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2006年9月30日 (土)

馬鹿はなおりません。

明日やる予定の曲がひけません。
歌詞も一度もきちんとうたえません。

一週間前から猛練習!
.......の予定がおとといからだらだらはじめて
3回もやったら腕が痛くて休んじゃうという体たらく。

しかも今日は昨晩呑みすぎたポン酒のせいで
ノンストップで吐きまくり、すっかり1キロ痩せました。
日本酒ダイエットです。だもんで練習になってません。

二十歳のときにロフトで寝ていてネゲロしたのを思い出します。

ZEPP....ならぬ 絶句TOKYOだね。

でもね、意識が現実におちると体の中に鬱積するなにかを
うまく発散できないのね.....
爆発しそうな気分になる。
だから行くしかないのです。

とりあえずちょっと寝よう。

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2006年9月29日 (金)

失ったものは。

昨日パイメイからラブレターをもらった。
「ライナーノート?」ときいたら違うよと笑う。

「いたづら心のラブレターさ。」と一言。

それから、

「ライナーノートってのはさ、その人のことを深く知ってはじめて紹介を
書くんだよ。でも考えてみればおじさんは彩ちゃんのことを何も知らんのさ」
とのたまう。

なんて正常な人間関係なんだろう。

この前、前々からお茶したいと言われていて
ずっと落ち着くまで待っていてくれた女の子が遊びにきてくれた。

ついうっかりの弱音も、目をぱちぱちしながら聞いてくれて
楽しい時間をすごした。

でも後日、ほぼ絶縁状態だった男の子からメールが来て
彼女に変なことをいうなという。
彼の話も少しでたから、何か失礼があったんじゃないかと思い、
彼女と双方に確認した。

程なくして彼がいうには
「あなたの日記やメールのコメントが強烈だから彼女を傷つけないように」
事前に釘をさした、ということだった。

謝られたし、会話も和やかに終わったが、
どうにも胸の痛みは消えない。
ごく人間的な感情が自分に去来している。

自業自得というには、私と彼は実際に会いすぎた。
日記とメールだけなら否定されても納得がいく事象だった。
誤解されるのは仕方ないと思う。
そういう態度をしているから。
ただあまりにも理想化して離れてとかそういう人を私はみすぎた。

時子の記憶を半分ほど否定しようかと悩んだとき
ここのところメールで海をまたいで連絡を取り合っている
霊媒の女性が平家の御子孫だということがわかった。

私がビジョンの悩みを口にすると、先祖の霊が興奮気味に
降霊してくれたといい、その手紙をメールしてくれた。
あたたかい内容だった。

そのメールを受け取った後、何故か首塚が頭をよぎったが
無視して仕事しようとしたら、PCがうまく動かない。
しまいにはブログが消えたので

「わかりました!行きます!行きますから雨やましてください!!」
と叫んだら大手町につく頃には雨がやんでいた。

あの世ですっと安らかにしていればいいのに
わざわざ生きている人をつかってメッセージをくれる見えない人たち
そしてそれを己の負担を省みずに伝えてくれる人。

私は思う、彼らは何一つ悪いことをしたわけじゃない。
ただ科学で証明されてないというだけでその気持ちを無視していいのか?

第一見えている人間が私にしてくれたことは必ずしも善か?と思う。

一月を契機に私の身体は何度も発熱した。
普通の風邪とちがって、全身が変に思いつめたようなだるさで
じんわりと熱を発した。

見えない友達には黙って、見える友達には
「組み換えかも......」とだけメールした。

返ってくる返事は「美虎さま、新しいステージですね」とか
そんなのばっかりだった。

最初に発熱したときも「馬鹿なこと言ってる」とかって無視されたり
何度かかかってきたタイガーリリーの電話に出たら
彼女はこういった「リチャードが私の大事なパンダを燃やそうとしたんだ」
それから30分間彼女は自分の話をした。
ようやく「それより彩だよ!」といったとき、私はたまりかねて叫んでいた

「御上ってなんだよ、ド畜生!!みんな俺が受け入れるのわかって祝いに来てやがる」

彼女はいった
「神仏に向かってド畜生って何?
 ねえ、そのお役目私にくれないか?」

言葉にならなかった。その後、テトラを呼んでくれ、出してくれというので
彼に目配せすると彼は出て行った

それから10分後、彼女の家に着いたうちの狼は
「てめえらなんかくそっくらえ!」と叫んだらしい。

目が覚めたといって家に向かった彼女に
「本当はつらい....」とメールを打った私に彼女はいった

「私たちを試すな」
私は耐えただけだった。でも、謝った。

それから二ヵ月後、彼女から「都合のいいときだけ神様ぶるな」という
内容のメールが来て交流は途絶えた。
でも彼女は未だに私が好きだと日記にかくという。

そのとき、関わってた主婦の人がいた。
スピママとよんで関わってた。
彼女は心配の電話をよこしてくれたが
私が同じように弱さを出したら去った。

彼女を支えていたのは「こんどうあやの霊的な母として存在する」という
名誉であって、人と神的なものの間を危ういバランスで行き来するのが
私なのだとだんなに諭されたら「私もここでドロップアウトです」とメールしてきた。

体の発熱が収まりかけた頃
鑑定で知り合った女性が私の不調をしってメールをくれた
「あやちゃん大丈夫?いつでも飛んでくから、
御上でもなんでもね、苦しめるのは許さないんだから」

久々にひととして扱われた気がした。
うれしかったなあ.........
とにかくうれしかった........。

キックちゃんとは破綻しても作品は好きだから展示によんで
とか
才能と魂にほれています、だからまた仲直りしてくれとか

近づいて好きだ、神人だとかいった人が
自分の痛いとこつかれて憎悪して離れてでも戻りたいといって
そんなことの繰り返し。

私は精神のとりでが作ったスクリーンに映し出される
私の映像に野次飛ばしたり、感動したりとかしている人を
俯瞰しているような気分にさせられる、そういう人をみると。

こっけいに思ったり、あきれる。
でもそのことが同時にどうしようもなく何故か私にダメージをくわえる。
これが28歳のおとめ座婦女子としての標準的な未熟さなんだろう。

