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2006年7月16日 (日)

中野で若い男と手をつないだ話。

季節は初夏だった。

その日はとてもよく晴れていて
お気に入りのヴィヴィアンタムのカットソーをきて
耳の中にはMADSIN流し込んで
私は昼下がりの中野で乗り換えの中央線を待っていた。

私の作品を愛してくれるHUGEのマスターとマダムの
素敵なカレーを食べに行くそんな途中だった。

不意に左サイドに人の気配を感じて顔を向けると
ちょっと目の焦点があってない若い男の子が立っていた。

彼は言った
「電車に乗りたいのですが、溝が怖くてパニックするので
 一緒に手をつないで乗ってもらえませんか?」
風貌から明らかに病んだ調子だったので、これはマジだろう
とおもって承諾した。

ただ一言だけ、
私は途中で降りるから最後まで付き合えないよ?
ということを付け足して。

電車が来る1分前になって、彼は急に自分の尻をなでてほしいと言い出した。緊張を解くのにそうしてほしいというのだ。
ただでさえ燦燦とした日差しが照る中暑苦しい情景なのに
ケツはハードルが高いなあと思って拒否すると
彼は懇願の後で妥協してモモを撫でてくれという。

マルイの看板を見ながら他人のモモをさすっている
光景の異常さにちょっと滑稽さを感じる中、電車がやってきた

電車の中でも彼はずっと私の手を握り締めたままだった。
ぴったりと寄り添ったまま
「電車のすべての網棚を確認したいから付き合ってくれ」
とか彼の要求はどんどんバラエティーに富んでいくのだが
その中でもどうしても固まったケツを触ってくれという
一点を彼はあきらめることが出来ないらしく

何度も提案しては私の拒絶にあってモモで妥協し
提案してはモモで妥協し...を繰り返して数駅が過ぎた。

うーむ、この子メンヘル超えて明らかに変質者かも
しれないなあ....と思いながら家族の話とか
織り交ぜて彼のジーンズの感触と青い空の対比を
眺め続けていた。

一見恋人同士のようで明らかに殺気立っているウチら
二人の関係は周りの興味を確実に惹いたようだが
みんなそろって視線をはずしている。さすが都会だ。

ケツとモモの攻防過ぎることさらに数駅、
オイラは毅然として彼の目を見つめていった
「そんなにケツ触ってほしかったらほかの人に頼みなさい。
私はね、できないものは出来ないの。」

間髪いれずに彼、
「きっついね、きっついね」
さらに
「やさしそうだとおもったのに....」
と一言。

「ごめんね、出来ないことはできないのよ、
 そうね、きついかもしれないわね。」
と私がいったその後、彼は数秒置いてこういった







「......殴っていい?」







「そのほっぺた、はたいていい?」





.....そうきたか、
と思うオイラはちょっとだけ考えた。
「右のほほを殴られたら左のほほを差し出せ」とはいうけど
でも、こんなにのどかな中央線で殴りあうのはやっぱりやだなあと思った。だって空はこんなに青いし、これからおいしいカレーを食べにいくんだもの。

でも、目的地の西荻につくまでにこの子をなだめるのは
ちょっと限界っぽいなあと同時に考えた。

ちょっと早いけど一駅前で降りることにした。
その気配を敏感に察したのか、
私が「目的地だから降りるよ」といった途端に
彼は目が覚めたのか、豆鉄砲食らった鳩みたいにあせりだした

「ごめんね、ごめん、お願い!行かないで!行かないで!」

その彼の手をとり、目を合わせてゆっくりと私は言った
「いい?最初に言ったでしょ?
 私は途中でおりるけどいいの?って。
 君はうんっていったでしょ?
 思い出して、ちゃんと思い出して。」
そうすると彼は黙り、急におとなしくなった。

「ひとつかなえばまたひとつ、
 ふたつかなえばまたふたつ.....」

乗り換えた隣のホームで頬に風を受けながら
私はそんなことをつぶやいていた。

中野のホームで彼が私にしたお願いは
「最小限の一個」で
私が彼にした承諾は
「最大限の譲歩」だったのだ。

でもこういうのってありがちだよね?
友達でも仕事でもデートでも。

ホテルの前で「ね、ね、ちょっと休んでくだけだからー」
って女の子を口説くのと大差ないわけよ。
だからこそ承諾したほうはそれが最大限の譲歩なら
本気で毅然としなきゃならんわけ。

人間は欲張りよ。

人の身体は50/50のギブアンドテイクを求めて生きてるの。
人の身体がそれぞれに個性があって不完全なのはね
GETとかGAINって感覚を最大限に楽しむためなのよ。

だからこそ、大事な何かを失えば相当に痛いわけ。
何故なら、その痛みをとおして
これから自分がGETしなおさなきゃいけない何かの量を
体感的に計測しなくちゃならないからなのよ。

だから暴れてもしかたないの、
だったら何とかギリギリで冷静さを保って
狼が伏して怪我を癒すように新しく得るものを考える。

幸福という感覚が満ち足りるという意味で使われるならば
幸福になるということは嘘だと私は思います。
幸福とは充足を覚えたときに訪れる一瞬の多幸感であって
オーガズムとなんら変わりがないものです。
満ち足りるという状況に人はいつか飽きます。
だから変化を求めてしまうのね、だって得ることを
あきらめることは同時に本能を裏切ることだから。

だから私は幸福より幸福「感」という言葉なら信じる。

だったら何で不幸は持続するかといえば
不足を数えることは結局渇望であり、
永遠に何かを得続けたいという人間の本能を裏切らないからで
ござるよ。

私は幸福になるという言葉が与えるいたずらな希望が嫌い。

あたかもそういう永遠の桃源郷状態に人が置かれるという
このプロパガンダみたいな幻想でどれだけの人々が
自分の今を嘆いたり不安定になっていることか。

だから結婚式でも私は
「幸せになってね」という言葉をかけたことがありません。
そのかわり
「宝物を集めるみたいにたくさんの幸せを彼と経験してね」
っていいますねん。

でもね、私は幸せの何たるかは知ってるよ。
何故なら何をしたくて自分が生きてて
日々何を得たかを数えるようにしてるので。

そーねえ、きっと私にとっての幸せってやっぱ
日々何かを得るために七転八倒してる自分に陶酔してるって
ことかもね。
渇望と欠落とコンプレックスこそが最高のアシッドだわ、
少なくとも私にはね♪

今日も暑かったあ.....。

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コメント

幸せってやつは簡単に分かってるようでいて
実は永遠の謎かもしれないっす。
つくづくそう思うよ。

投稿: iwakura | 2006年7月18日 (火) 21時18分

ほんとうに難しいよね。

投稿: mito. | 2006年7月19日 (水) 17時55分

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