にどうしようもなく何故か私にダメージをくわえる。
これが28歳のおとめ座婦女子としての標準的な未熟さなんだろう。
だからもう、そういう人に優しくするのをやめた。
かといって、話のわかる六力さんたちの世界にいたいわけじゃない。
私はあやちゃんの味方だよ
とか
愛してるとか
そういうのにもつかれた。
昔馴染みな友達と話しても「時子の前世がね」とか
言った日には顔がこわばってしまうので慎重に話題を選ぶようになった。
よく捨て台詞される
「あなたは私をわかってたんじゃないの?」
でもね、その理解されない苦しみは道具として抱きかかえるものなんだよ
そして誰かの痛みをおもって流すんだ。
もし私が同じことをしたら気が狂って壊れてしまう。
誰にも理解されないとしても、それでも人を愛しているし
仲間のそばにいたい。
ただそれだけだ。
私が今望んでるたった一つのこと、
うちのキッチンでお茶しながらうんうんとただ話をすること。
話したいことを話して笑って
どんな話題もうんうんってフツーにきかれること。
愛してるとか、信じてますとか、ファンですとか、頭おかしいとか
わかります!とか、苦笑とか、そういうのなくてただ流れていく普通の会話。
一年前までフツーに手に届く距離だったそのことが
こんなにも永遠に感じるほど
遠くなるなんて思ってもみなかった。
失ったものは大きく、数えてしまえば気が遠くなるから
せめて
こういった日記で書いて整理できるなら
書きたいことを書き続けようと思う。
誰に何をおもわれようと。
そう思った。