だからもう、そういう人に優しくするのをやめた。
かといって、話のわかる六力さんたちの世界にいたいわけじゃない。

私はあやちゃんの味方だよ
とか
愛してるとか
そういうのにもつかれた。

昔馴染みな友達と話しても「時子の前世がね」とか
言った日には顔がこわばってしまうので慎重に話題を選ぶようになった。

よく捨て台詞される
「あなたは私をわかってたんじゃないの?」

でもね、その理解されない苦しみは道具として抱きかかえるものなんだよ
そして誰かの痛みをおもって流すんだ。
もし私が同じことをしたら気が狂って壊れてしまう。

誰にも理解されないとしても、それでも人を愛しているし
仲間のそばにいたい。

ただそれだけだ。

私が今望んでるたった一つのこと、
うちのキッチンでお茶しながらうんうんとただ話をすること。

話したいことを話して笑って
どんな話題もうんうんってフツーにきかれること。

愛してるとか、信じてますとか、ファンですとか、頭おかしいとか
わかります!とか、苦笑とか、そういうのなくてただ流れていく普通の会話。

一年前までフツーに手に届く距離だったそのことが
こんなにも永遠に感じるほど
遠くなるなんて思ってもみなかった。

失ったものは大きく、数えてしまえば気が遠くなるから
せめて
こういった日記で書いて整理できるなら
書きたいことを書き続けようと思う。

誰に何をおもわれようと。

そう思った。




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2006年9月28日 (木)

そのとき僕にはなにがおこるだろう?

この前パイメイ師匠に死相がでたんですね、
といっても彼が言い出したんですが。

「あやちゃん、なんか頭から黒い影がでてるようなさ、
ちょい気になるんだよね、みてくれないか?」

私はその日MADSINの来日ツアーで大騒ぎで疲労困憊の帰りでしたが
師匠の一大事なのでタロットもって定食さんへ出直し。

で、話をしたけど元凶は過労のようでした。
だもんで音楽の話をひとしきりしたあとで、
パティ・スミスとNYで道端で会ったとか、
自分がアートに踏み込んだきっかけになった元ビートルズの
スチュアートサトクリフの写真にオーストラリアの個展で再会したとかの
話をしたわけです。

したらパイメイ、真顔になって
「.......あやちゃんは、音楽のスピリッツによばれとるんだね」
と一言。

「ああ、私もそう思うよ。」と声に出さずに同意しました。

ここんとこずっと考えてます。
ずっと、六九の外側を円周をなぞるように関わっていくのが
私の人生だと思ってきました。
でも何でだかそこに真正面から切り込むことになりました。
それがどんな意味を持つのかということを。

その数日後、パイメイにオーディションを止められた日
私はフロッキングモリーのDVDをみました。

フロントマンのデイブいわく
「僕は自分の音楽を信頼しているんだ」

この一言が染みました。

パイメイ曰く
「自分の下手さとかそういうの気にしてるうちは駄目なんだよ」
普通はそうなんだと思う。

でも、私はもう28歳で衝動だけで何かをするには
(というか鑑定者としての性質上)落ち着きすぎてる。

でもね、木版画で手ごたえをつかんだ墨の技法は
すでに果てしないコンプレックスから生まれました。

まともに描けない私が写真技法で形を具現化するって方法をつかんだけど
やっぱり彫るうちにパースやら表現がおかしくなって
そんな版でも摺りで挽回できないか?という追究のうちに
出会ったのが墨で線をぼかすことでした。

ポエトリーもそう、詩的ロジックがないことは充分わかってました。
だから「これは詩ではない!」と叫び続けてた。

「○○だとわかってる、でもやるしかない」

私を動かす行動原理はこれだけです。
いかにそこまでの覚悟を自分から引き出せるか?
だから欠点と深く向かい合わざるを得ない。

技法のこと、つたない技術の不安を
何人目かに口にしたとき、こころのなかから湧き出す声を感じました。
たぶん、余計な皮がむけて出てきた本音です。

「わかってるくせに。」

「本当はわかってるくせに、
 魂が技術を超えるってわかってるくせに
 今までだって技術云々でやってきた人間じゃないってわかってるくせに

 わかってるくせに
 わかってるくせに
 わかってるくせに..........。」

デイブの言葉を借りるなら
信用しています、自分の表現力を。そして自分を。

たとえ失敗しても、前向きに何かを学び取れることを
自分であるために何かをできることを。
そして私がそれを偽らないことを。

それらが自分のためになされるかぎりにおいて
私はどんな状況でも表現者として立ち続けられるというそんな力を。
私は誇りを持っています、私が私であることに。

初ライブはもうすぐです。

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初ライブは500円です。

新宿ロフト30周年アニバーサリー!

美虎の出番は

10:50~ 10分間です。

気になる入場料は
500円+1d 500円つまり1000円ですな。
当日券がでます。
前売りは終了ですが。

つい「ほら、お笑いとかポエトリーの部門あるじゃないですか?」
という出だしで参加しちゃったから何かしないと駄目かな。
あは、あはは.......

http://loft30th.seesaa.net/

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話は変わりますが
最近インターネットから上手に日常を取り戻しはじめたので
Mixiに戻るのもありかなって思うんです。

もともとね、何がいやだったかっていうと、
散々人を非難したり関係が破綻した人間が
こっそりちゃっかり日記読んでるのを把握するのがいやだったんです。

なんつーか「じとーっ」って言う空気。
「なんだかんだ否定したって私はあなたをわかってるの。
 だから今でもみてるわ」っていうやつ。
あとは明らかに落ちた隙を狙ってるでしょって奴が若干と
「嫌われたみたいだけどそれでも好き......」っていう奴とかそんな空気。

私の搭載性格は、人のことを深く観察してしまうので
だからこそいろんな人とフランクに話せて鑑定できたり
アフターケアも自然に考えることができるんだけど

こういう「離れた人」にもそれが及んでしまうのね。

でもさ、私の文章というか作ったものとか残像見て
マスかく自由はありだと思うんです。
現に私もそういうことしてるしさ。

だからそのギリギリの妥協点として
アクセスポイントと数しか把握できない外部ブログで
数とりゲームの好きな私と
今でも私の何かが好きな彼らが丁度よくニーズを果たせる
外部ブログに出たんですな。

でも、それは「外部」として日記に接続すれば認知しなくていい問題だった。

でももっと苦しめたのは
「あなたマイミクでしょ?日記読んでるよね?」とか
「足跡全然くれないし」という親密さの強制機構でした。
最初はね、よかった。
最初は。
でも私の性格的な自由をその機能が許してくれなくなった。
いや、許さなかったのは私の律儀さかもしれません。

私は自分のこと、寅さんだと思ってます。
もしくは放し飼いの鳥。昔から。

好きなときに出てって好きなときに戻って
戻ってきたときに「お帰り!」っていつも寛容でいてくれる
飼い主みたいな友人がすきなんです。

なわけで私の周りの友人はさくらみたいです。

妄想してマスかいてぎゅーとしたいなら
私の顔写真と文章と版画とステージの残像をあげます。
そしてあなたが何を思っても、どんな人間だと思ってもいいです。
そこはファンの領域であって私はそういう自由を守りたいから。

私にとってファンってのは
自分で調べて自分で好きになって、でも自分にとって必要なくなったら
離れる自由がある距離を保てる人間関係を有する人だと思うのです。

だからそれを大事にしたいと思う。

だけど、距離が近すぎたら私は叩き斬らねばならない。

なぜなら私は自分の正直さを愛しているし
その正直さのままの私を受け入れてくれる仲間を愛しているし
そしてそういう充実した人間関係のうえで
私の作品が成り立っていると思うので。

自ら作品のクオリティを下げる行為は死罪だと思う。
それが私の作品に対してファンだといってくれる人たちへの礼儀だと
思っています。

と、いうわけで
日記のブックマーク代わりでかつ数あわせでかつ
日記見ても観なくてもいいって人いるかな。

.......といいつつ、無理だな。

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2006年9月26日 (火)

パソコンをあまり開けなくなりました。

その代わりによく本を読みます。
今は株の本と「狂人三歩手前」という哲学者の本を。

あと、人と会ってます。
ずっと待たせていた鑑定アンドお茶依頼の人と連絡を取り合って
カードひいたり引かなかったり。
前世見たりみなかったり。
人としての私の話をしっかり捕まえてくれるからうれしい。
いたらなくて欠陥の多い言動と話しすぎな暴走人格をわびつつ楽しみつつ
時間をすごします。

このまえ、日記にひどい弱音の文章を書いたんですが
実はその前に神社におまいりに行ったんですね。
お賽銭をいれて二拍二礼して手をあわせたら

「弱音もいいんじゃないかな?」と

やさしいおっさんみたいな声を感じました。
ま-結果は「おいおい....」でしたけど(笑)
弱さの中にも学ぶべきものはある。
書いて数日後そんなことを思いました。

少なくとも「生かされている」という感覚は
自分がいたらないままこの世界に存在していることを
うけとめたときに抱きしめられるのだと思います。

私のよく引く天使のカードの中に
「こだわりは感じつくして解放し」
という言葉があります。
最近よくこの言葉の深さを愛しています。

アタシが御上病にかかったのは、
精神世界という年齢も履歴も関係ない世界を入れる器としての私が
まだ28歳の女であった、ということにつきます。

まだ味わいつくしていない感情がざわついている器に
無限の広がりをもつ感覚の世界を入れ込むことへのバランスの不一致であった
という結論に達しました。

医学でいうならば、感情を西洋医学のように押さえ込むのではなくて
ホメオパシーのように完全に学びつくして出してしまう。
これが自分の人生を深く楽しむことではないのかな、もし?

少なくとも、
自分の胸に去来した感情を押さえ込んだら
アーティストじゃねえよ!

んふ☆なーんちゃって

大事なのは胸に沸き起こる感情とその結果を丹念に研究するように日々味わうこと。
それが生きることを深めると思います。

なんか流しそうめんだよねえ。
たくさん掬い取った人が風流と味覚と満腹をもってして人生の栄養を大量摂取するのよ

きっとね。

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2006年9月24日 (日)

初ライブは新宿ロフトにします。

マジ話です。

10/1にロフトの三十周年記念イベントなるものがあって
そのスーパーオーディションに出ることにしました。

当日券が出るそうです。
美虎の初舞台を見たい人はぜひ買ってくださいな。
とはいっても出番10分だそうですが。

しかしパイメイにその報告をしたら
超マジ顔でとめられました。
楽器始めて即効ショックを受けるのを僕は避けたい、
そんな思いを説得の中から感じ取りました。

まあ、いいのよ。
イキネタが欲しいからね、私は。
これでおちて何か言われたくらいでやめるロックなら
単なる思い付き程度の情熱だからさ。

敬愛するパティ・スミスもデビューはCBGBですから。
有名な老舗のハコでデビューしないとね。

.....と、もひとつ。
復讐リストBEST3のうちの六力女、タイガーリリーが
自分の前世を「建礼門院 徳子」だと公表したそうです。

母娘対決かよ!?

前世が思わぬ方向へ爆走しております。
しかも彼女の記憶が語る俺の所業はかなり極悪。
安徳が生まれたときに彼女に向かって
「お前の腹に私が宝を宿したんだよ」的な
発言をして大ショックを与えてるらしい。

で、私にはそんな記憶がない。なんて能天気な俺のご都合魂。
でも、霊的に成長してなくて
平家でブイブイいわせてたらそんな台詞の一つも娘にいっても
おかしくないよなと思う。
大体一門の最後の秘宝をふれさせてなるものかって言ってたくらいだからね。

で、平家一門がかなり自分勝手な奴らだという認識を彼女の記憶が持ってる。
でも、おいらの意識とは食い違う。
うまくいえないんだけどさ、なんか違う。
アタシの内側がなにかすごく抗議してるんだ。

でも、人間さ、自分に都合がわるいことって猛反発するじゃない?
だからありうるっちゃありうるのかなと。

でもね、実は最近私は私で、自分の前世なのか
単に能力が開発されてたまたま福岡に立ち寄ったときにそれが
大宰府のなんかとジョイントしたのかという二通りの考えをしていて

だから売り込みの時とか人と話すときは実はあえて
はなさなかったり「なんかガキかかえて海に飛び込んだばばあの記憶があります」
とかぼかしてんのよ。

「見えます」ということは惜しみなく話すけど。

でもね、相変わらずうちには平家ゆかりの人がくる。
平家のお芝居をしたい人とか。
話してくうちにそれがわかるからブログでみて話し出したわけじゃないんだなと思う。

このタイミングでほんと丁度いいよな~って思うけど
会社の元同僚さんから「美輪さんがエドガーケーシーの本で自分の前世を
調べ物して慎重に裏付けてる」という話をきいてその本を読んでたのね。
たしかにすごくやってた。

第三者的な霊媒さんに見てもらう必要があるなと思ってる。

時子の前世を書いたとき、なんでかどうしようもない衝動に自分は駆られてたんだけど
じつは同時にダウジングしながら「マジでかくの?」とかテトラに聞いたりもしてたのね。

歴史上の人物を前世となのってイタイ奴と思われるパーセンテージを減らすには
その後の自分の人生をかなりハードにすごすことを余儀なくされるんだわ。

霊能者が何かを感じ取る以上の説得力、つまり
表現や社会的なポジショニングの絶対的な確立
それから記憶と歴史的検証の深い考察

それらをこなしてこそ、やっと電波さんを卒業できる。
それは100%ではないけれど。

だからこそ、私は表現活動者としてのすべてを焦ったし
歴史的考証においてはそこに裂く時間がとれないから
だからぼかす、という結論に達したわけです。

で、リリーが徳子ですって書いた文を
友人がおくってもらったのを読んだときに
「うわ、いってえ。」
と思ったおよそ霊能者らしくない自分がいましたよ。
だから私も現時点で相当そう思われてんだろうなと思ったりね。

ただ私が心配してるのは
リリーは私の霊能修行が深まるたびに
「わわ、わたしも山とか入って修行しなきゃ!」とかいって
彼氏であるところのリストNo.2リチャードを困らせたりしてたし

私が復讐すんぞ馬鹿女!という日記書いたあとでMixiやめるとか
公表したらしいので

こいつ相変わらず俺につられてないか?

という疑問がぬぐえないのですよ。
その辺も一度自問自答して欲しいな。

優しすぎますか?俺?
たとえ仇が俺に塩を塗っても
俺は敵に塩をおくるタイプですから。

まあね、それが武士道。

.....なんちゃって☆




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2006年9月21日 (木)

22日(明日)ライブプリント。

和風ArtParty 
SEEDSTokyoImpact 7th
19:00-22:00

渋谷ON@OFF 
http://www.on-off2004.com/access/index.html
料金 1500円(1DRINK)

出演者

ステージ
岡夕記子(篠笛)
TOkyoGaysyaBoys(三味線)
廣樹輝一(尺八)
伊藤虹(舞踏)

ライブペインティング
樋口師寿

和菓子
meyou

ブログ http://kw.cocolog-nifty.com/seedstokyoimpact/


すばらしい、久々に人前に出られる。
TOKYO GEISHA BOYSがみられる。
伊藤さんの舞踏もちゃんとみられるかな?

明日はカリフォルニアから届いた新着財布も売ろう。
グッツも売ろう。

でもって紅葉はスタンプみたいにして
来た人が原版の版画に好きなように摺れるようにしてみようかな。
余裕があれば。

そこまで準備できたらいいな。

-------------------------------------------
たまには弱音も日記に書くかね?
かわいい婦女子が「大丈夫?」コメントでもくれっかも、
と思って書いたらあのざまです。
女の身体は損ですね。

と、同時に私は12時間後には女友達の相談電話に
「俺の店はお前のためにいつでもあいてるぜ?」
といってしまう女でもあります。

人を恨んでも血の雨が降りますが
人を思って行動したって私の頭には血の雨が降る。

まあ、自業自得だと思って楽しみます。

自分から望んで人に救われたいとは思いません。
書きたいこと書いて結果を考察するだけです。

特定の人間を支えることで
生きがいを見出す人間は好きじゃない。

少なくとも私はそんな人間関係望んでません。

恐れません、何を書いて何を言われようが。
段々怒りはすれど傷つかなくなってきました。
そのうち怒りも面倒になるでしょう。
要は私は自分をつくらないよってこと。

☆美虎娘娘★、表現活動に戻ります。
六力はいい加減飽きちゃった。
これからはしばらくは観たい人を観ます。

ちょっと前から聞きたいことがあったんです。
あいたいあいたいと人はいってくれるけど

あなたが私と会うことで望むのは

a.鑑定をしてほしいからですか?

それとも、b.私という人間個人ですか?

c.それともその両方?

a.ならば、信用の出来る鑑定者を何人か知っているので
ご紹介します。メールください。値段も良心的です。
霊媒体質を閉じないで公言して使ってる本物は
身体リスクを恐れずに相談者の幸福を考える人達です。
ただで見てもらおうなんてもってのほかだよ。

b.貴重というか奇特な方です。平身低頭にて歓迎します。
  とりあえず明日、お待ちしています。

c.のかた「なんでかよくわからないけど美虎じゃないと駄目なの...」
  って言葉がパスワードね。とりあえず、抱かれに来て。
  そっから決めるわ。

b.とc.の人、とりあえず普通に話します。
だけど私が「ちょっとチャンネルかえるけどいい?」
っていったらそんときにYes.かNo.をおしえて。

あと、

「観てほしい」って素直に言ってくれると尚ありがたいわ。
要するに「ごめん今日はちょっとそっちは無理」って言わせる権利を
俺にくださいってことです。


そんな感じでよろしくベイビー☆






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2006年9月19日 (火)

吐いてしまうかもしれない。

どんな反発をかってもかまいませんが
自分は選ばれた人間なのだと思います。

過去生をみることや、
その人が何をしたくて生まれてきた人なのかを
見ることが出来て伝えるのができるということに関しては。

何ゆえにそうなったのかはわかりません。
でも時々どうしようもなく辛すぎます。

自分の運命のすべてが絡めとられていて
どこまでが自分のなすことでどこまでが決まりごとで
時々自分の感情が失われて
そしてそれを取り戻すべき手段もなく

ここが君の居場所で君の感情であると教えてくれる男もなければ。

PCをあけて誰かの思念に触れれば吐きそうになり
霊媒体質であることが日常にここまでのさわりを起こすとは思いもしなかった。

そしてこの孤独は誰にも理解されない。

何故人につらいと言わないのかといえば
理解の出来ない苦悩にその人を巻き込むのがたまらなく苦しいからです。
人を愛するがゆえに。
ゆえに思いを吐いてもはっきり言うことはできません。

プラスの影響になれた人もいるかもしれません
ただ罪悪を感じるのは
私と会わなければ、夢の事象や日々の出来事におびえたり
逐一日常の不幸を霊的なさわりに置き換えなくても生きられた人が
そうでなくなってしまったり、
自分なくては生きられなくなってしまうこと。

そういう一つ一つを背負うことも
自業自得とあざ笑うのにもまだ時間が必要みたいです。

誰からの理解、共感なくとも
私の精神的キャパは人並みである。

だからといってお役目くれとか
やめればいいじゃんと言われるのもまた違う。
受け入れたものから逃げたいわけじゃない。

時々自分の弱さを知りたいだけです。

生かされていることを知るときが来たのかもしれない。

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最近の失敗。

昨日もあたらしいリアルな友人が出来ました。
人との出会いは自分にとってうれしい経験の一つです。

六本木に出向いたときに御上に怒られました。

ホロスコープを超える人間になることは
今対処すべき問題ではないようです。

ただ、言いたかった
すべてが必然であるなら(ここでいう必然は決まりごとって意味)
努力は意味を成さなくなるから

変えられるものはある、大丈夫って
リアリティをこめていうためにパーセンテージを知りたかった。

それはなんつーか、歩いて上ってる東京タワーを
一気に最上階まで行きたがるような無理だったようで。

唯一つわかっていることは
サーキットがどんな概観であるとわかっていても
ドライバーの腕次第で順位は変わる、ということ。

どのマシンに乗っていても
ドライバーは自分のマシンのスペックと操縦する自分のことが
誰よりもわかっていないとサーキットを自分のものに出来ないということ。

私は少しサーキットに意識が行き過ぎているようです。

あ~
クラッシュしないで戻れるかな。

天気がいいから大丈夫だと信じたい今日この頃。

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2006年9月14日 (木)

俺とロックに何が出来る?

うちのマンションの一番奥の部屋のおばさんが
顔をあわせるたびに遊びに来いと誘うから、お茶を片手に遊びにいくと
とある学会の勉強会だった。

うまそうな料理が並び、箸をすすめられたけど手はつけられなかった。
何故かその行為はこの人たちのどうしようもない期待感と失望を与える気がしたからだ。

一ついえることは
病気だったり気が弱ったときに自分の支えになったり救われたりするものを
人は無条件に愛してしまうということだ。
それは自分が鑑定した上で得た教訓であり実感でもある。

そして私には彼らからそれを奪う権利も否定する権利も持ち合わせてはいない。
私に出来ることは賛同か拒否だけだ。

神や仏は裏切らない。
もっといえば宗教的教句や概念は裏切らない。
だから一生ハマルこともできるだろう。

だがしかし、
私は自分と表現に限ってはギブス以上の何かになりたいとは思っていない。
そしてそれ以上になってはいけないと思っている。
私に対して依存や崇拝の気配が読み取れた時点で
私は自分がはめたギブスを叩き壊す準備を始める。

たまらなく、苦痛だ。

人が私の言葉でしか自分を語れなくなるのをみるのは。

人には自分でしか語れないすばらしい言葉の種を自分自身が
持っているというのに。

そしてここが彼女たちの信仰のきっかけと決定的に違うと思うんだけど

私の御上は困ったことに
私が木版画家としてのキャリアを順調に築いていた最中に表れて、
身体を熱で焼いてしまったのだ。
しかも「私には見えると人に言え」と迫って。

私はただ見えるし、感じる。
そして物事が彼らの言ったとおりになる
ただそれだけだ。

大体、そもそも存在が立証されていないというだけで
もし自分が存在を否定されたり拒絶されたらスゲエさびしいし悲しいから
彼らと素直に接している、それだけだ。

間違っちゃいけないのは
サイキックな能力をもつ人間であることと
サイキックなビジョンが指ししめす神であれイリュージョンであれ
それを認めて信じさせるということは違う
ということだ。

御上を信じてくれないと
自分の見えるとか感じるチカラでその人に何も出来ない
というのなら

その人は自分のイリュージョンに食われているか依存しているのであって
人としての自分をきちんと育てていないのだ。

これから少しづつ、
どんだけ時間がかかってもいいから
自分が対峙する人が自分の足で歩いていけるように言葉をかけるには
どうしたらいいか考えていくつもりだ。

依存させるという簡単な方法で
人の意識に入り込むことを拒否するとしたら
俺とロックに何が出来る?

もしくは

俺という存在と言葉とアートに何が出来るんだ?

私の御上は厳しい。
自分で考えなきゃいけないことには一言も言葉をかけてくれない。

私は一生問い続けるだろう、この部分に対して。
そんな気がしている。

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2006年9月13日 (水)

本屋に走ったのはどんぐらいぶりだろう?

小雨振る中、本屋に走ってきました。
はだしにアダンの雪駄はいて踵に雨水を大量に受けてしまいました。

と、いうのもYAHOOニュースで KING という雑誌の創刊記事を読んだからです。

KING文章王
ノンジャンルの文章応募......

選者はサトエリ、リリーフランキー.......
なんだかそれを読んですぐPC消して走ってしまいました。

だってサトエリでリリーでノンジャンルですよ?
どうしてかわかんないけどもう本屋に走っていました。

だのに 創刊号600円
おいらの財布には318円.........

があああああああ!

不幸にも俺のゆうちょ口座は-5万円で
大好きなラッキーストライクも買えないんだ、ばかー!!

今夜は多分もやしにチャーシューをテキーラで食べます。
ああ.....

しょうがないので基本ポイントだけ記憶して帰ってきました。
目が血走るほどに見開いてつぶやきながら帰ってきたにもかかわらず
「講談社 KING編集部」以上の住所を覚えてません。

リリーはこの雑誌のヤマは7回といったので
7回応募することにしました。
それで認められなければあきらめます。

思えばBEAMSの展示と鑑定100人という証人がなければ
おいらのこの一年はニート同然でした。
唯一クリエイトできたものはmixiに書き続けた渾身の文章だけです。
この文章を勝負にかけることは
おいらを応援しコメントを書き続けてくれたマイミクさんの恩に報いる
唯一のことかもしれません。

そして仇に勝つには

おいらは音楽以外の分野でも食えなきゃいけない。
昨日はとりあえず30代の平均年収を調べました。
結構高くてびっくりしました。

人と会話がままならない分
私は一人で文を書き連ねています
そして自分の28年間を振り返りました。

わかったのはたった一つ
私はものを作り、書くことでしか生きられない。
たとえそれが自分の精神を死ぬ寸前まで追い詰めることになっても。
後ろ指をさされて甘えた奴といわれても
そしてそれが.......一生続くとしても。

気を楽にしてチカラを抜けといわれるけど
それが出来ないのはきっと、
努力とか根性って言葉で生きているからです。

今の私には予言もホロスコープも全部超えるものでしかありません。
うちのテトラが二ヵ月後にはうまくいくよといえば
一ヶ月半で結果を出すことを狙います。
たとえその悪あがきが原因で成功までに三ヶ月かかることになるとしても。

もはやそういう格闘が定められたことなのかどうか
私にはもうわかりません。
私は頑張るのが好きなだけです。

流れに任せるとか、そんなの似合わないと思うから。
だってそれ以上に今の自分に納得いかないから。
己の器を予定以上にでかくするためにあがくことにした、それだけです。

たったひとりで われはいく 
前を向き 女武士道
生き抜く限りは 勝ち名乗り

よっしゃ。

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2006年9月12日 (火)

どうしようもない俺にパイ・メイが降りてきた。

「あやちゃん、のみにいこ!」

賢人が唐突に私を呑みに誘ったのは誕生日の数日前でした。

とはいえ、たこ焼きやとはいえ男であることには変わりなく
多少警戒。だもんで愛想笑いで乗り切り。

しかし誕生日の二日後、彼は再び声をかけてきた
呼び止められて近づくといそいそとたこを詰めている彼がいまして....

「はい、ささやかだけどね 誕生日プレゼント!」
その笑顔の曇りのなさに負け、呑みに言ったのは土曜のこと。

その日ははじめてのデモ取りでへこんでいたオイラ。
定食屋のエビスビールの一口目でつぶやいた台詞は

「己の下手さに参りました。」

途中で演奏が詰まったり、マイクのキー---ンという音に
わあお!
とか言ってるMDに本気でへこんでたのです。

おじさんは言った
「下手、うまいじゃないよ。なにを伝えたいか、何が伝わるかだよ。
 アヤチャン。」

「ジョアンジルベルトだってさ、聴きに言ったらつぶやくように歌ってたぜ」

..........おじさん
あなた
たこ焼きやの前は
何 を や っ て た の ?

それから会話は続き
ぶった切り宣言の日記の話をしました。

「おじさんね、私、どうしても許せないんよ。
 人が弱ってるときにさ、自分の弱さと向かい合えない人間がね
 唾はいて己を正当化するの。
 カミサマならそこ、許すでしょ?
 アタシ、俗になっちゃったよ。」

おじさんは私が注文したウインナーの4分の1をつまみながら言いました

「アヤチャン、君は俗じゃない。
 もし俗だというなら
 それは自分をいじめすぎだよ。」

「ではなんと言うのですか?」と私。

笑顔で彼 「 S H A R P さ。」

シャープ、生き方がシャープ。

賢人は私にそういいました。

それから約1時間。私は賢人と人生やら表現やらの話をして
ちゃっかりおごられて(でもそういう約束だったの)店を出ました。

そして賢人はその日最初に渡してくれたCDを指差して言いました
「アヤチャン、山崎ハコの(気分を変えて)と、
 西岡恭蔵の(プカプカ)という唄を聴きなさい」

「返してくれるのはいつでもいい。そして出来たらほかの唄も聴きなさい
 ほかの唄もいいのがあるかもしれない。」

私はあせって一言。
「わ、わたし何を貸したらいいのか.....!?」

賢人笑って曰く
「いいのさ、俺は自分で聴きたい歌は自分で選ぶから。」

帰りのエレベーターで自分の階まで上がりながら
私はBILLと賢人のことを考えていました。

私のBILLは私にメールでこう告げました
「俺、今女と会わないことにしています」

そのBILLが実はグルービーの家に入り浸りらしいことを聞いたのは
それから24時間も経たないうちのことでした。
そんなことも知らなかった私は、

「ごめんなさい!ごめんなさい!
 必要だと思っていながらあなたにそれが言えなかったの....」
と侘びメール

BILLの返信
「恋愛の穴を恋愛でしか埋められないのは凡人です」
弱っていた私に出来たのは侘びばかりでした。

ねえ、BILL?教えてくれないかな?
恋愛以前に自分の弱さを女で埋めてるあなたは、何?
でも多分、あなたは答えないよね?
だからどうしても立ちたくなかったフィールドに私は立つことにしたんよ。

私の答えは多分、言葉では伝わらない気がしたからさ。

そうしたら何故か、あなた以前に私の前を去っていった
あなたの関係者に寛容になれなかったのか私は答えを知ったんよ。
全部前の日記に書いたけどさ。

作家としての私だけ、つながっていようなんて虫が良すぎるよ?
人は道具ではないのだよ、少なくとも。
簡単じゃない、本当に。
人をひとりサヨナラするということは重いことなんだよ

..........................

賢人に最初のエビスをおごられたときに私が聞いた言葉

「おじさん、あなたは
 たこ焼き屋の前何をやってたんですか?」

中学生の頃から吸ってるというピースを口に
彼は微笑んでいいました

「評論家さ。
 フォークのね。
 だからここ(CD)にはいっている遠藤賢司とかね
 知り合いだったのさ。」

J     E     S    U    S  !  !  ?

神風というものが本当にあると知ったのは
この日だったかもしれません。

たこ焼き屋のおじさん、今日から呼び名を改めます。

今日からあなたは、私のパイ・メイです。

ギター始めてまだ三ヶ月半。技術では仇に当然及ばず。

私にあるのは伝えたい情熱と
己の言葉があるだけ

少なくとも彼らがグルービーの女でも
リスト同上の恋人とアヘアへしているその間に
私は自分をナタで切り裂く寸前まで追い込んで言葉をつくっているんだよ。
経験と、愛のチカラで返り討ちにすればいいさ
自信があるんだろ?

私が本当に知りたいのは
伝わる力ってのは技術を超えるのか?それだけかもしれない。

復讐とかそんなの実はどうでもいいのかもね。

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2006年9月 9日 (土)

ショーは続けられなければならず、仇は討たれなければならない。

よく晴れた日でした。
大気はまだ湿気を帯び、まだ夏が過ぎ去っていないことを告げていました。
朝の日の光を浴びながら、その女はたたみに寝転んでいました。
目の前のカッターの刃をMAXに引き出して首にあてがったまま
呼吸を整えて。

それからおもむろに
「せーのっ!」って号令するのですが、その手は右にも左にも動きません。
硬くてエッジの効いた刃物の感触だけが首にわずかに感じ取れました。
額とこめかみから汗がながれて
そのままの姿勢で蝉の声を5回聞きました。

その女はそのまま少し思案して天井のしみを見たあと
カッターの刃をしまいました。

あきらかにここで死んだほうが楽なんだけど
それでも拒む何かがあるらしい。
それがなんなのか知りたい........。
そんなことを思いました。

それからここでカッターの刃を引くよりも
メールでぐちったり
もう駄目だと騒いでみたり
目黒雅叙園に親を誘ってケーキ食うほうがまだ行動できるらしいとわかり
順番をきめてその全部をやりました。

これが美虎の28歳の誕生日でした。

追い詰められるのが日常化した私は
解決の方法にスピードを求めつつあり
その結果、編み出されたのがこの方法でした。

つらいから死にたい、とか
泣きたいとか騒ぐのも時間の無駄。

こうすればただシンプルに自分の絶望度合いがわかります
私が知りたいのは一つだけです

「ただいまがその時なのかどうか」

死ぬことはまだ、己のプライドを成立させるにはまだ足りなかったようで。
洗面所で顔を洗い流してから
「まだ生をむさぼりたいか、メス豚め。」
といって己を笑いました。

生存理由に人の存在を当て込むのは楽です
「誰々がいやがるから、悲しむから」
でも、そんな幻想ならないほうがマシです。
何のために極限まで自分と向かい合っているのかわからなくなる。

そしてその人にとっても迷惑だと思うので。
いつでもその人の都合のいいように人は動けない
たとえそれがわざとでなくても
自分の存在理由に誰かを当て込んで勝手に期待することはよくないことです。

だからこそ、必要だと思っていた人にその一言が言えませんでした。
こころから存在を必要としていたにも関わらず。
そしてそれを押し込めた結果、
認知さえも出来なくなっていました。
依存と不可欠の差をわからなくなってました。
自分が一人の女であることをただ痛いほど認知しました。
皮肉にも己の力で生きようとした自分は、
もっとも自分の感情なかでも重たかった一個を自覚できてませんでした。

そして必要だとみとめてそれを伝えたのですが
結果的に穴だらけの私のジェンガは崩壊しました。

それから三日。
私はただ本を読んだりしながら過ごしました。
自分の感情がどう動き、どう進むのかを観察しながら。

どんな風に生きたいのか
なんのために生きたいのか
誰の力になりたいのか?
そしてそれを貫くために 何を許してはいけないのか...........?

100人強の人の人生を垣間見て、その人の人生に向き合ったとき

私は自分の人生を不器用でも自力で生きようともがく人のそばに
立ちたいのだと思い定めました。

人は一人では生きていけないかもしれない。
だけどそれでも少なくとも出来る限りは自分で自分を何とかしたい
なぜならその人たちはそのことで人が困ったときに何かをしようと
本気で思ってる人だから。

最初から人は一人じゃ生きられないとかいってへらつく人は
やはり好きになれない。
人がわかってくれない、じゃないよ。
わかってくれよ、じゃないよ。
あんたのためにこれしてる、とかじゃないよ。

少なくとも版画はじめてから私はそんなこと望んだこともない。
やりたいからただやった
やらざるをえなかった
救われたいなんて思ったことはなかった。

だから自分が好きとか欲しいと思うものだけを
辛らつに追求した。
たとえ誰も振り向かなくても、自分が気に入っていられるなら
それは自己責任として背負えたから。

リリースしたらすべて忘れるようにした。
反応は予測するのもであっても強制ではないと思っているから。

でも何故か作品が愛されて仲間が増えた。
だからありがたかった。
六力に目覚めて苦しんだときも
そういう人が助けてくれた。

そして彼らは笑った
「いいんだよ、したかったことをしただけだよ」
私は彼らに返せるものがなにもないから思いが染みた。

だから
自分の足で不器用でも自分を生きようとしてる人がもがくとき
そしてその結果、崩れ落ちた人が一人で泣くのをみるとき
そばにいたいと思った。

だから私は許さない

自分自身との戦いで涙を流している人間の人生に
自分の弱さと闘えずに目をそむけるおごった人間がつばを吐くのを。
絶対に許さない。絶対に。

だけどその人の敵を私は認知できないので
少なくとも、己が弱ってるときに塩を塗りこめた人間を私は己の存続と
プライドをかけてカードを覆すことに決めたのです。

たとえそいつが善人だと言われていても
誰かに好かれていたとしても
頑張っているといわれても。

思えば最初からそんな人生でした。
教育実習先で泣かされた先生には最終日で「ボクが勉強になりました!」と
言っていただいたし
デジカメをもって実家を回り、己の心の傷を訴えて本心を問いただし
親に土下座させ家族全員にそのビデオをみせて帰宅したら
精神科の先生におどろかれました。

私の本性は鬼畜です。残念ながら神ではない。

己の損なわれた誇りは生きている限り取り返さねばならない
仇は討たねばならない。
すくなくとも
「おとしまえは必ずつける」

吉良上野介もいい人だったそうですが、主君浅野守のプライドを傷つけて
赤穂浪士に討たれました。

討たれたあとで切腹する羽目になってもプライドは守ります。
伝説になったほうがまだマシです。
大丈夫だよ、挽回できるぜ?見返してやれよといって
ケラケラ笑える女でありたい。
それこそが、私が歳をとるたびに自分を成長したと思える証なのであります。

右の頬打たれたら左出せなんていわないでよ?
人の罪かぶって死んだのはキリスト一人で十分だろ?
これ以上の犠牲を望むなよ。

復讐リストの上位に六力使いの女がいます。
さびた刀で切りつけて逃げとおせると思うなよ?
こっそりブログのぞいて「大好きだ」とかほざいてる前に
俺の名前を確認して自分が何を目覚めさせたのか今のうちに把握しといたほうが
いいぜ?ハニー?

御上に願をかけました。
30歳になるまでに通常ライブに100人集められる女になると。
そのかわり、それを達成するまで男を断ちますよ。
女として熟れ熟れの20代後半の貴重な二年を差し上げます。
愛する御上に。

性欲に負けてる人たちに勝つにはこれしかないのですよ。
私も弱い人間ですから。

そしてすべてを手に入れたまま望めるほど甘い道ではないのでね。

KILL BILLの服部半蔵いわく

復讐は一本道ではなく森である。ふとすると森のように道に迷い
途方にくれ、どこから入ってきたのかわからなくなってしまうことがある。
戦いに臨む時、戦士は敵を征服すること以外何も念ずべからず。
人としての心や情けをすべて押し殺し、途中に立ちはだかるものは
たとえ神であっても仏であっても殺すべし。

戦いの道にこそ、真実があるなり。

己の弱さを見つけたなら極限までそれを許さず
克服するまで退路を断ち、

人においては己の弱さと闘う仲間を同士とし、
それを邪魔する意気脆弱な輩を許さじ。

これが女武士道の対人における行動原理です。

女28歳、いい感じに壊れてますね。
でもこのエッジは嫌いじゃない。

潰すなら、うまく楽器を扱えない今のうちだと思いますよ。

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2006年9月 5日 (火)

誕生日です。

誕生日というものは不思議なもので
その日だけ根拠もなしに自分が最強になった気がします。

いい天気です。
0時過ぎた時点で母に電話をいれました。
「産んでくれてありがとうございます」

母がいいました
「私があなたを産んだ歳をあなたは越えたわね」

母が私を産んだ27歳
私は霊媒に目覚めました。
自分が隠し通してきたコンプレックスを根こそぎ修正することを
余儀なくされました。

そして28歳、毎日を
「今日死んでも後悔しない」と思いながら生きていくしかありません。
そして願わくば自分を生きる努力をする人が吐き出す弱音に
寛容でありたいです。

寿命のことは考えません。
いまここで死んでもいいと自分を投げ出すことで道を切り開いてきたので。

甘えて育ってきました。
今もです。
だから一生自分の抱えたもので苦悩するのは当然だと思っています。

ただ、
そんだけのキャパシティがあることには絶対の自信があります。

孤立しても死にません
でも作品が自分の本心を裏切って
自分がそれを許すようになったら生きてはいけません。

大量の刃物と暮らす人間です。
行動原理を武士道においています。
死よりも重いプライドがあります。

アタシがアタシでありつづけることに。

そんな28歳です。
どうぞよろしく。



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2006年9月 4日 (月)

うちのまちの賢人の話。

家から歩いて一分のところに
夕方になると毎日賢人が出没します。

たこやきやのおじさんです。

私は誰の言うことも聞かない奴と見られていますが
残念ながらアドバイスを求める柔軟さももっています。

しかもちゃんと300円握ってたこ焼き代を払うのさ。

おっちゃんいわく
「ひとの人生にいろいろ言ってどうにかしようとするやつは
おじさんから言わせれば傲慢だよ」

といいつつたこ焼きの具を4つほど一回転。
そして

「世の中には正しい奴と間違った奴しかいないさ」
とさらに3つ回転。

じゃあ正しい奴ってなんですかとお金を払いながら
私は聞いてみるんですな

賢人曰く
「自分のこうときめたことを命がけで貫く人だね」

ちなみに間違いは目先の事象や態度でころころとその人への
対応を変える人だそうです。

すると賢人は付け加えます
「ただし、
 そういう奴は偏屈にみられがちさ」

そうだね、わかってるよ.......

という心の呟きをきいてか聞かずかおじさんは目を伏せたまま
タッパに輪ゴムかけて笑うんですよ。

「でもね、一緒にいて影響受けたり勉強になるのはそういうひと!!」

はいどーぞ、またね

........ほんものは違え。

多分誕生日の記念か27歳最後の記念の夕飯に
あなたの照り焼き味をたべに行きます。

たぶんこれは俺の忠義です。


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2006年9月 3日 (日)

行け往け 跳べ翔べ そして逝け。

友達の結婚式にいって久々に賛美歌をきいた。
いい歌だと思った。

家にかえり
「獅子は獲物を殺す前に神に祈るのか?」
と考えた。

従うのは経験からではなく、無意識が呼ぶ本能だ。

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2006年9月 2日 (土)

美虎はタロットに逆らえるのか?

....というわけで今日からこっちがメインブログとなりました。

皆様よろしくお願いします。

まあ本格的に書くのはですね誕生日越えてからにしようかと
思ってます。(今へろってるからね。夏ばてだし)

自分の行く末は人に相談するまでもなく自分でタロット引いて
考えているんですが

ここ数週間、何回引いても同じ結果が出ます。

新しいステージに移行するけど
恋人ができないとここから先には進まない。

........あのう.......こればっかりは..........ご縁が必要だからして.............

.........どーにもできない。

本当に無理!!

でも先に進まないわけにいかないじゃん?

どーしてもKEYでLOVERS、
もう一枚引いてもカップの2とかでちゃうのね。

あとは対人関係でみるとカップのナイトとか。

で、ぐおー!!!!!

とかなってオラクルカード
(=いわゆる予言カード。美虎は一枚引いてその意味をみて
  おみくじ化してつかってる)

を引くと今度は
あんたは愛につつまれてるだの
天使はあなたに新しい家族がふえるのを助けにいってますとかね。

猫でもかえばいいのかな。

とにかく止まってる時間はないんだよ。

というわけでどうしたらタロットに抵抗できるか考えつつ

臨死!江古田ちゃんとか読んでます。
いやーおもろい、この漫画。

28歳まであと3日。

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